May 04, 2012

祖先敬う家族共同体の姿を再び

立命館大学教授・加地伸行 祖先敬う家族共同体の姿を再び

或る夫婦は、老親の面倒をみず、親の建てた家から追い出し、庭に掘っ立て小屋を造りそこに住まわせた。老親が亡くなったあと、小屋を壊そうとすると、夫婦の子がこう言ったという。お父さんやお母さんが年とったらそこへ入ってもらうから、壊さないでほしい、と。

個人主義を唱える欧米人といえども、自律的個人主義を身につけるのはなかなか困難で、ともすれば勝手な利己主義者となりやすい。しかし、利己主義者とならさせない抑止力があった。それは、唯一最高絶対神の存在である。この神は人間が利己主義者となることを許さない。この抑止力によって、信仰のある欧米人は自律的個人主義者となることができたのである。一方、信仰なき者には抑止力がなく、利己主義者となる。

 さて日本。日本には唯一最高絶対の神は存在せず、当然、それへの信仰はなく、抑止力もない。そのため、個人主義という思想だけを導入し教育しても、自律的個人主義者となりえず、勝手な利己主義者となってしまうのである。

 現に、見よ、わが国の学校は抑止力なき個人主義を教えるため成果はなく、無惨にも利己主義者の養成機関に成り果てているではないか、小学校から大学まで。

家族主義は家制度を超えて、実は日本人の死生観に基づいている。すなわち、(1)祖先から子孫・一族へという生命の連続(2)子孫の慰霊により人々の記憶に残ること、この両安心感が死の不安や恐怖を鎮めるのである。

 そうした古来の死生観の上に立った家族主義だからこそ、日本人は最期にはそこに依るのである。

 今も微動だにしないこの死生観の上に立つ家族主義において、家族の在り方の抑止力となっているのが祖先なのである。

立命館大学教授・加地伸行 祖先敬う家族共同体の姿を再び

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伝統的な信仰や愛の精神を失い

米国は、伝統的な信仰や愛の精神を失い、権力と自由だけを信奉する国
になって、地上を弱肉強食の思想で侵略し、収奪に明け暮れている。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article.html

中南米のほとんどが反米国家になって、アフリカや中東も親米国家が次々と姿を消しており、友好国は東南アジアにしか残っていない。

米国は常に仮想敵国を必要としており、正義を振りかざして敵に立ち向かうことで、国論を統一し膨張する歴史があった。また、金融と軍事産業に依存する米国は、伝統的な信仰や愛の精神を失い、権力と自由だけを信奉する国になって、地上を弱肉強食の思想で侵略し、収奪に明け暮れている。
 しかも、大地へ働きかける農業をビジネス化し、米国は農業を殺虫剤、肥料、ホルモン漬けにして、自然を金儲けの道具にしてしまった。

モンサント社の遺伝子組み換え種(GM)のシェアーは世界で九割に達し、病虫害や除草などの耐性効果をうたっていますが、それを食べる生命体への影響に関しては、何世代にもわたる十分な追跡と実証がない。ところが、米国産の家畜用飼料の一〇〇㌫がこの遺伝子組み換えの穀物であり、それを飼料にして生産した肉や食物が、世界中に商品として輸出されている。 ベトナムやカンボジアに大量に散布した枯れ葉剤の爆弾による土地汚染で、奇形児や奇病が大量発生しましたが、その犯罪行為も放置されたままのことを想起しますね。

国としての反省をしていない米国は、農業生産の問題に関連した分野において、東南アジアに関与すべきではない。また、化学肥料やホルモン剤を生産し続けている国連の常任理事国や日独伊などは、最後に残った生命の楽園の東南アジアに、市場原理を持ち込まないことです。そして、三八億年の生命の歴史に対する責任から、食糧生産は住民の選択に任せるべきです。

それがあなたの生命観と土壌観なのですね。あなたが米国の東南アジア進出を拒む理由が、政治的な反米ではなく共生観で、自然学の立場なのだと納得できましたよ。

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March 17, 2012

ユートピアの崩壊 ナウル共和国

ユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで

ナウル共和国Republik Naoero (ナウル語)Republic of Nauru (英語)は人口10,131人。
太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島からなる共和国。国土面積は21km2であり、バチカン市国、モナコ公国に次いで面積が小さい。
国内には都市が存在しないため、首都の概念がない。

島の中央部は良質のリン鉱石(グアノ)からなる台地であり、島の面積の約80%を占めており、標高は約70mである。
リン鉱石は数百万年の間堆積した海鳥の糞に由来する。この大量のリン鉱石の存在が島の運命を狂わせた。
ナウルはこれら燐鉱石を売って儲けた金を国民全員に分配した。国民は世界で最も高い生活水準を享受し、
国は国民に対し税を徴収せずに、無料の医療、教育、年金、手厚い社会福祉を提供した。
必要もないのにどんどん公務員を増やした。
かつては住民は漁業と農業で生計を立て貧富の差もなく平和な生活を送っていた。
しかし、リン鉱石がもたらす不労所得が島民の生活や文化を大きく変えてしまった。
ほぼすべての労働者は出稼ぎ外国人であり、国民は働く必要がほとんどなかった。
食事も中国人の経営するレストランで三食済ますといった生活であった
島の人はドイツや日本やイタリアの高級車を手に入れ、島の周りをグルグルと回ってひがな過ごした。
しかし、政府は何もしなかったわけではない。政資源の枯渇を心配し、海外に投資した。
しかしそこに群がったのは、怪しげなコンサルタントだった。島の人々はあまりに経済や財政にに無知であった。
だまされたのである。投資した金は訳のわからぬまま消えて行った。
そして、20世紀末に鉱石が枯渇し、島は深刻な貧困に見舞われた。

島は生きるために様々にあがいた。
マネーロンダリングの銀行を黙認した。
オーストラリア政府から補助金をもらいそのかわり、オーストラリアにやってくる難民を受け入れた。
しかし島は今も基本的インフラを維持するのでさえ困難な情況にある。

その島に持ち上がっているのが再びリン鉱石を掘削する話である。
リン鉱石は、まだ枯渇していない。枯渇だというのは掘り方がまずかっただけなのだ。
そして島は……

なにか中東や古い中国の寓話みたいな話である。しかし現代の話なのである。

http://gw07.net/archives/6836778.html

ナウル共和国。太平洋に浮かぶ、国土面積がわずか21km2の独立国家でバチカン、モナコに次いで小さく人口も1万人程度しかいない。この国がたどった歴史はまるで寓話のように"よくできたストーリー"であり、作り話のように思える。しかし、本書で詳しく語られるナウルの物語は純然たる実話です。全国民へのベーシックインカム支給、税金はタダ、電気代、病院代も無料、結婚すると新居を国が与えてくれる。加えて、国民所得は世界トップレベル。しかし、繁栄は長続きせず、富、文化、環境を失い、石器時代に戻ろうとしています。ギリシャ問題など比較にならない、現代における史上最大の破綻国として、この小さな共和国は名を残すことになるでしょう。

この富の源泉はリン鉱石です。膨大な時間をかけてアホウドリを始めとする海鳥の糞が堆積されることで生成されるこの資源は、良質な化学肥料の原料となるため高値で取引されます。島全土で採掘が可能なこのお宝を彼らはとにかく掘りまくりました。その結果、1人あたりのGNPベースで日本が1万ドル弱、米国でさえ1万4千ドル程度だった1980年代初頭に、ナウルは2万ドルを誇るまでになります。

「リン鉱石立国」として1968年に独立国家となった彼らの繁栄は、無計画な採掘により15年と持ちませんでした。採掘できる資源には限りがあることくらい、彼らでも分かってはいたのです。リン鉱石で稼いだお金の半分は国民に分配され、残り半分は政府により国外への投資に向かいました。

国民は一周30分で回れる狭い国土に不要だと思える高級外車を買い漁り、食事は外食しか行わなくなり、海外にショッピングに出向き散財しました。驚く事に彼らは働いて稼ぐことを知りません。欧州諸国に"発見"される前は主に漁業で自給自足の生活をしていたのですが、イギリスの植民地時代には強制労働に徴用され、そして独立後はリン鉱石の輸出により何もしなくてもベーシックインカムで金が勝手に口座に振り込まれるようになりました。リン鉱石の採掘作業を行うのは専ら中国人などの出稼ぎ労働者達であり、小売りや外食店を営むのも外国人達。彼らはただ消費するだけでした。その結果、富は失っても、いまだにダントツで世界一の肥満国(2008年のWHOの調査によると、国民の79%が肥満)であり、多くの国民が糖尿病で苦しんでいます。リン鉱石が枯渇し、国に唯一あった国立銀行も破綻して預金の引き出しも出来なくなった今では、働いて稼ぐ経験をしたことがない彼らは、生きていくには漁業による自給自足の生活に逆戻りするしかないのです。かつての遠い祖先が行っていたように。

政府は何をやっていたのでしょうか。先に書いたように、採掘できる資源には限りがあることくらい、彼らでも分かってはいたのです。しかも、1990年代から2000年代初頭には掘り尽くしてしまうことが、独立の頃から分かっていたといいます。その対策として、政府がやったことは、海外への投資です。オーストラリア、ニュージーランド、ハワイなどのホテルやマンションといった不動産をとにかく買いまくりました。リン鉱石しか資源がなく、狭く観光にも適さない国家の取り得る選択肢として海外へ目を向けるのはある意味必然だし、それしかないでしょう。
結局、これも失敗でした。財務大臣でさえも、ほとんど金融知識をもたない素人だったため、海外からやってくるあやしげな連中に手玉に取られ、多くの資金が知らぬ間にどこかに消えてしまう始末。
リン鉱石もダメ、海外投資もダメとなって、ついには国家ぐるみで犯罪を助長する行為に手を出し(マネーロンダリング、不法パスポート発行等々)糊口を凌ごうとするのですが、焼け石に水。その上、当然ながら世界的な非難を浴びてしまう。

ナウルの状況はダイヤモンド著の文明崩壊で語られるイースター島の崩壊の物語を彷彿とさせます。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画な開発と環境破壊を続けた結果として、ついには資源を消費し尽くして文明が消滅してしまい、島民の生活は石器時代に戻りました。
両者の大きな違いは、イースター島は他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また、森林破壊等が国土に与える影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点です。また、それが持続可能ではないことも彼らには分かっていた(けども止められなかった)という点も見逃せません。
これはナウルだけの問題なのか、考えさせられます。

世界は2004年にオイルピークを超えて、2020年頃から生産は激減していく。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの
ジャレド・ダイアモンド

2005年に米国で発売され、ベストセラーとなった話題の1冊である。
著者は生物学から地理学、鳥類学、人類生態学まで、広範な領域で研究を続けている。ピュリッツァー賞を獲得した前作『銃・病原菌・鉄』では、これらの知識・知見を統合し、文明の発展には生態系や地形の特徴などの環境要因が大きく影響したことを指摘した。本書では、文明崩壊のメカニズムを説き明かす。

世界には、過去、大いに繁栄しながら、その後崩壊してしまった社会の遺跡があちこちに残っている。例えば、イースター島、マヤ、北米アナサジ、ノルウェー領グリーンランドなど。著者は実際にこれらの地に赴き、栄華を極めたかつての社会に思いを馳はせながら、なぜ崩壊したのか、その過程を探り、いずれも、同様の道筋をたどっていると指摘する。

ルワンダや中国が物語るもの

社会が繁栄すると人口が増える。人口が増えると、農作物の無理な増産やエネルギー消費量の拡大などで環境に過大な負荷が生じる。その結果、食糧・エネルギー不足となり、多すぎる人間が少なすぎる資源を巡って争うなど、共同体内部の衝突が激化する。飢餓・戦争・病気によって人口は減少し、社会は崩壊する――こういう具合だ。

著者は崩壊の潜在的要因として、環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手、環境問題に対する社会の対応という5つの枠組みを設定。崩壊した社会、または存続した社会に当てはめて、検証していく。崩壊を免れた社会の事例として、徳川幕府による「上から下」への統制で、持続可能な林業を作り上げた江戸時代の日本も登場する。

著者のこうした考察は、現代社会への警鐘として帰結する。第三世界の惨事の地・ルワンダ、急速に先進国の仲間入りを果たそうとする中国、最も脆弱ぜいじゃくな環境を抱えるオーストラリアなどの事例を紹介する。今日のグローバル社会では、1つの社会の争乱は別の社会の災厄となることを指摘。我々は歴史を教訓に崩壊を回避し、乗り越えられるのかと問う。

(日経エコロジー 2006/04/01 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)

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March 12, 2012

経済学博士 丹羽春喜-Haruki Niwa

ダラダラと長い、読んでるだけで疲れます
内容、意味を把握するのに
不要な言葉が多すぎな 感じですが

まぁ、、、学者ですから。

ティグリッツの所も面白い
丁寧に読めば、よく理解できます

http://www.niwa-haruki.com/
「政府紙幣」を新規に発行する

という高橋氏・田村氏の政策案には、見逃しえない問題点がある。ちょっと考えればすぐわかるように、現行の「日銀券」と併行的に、新規に「政府紙幣」を実際に発行・流通させるためには、国内に無数に存在する種々様々な自動販売機やATMなどを全てやり換えねばならない。このことをとってみただけでも、諸種の社会的トラブルがきわめて数多く発生するであろうということは、明らかなところであろう。しかも、現在の「日銀券」の流通額が約76兆円程度のものなのであるから、それに加えて新規に「政府紙幣」を数十兆円、数百兆円も発行・流通させることは無理である。高橋洋一氏が提言している25兆円でも、かなり難しい。そして、肝心の景気振興政策の規模そのものが、その額に制限されてしまい、しかも線香花火のように短期的に一回だけ実施される施策にすぎないというのであれば、現下の大不況を克服するには、あまりにも非力である。ましてや、800兆円を超す国家負債の処理ということにまでなると、まったく役に立たない。
 私自身(丹羽)は、十数年も以前から、「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage、セイニャーリッジ権限)の発動によって国の財政危機を救い、わが国の経済の興隆をはかれと提言し続けてきた者であり、いわば元祖である。

国(政府)が無限に持っている無形金融資産である「貨幣発行特権」のうちから、

所定の必要額ぶん(たとえば、500~600兆円ぶん)を、政府が(ある程度はディスカウントでもして)日銀に売り、其の代金は、日銀から政府の口座に電子信号で振り込むことにするというやり方である。しかも、このことは、現行法でも、十分に可能なことである。この方式であれば、新規の「政府紙幣」をわざわざ印刷・発行するようなことをしなくても、そして、言うまでもなく、増税をするわけでもなく、政府の負債を増やすこともなく、事実上、政府の財政財源のための無限の「打ち出の小槌」が確保されることになるのである。
私は、「無利子国債」の発行ということについては、ずっと、否定的な意見を述べ続けてきた。その理由は、それが政府の負債(日銀に対する負債であるにせよ)をいっそう大きく増やすことになるので、IMFあたりからの非難をこうむる可能性も高く、国民をますます不安にさせて士気の低下を招き、政府の政策当局のスタンスも姑息で中途半端なものにさせてしまうことになると思われるからである。
また、実は、私自身は、「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」を財政財源として活用するための、私自身が推奨・提言してきたやり方を、単なる緊急処置的な「劇薬」の一回限りの投与だなどとは、毛頭、考えていない。マクロ的なデフレ・ギャップ、インフレ・ギャップの正しく注意深い計測と観察を怠らずに、採用・実施するのであれば、それを長期的に常用することによってこそ、わが国の経済と財政は、きわめて健全化され、活力に満ちて興隆への軌道に乗るはずだと、私は論証し続けてきた。正統派的なケインズ主義的「総需要管理政策」の理論構成からすれば、そう考えざるをえないのである。すなわち、私は、高橋洋一氏や田村秀男氏が提言してきたようなレベルよりも、さらに踏み込んで、はるかにスケールの大きな高次元の財政政策・経済政策システムを構想し、それを実現すべきだと提言してきたわけである(『月刊日本』誌、本年4月号の丹羽論文を参照)。

ティグリッツ提案弁護:
スティグリッツ氏の提案は間違ってはいない━白川、滝田両氏の批判に反論する━

http://www.niwa-haruki.com/p006.html

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March 05, 2012

Inside the Meltdown

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February 08, 2012

緩速ろ過生物浄化法 "Slow Sand Ecological Purificative

http://blogs.yahoo.co.jp/cwscnkmt

緩速ろ過法 ~安全でおいしい水を求めて~  JICA-Netライブラリ

http://jica-net.jica.go.jp/lib2/08PRDM007/jp.html

 これまで、浄水処理法として知られてきた緩速ろ過法は、安心で良質な
水を廉価かつ低エネルギーで処理するシステムとして全世界的に普及して
きた。緩速ろ過法の浄化能の主役は、微小動物も含めた生物群集であるた
め、近年、生物浄化法としての多種多様な流入水質、水温等の条件と生物
の浄化能を踏まえた計画・設計・維持管理指針の整備が求められている。
また、緩速ろ過法は、今後の循環型社会・低炭素社会・自然共生型社会向
け技術として、浄水処理はもとより、水族館・プール水等アメニティ施設の
水処理、汚水処理の高度処理(塩素消毒の代替技術)、公園の池やせせら
ぎ、濠等の池水、湖沼や河川等の浄化技術としてなど多様な拡張性がある
と考えられ、同様にそういった施設への設計・維持管理指針の整備も社会
的な要求事項のひとつである。

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February 01, 2012

なぜあの会社はこんなときでも好調なのか----実例多数うまくいってる会社のメンタリティに学ぶ

その秘密は意外なところにあった

活き活きとした会社の社員は、目が輝いている。そんな会社が増えれば、ニッポン全体が元気になる。高度成長やバブルを懐かしんでいる場合じゃない。彼らから学ぶことで明るい未来が開けてくる。

社員が拍手した社長の英断
「震災当初のこと、被災地の倉庫に次々と救援物資が運ばれてくるものの、現場が混乱していて本当に必要な物資が避難所まで届かない状況がありました。それを知った弊社の社員が、自治体の職員に直談判で申し出て、本部の指示命令も待たずに、救援物資の配送を行っていました。みずからも被災者であるにもかかわらず、です。

 弊社の社訓には『ヤマトは我なり』という言葉があり、これには社員一人ひとりがヤマトグループの代表であることを絶えず意識して行動するという意味が込められています。今回の震災では、この社訓が社員に深く刻まれていることをあらためて実感しました。社員は『ヤマトは我なり』を実践してくれた、それでは会社は何をするべきか。その答えが『宅急便1個につき10円の寄付』でした」(ヤマトHD・木川眞社長)

 消費者がかつてなく厳しい目で企業を見る時代---そうした中で消費者のみならず、取引先などからも絶大な信頼を受けている日本企業がある。その共通点を探ると、いまどき好調な企業の秘密が見えてくる。

 まずは、宅配便大手のヤマトHDの事例を紹介しよう。東日本大震災を受けて同社では「宅急便1個につき10円を寄付」することを決定、寄付金は被災地の事業者に助成している。助成を受けた被災企業からこんな感謝の声が届いた。

「秋サケは1尾の重さが平均4kgあり、その加工作業は大変な重労働なので、自動処理マシンは加工業者にとって必要不可欠のものです。震災で全部ダメになってしまいましたが、新たに購入したくても資金の借り入れができないどころか債務の返済にも手が回らない状況でした。今回の助成で購入し、今後は新たに技術や流通経路を集約することで大槌町としての共同商品をプライベートブランド化して全国に提供していきたいと考えています」

 こうした声はほかにも続々と届いている。

 実例を挙げれば福島県の水族館「アクアマリンふくしま」は、8000万円の助成金を使って設備を改修、熱帯魚などの飼育展示ができるようになった。同じく福島県の相馬港では助成金1億300万円を使ってクレーンを整備・修理、昨年12月にコンテナ航路が再開している。

 ヤマトHDが昨年4月から年末までに取り扱った宅急便は約11億780万個(累計)で、寄附金は110億7800万円に積みあがっている。同社の年間純利益の4割にも相当するのだから、並の企業には決断できない額だ。

 どうしてこんな多額の寄付を行っているのか。木川社長はこう語る。

「復興支援を国に任せきりでは時間がかかる。税金だけで賄うには財政的な制約がある。長くかかればかかるほど、被災をされた方の苦しみは長引き、産業は立ち直りのきっかけを失いかねない。少しでも早く再生できるように民間企業が立ちあがり、結束しなければならない。そうした具体的行動につながる一石を投じられればと思い、寄付を始めました。

 震災直後の4月1日、社長就任の挨拶で『宅急便1個につき10円の寄付』のアイデアを幹部社員にぶつけてみたら、大きな拍手が起こりました。私は涙が出るほど嬉しかった」
ヤマト自身も被災企業である。全壊した事業所、全損した車両もある。死亡した社員もいた。自社のことだけを考えれば、寄付どころではなかったはずだ。それでも被災地支援に取り組んだのは、冒頭に木川社長が語った『ヤマトは我なり』の精神があったからだ。

ヤマトだけじゃない
 欧州発の世界同時不況にあえぐ日本企業は多い。いま改めて企業の戦略が問い直される中で、「会社のメンタリティ」に注目が集まり始めている。こんなときでもうまくいっている会社は共通して、「独自のメンタリティを持つ」ことがわかってきたからだ。

 東日本大震災を受けて、企業の〝海外逃亡〟が絶えない。新たな震災の恐怖だけでなく、超円高、高い法人税などを嫌って、拠点を次々に海外に移し替えている。おのずと国内の雇用は激減、特にかつて企業城下町として栄えた地方都市では失業者が続出している。
そんな中にあって、昨年12月、宮城県・石巻市に本社を移転したのが『築地銀だこ』などの飲食チェーンを展開するホットランド。同社もまた、独自の活動を行い、高成長を維持している企業だ。

 実は同社の被災地支援の取り組みは、「移転以前」から始まっていた。

 震災直後に1台の「銀だこカー」を走らせて、被災地での炊き出しを開始。さらに一過性のボランティアではなく継続的な被災地経済の下支えが必要だと感じた同社代表取締役の佐瀬守男氏主導で『東北応援プロジェクト「明日もがんばろう!」』を立ち上げた。被災地応援ソングを作り、これを全国の『築地銀だこ』の店舗で流した。

 被災地支援活動の賛同者に声をかけて石巻市に復興商店街「ホット横丁石巻」を開設、その運営会社を石巻市に設立したのは昨夏のこと。本社移転の半年ほど前には、すでに被災地に会社を立ち上げていたのだ。

 ホット横丁石巻は銀だこ、ホットドッグ専門店、居酒屋などが入る〝一大商店街〟。そこで働くのはほとんどが地元の被災者である。

 現地ではこんな声が聞こえてくる。

「石巻市に100人ほどの雇用が生まれました。横丁は地元の人々を雇うということでやっていただいたので、本当にありがたいです。ホットランドさんは被災地支援の規範、さきがけであってくれたと思います」(石巻商工会議所)

「石巻市は中心市街地でもまだ再開できるお店が少なく、まだまだ復興は進んでいない。そんな中で横丁は石巻の人々の憩いの場になっています。横丁では催し物もやっているので、市民の復興意識を高める力にもなっている。再生に向けた、前向きな希望の道しるべとなっていることは間違いありません」(石巻市役所商工観光課)

 ホットランドは今後も蛸の加工工場の開設なども計画しており、地元からはさらに大きな雇用が生まれると期待されている。たった一店の焼きそば屋から始まり、創業20年で売上高200億円規模の会社にまで成長した同社は、いま被災地・石巻から次の目標である「売上高500億円」を目指している。

「ホットランドは昔から全国の養護施設を回ってたこ焼きをふるまうボランティア活動を行ってきた。佐瀬氏には『ただ儲ける』だけでなく、事業を通じて『ほっとした安らぎ』を提供したいという強い信念がある。

 一般的に発展途上の企業は『儲けるにはどうすればいいか』と発想しがちだが、ホットランドの場合は先にビジョンがあって、それを実現するために事業を成功させたいという発想。今回も被災地を支援したい、でも事業がうまくいかなければ支援もままならない、だからより一層次の目標に向かって頑張れるという強い心意気を感じます」(ソーシャルプランニング代表の竹井善昭氏)

「精神」で差別化する
 直接的な利益につながらないボランティアや寄付は、余裕のある企業だけが行う噦慈善事業器だと語られてきた。しかし、いま「好調」な企業を見渡すと、たとえ苦しいときでも矜持や理念をもって、社会貢献をしているところが多いことに気づかされる。

 たとえば今回の東日本大震災を受けて現地に多数の社員をボランティアとして派遣した大手総合商社の三菱商事もその好例。いまでこそ絶好調の同社だが、商社冬の時代と言われた厳しい時代にも、創業以来の三綱領なるものを守り、積極的な社会貢献活動をしてきた実績がある。

 こんな時代にあって今年度中間決算で最高益を更新したコンビニ大手のローソンも、震災翌日に社員100名を被災地支援に送り込んだことが話題になったが、かねてより環境保護に熱心で、CO2排出量を減らすために20年かけて納品車両の台数を2分の1以下に減らすなどの地道な活動を続けてきたことはあまり知られていない。

 いまどうしてこうした企業が見直されているのか。

「背景にあるのは、世界中で各国の企業がしのぎを削るグローバル競争。画期的な商品やサービスというのは生まれにくく、作れてもすぐに他社に真似されて、同じような商品が量産され、価格安競争に陥るのが関の山です。だが、企業の『精神』や『風土』というのは差別化の余地がある。そうした中で『私利私欲を離れて消費者や地域社会に貢献する』といった行為は支援した相手がユーザーとなって戻ってくるし、長期的には強固な信頼関係を築ける。社員もこうした経験を通じて団結し、働く意欲を高めることになる。その気質が競合他社との差になり、長期的に見て企業の強みとなっている」(上武大学教授の田中秀臣氏)

もちろん社会貢献と一口にいっても、一朝一夕にできるものではない。今日から寄付を始めれば、それだけで儲けが増えるというわけでもない。中には税金逃れや宣伝目当ての下心で寄付を行う企業もある。

「特に社会貢献を喧伝するような会社には期待ができない。大々的に宣伝して、専門の部署を作って、寄付を始めた企業ほど、業績が悪くなるとすぐに撤退する。大切なのは継続してできているかどうかであり、そうした企業は事業そのものに社会貢献を組み込んでいるところが多い。

 たとえばユニクロを展開するファーストリテイリングは障害者雇用を積極的に行っているが、ほかと違うのは障害者を健常者と同じように働かせるモデルを採用していること。通常業務に不可欠な戦力として採用を行っている。惣菜大手のロック・フィールドも静岡の自社工場に風力発電所を設置。その電力で工場で使った水を浄化して、自然に戻している。さらに工場内には浄化した水が通る緑地も作り上げ、野鳥が集まる自然公園のようになっている」(一橋大学大学院教授の楠木建氏)

目先の利益を追わない
 要するに本気度が違う、やると決めたら継続する意思もある。ファーストリテイリングやロック・フィールドは厳しい業界環境にありながら利益を稼ぎ出しているが、こうしたメンタリティが企業の活力になり、好業績を生み出すパワーとなっているのだ。

 次の例も知られざるエピソードだろう。

「いまヤクルト本社がアジアを中心として新興国で大人気になっていますが、その背景には'70年代から始めている社会貢献活動がここへきて実っているという点が見逃せない。

 '70年代当時、自動車、電機メーカーが一斉に欧米に進出する中、同社は途上国に進出した。その目的は、医療環境が未整備で薬価も高い途上国で問題化していた健康問題を、消費者に手の届く価格でヤクルトを提供することで解決しようとしたことにある。しかも現地の人をヤクルトレディとして採用することで、女性に就業機会を与えることまでしている。そうした同社の熱いハートや心意気が長い年月を経て理解され、世界同時不況下でも絶好調の業績を上げる〝土台〟となっているのです」(企業経営に詳しいジャーナリストの勝見明氏)

 日本に残る「100年企業」にも、社会貢献のこんな精神が息づいている。

「カマボコ業界は生産量が30年前をピークに右肩下がり、業者数もピーク時の2500社から1000社へ激減している。その中で1865年創業の鈴廣はいまだ健在です。

 同社が先代からずっと語り継いでいる言葉に『こすからいことをやると天罰が下る』というものがある。いまも社長はそれを守って、『後ろめたい気持ちが残るような仕事だけはやりたくない』『100年も150年も商売をやらせてもらっているのにそんな経営をしてしまっては申し訳ない』と考えている。無謀な事業に走らず、ただカマボコ業を確実に継続していくことが与えられた使命として経営してきた。それでこの会社はいまも元気に生き残っている」(経営コンサルタントの岡本享二氏)

目先の利益を追うあまり短期間で消費され捨てられてしまうようなモノ作りをする企業がバタバタ倒れていくのを横目で見ながら、ヤクルト本社、鈴廣の両社は必要なモノを、必要なだけ、必要な人に届けるという企業の本分をまっとうしてきた。そんな当たり前のことが、企業の生き残りの「重要条件」となっているのだ。

 そしていま世界中の市場が開拓され、消費が飽和状態となる低成長時代に入った。パイの拡大が頭打ちになる中で、それを独り占めしようとする企業には消費者からの容赦ない制裁が下る。「自分だけが儲かればいい」と考えている企業が生き残れないのは、ウォール街から始まった反格差社会デモを見ても明らかだ。

「あまり知られていないが、アメリカでは市民団体が'80年代から『ショッピング・フォア・ア・ベターワールド』という本を出版し、何度も改訂版が出されている。これはどういった企業が、環境保護などどのような社会貢献を行っているか、また逆にどのような環境破壊活動を行っているかを詳細に評価しているもの。大量消費国家と呼ばれるアメリカでさえ、消費者は企業の〝傲慢度〟をチェックしながら、商品選択の基準にしてきた歴史がある」(ジャーナリストの嶌信彦氏)

いい社会にするのがいい会社
 このほど米アップル社が生産委託などでかかわる取引先156社の〝実名リスト〟を公表して話題になっているが、その背景には「労働環境が劣悪な現地企業と取り引きしているのではとの批判がかねてより報じられる中で、会社の実態をつまびらかにすることで憶測を払拭する狙いもあった」(全国紙経済部記者)と見られている。

 さらに前出・竹井氏によれば、

「いまハーバード大の卒業生のうち、20%近くがNPOに就職を希望している。優秀な人材を確保するためにも、企業にとって社会貢献が重要になっている」

 少子高齢化。東日本大震災。欧州危機・・・・・・。七重苦、八重苦ともいわれる環境を言い訳にして、赤字決算を垂れ流す企業がある一方で、見てきたように、外部環境にかかわりなくうまくいっている企業はこんなにある。早稲田大学大学院教授の内田和成氏もこう言う。

「いま日本では家族構成に変化が起きていて、一人暮らしの世帯が約1500万世帯、全体の30%ほどにまで増えた。中でも若い人の一人暮らしが多くを占めているのが特徴的です。さらに30代女性の未婚率が増える時代にあって、一人暮らしの女性が冷蔵庫にある、あり合わせの食材で手軽なメニューを作れるようなレシピを提供するクックパッドが業績を伸ばしているのは当然のこと。

 青山フラワーマーケットを展開するパーク・コーポレーションは、ターミナル駅に店を構え、安価にブーケを売る。知り合いに花を贈りたい、家のキッチンに花を添えたいと思ったときに、わざわざ駅から離れた花屋にいくのは面倒と考えていた人がその場で買えるから重宝されている」

 株式市場の圧力に屈して強引な拡大策に出るのではなく、消費者が必要としていない過剰なサービスを押し付けるのでもない。

 世の中の役に立つ商品やサービスを生み出す。自分だけが儲けて、周りを困窮させることもしない。消費者、従業員、取引先、地域社会のみなが一緒に幸せになるために、なにをすればいいのか一生懸命考える。そんな当たり前のことを普通にやりとおせる企業が、いま元気に、日本中で活躍している。

「週刊現代」2012年2月4日号より

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January 28, 2012

日本に詳しいアイルランド出身の経済記者。

http://diamond.jp/articles/-/15712
 いわく、経済停滞が進行中のアメリカでアメリカ人は「進むべき道を間違うと日本みたいになってしまうと繰り返し警告されている」、「たとえばCNNのアナリストは日本が『失意の国で後退している国だ』と話していた」と。しかしそれは違う、日本を経済停滞の反面教師として取り上げるのは「作り話 (myth) だ」というのが、フィングルトン氏の主張です。

「色々な指標で計れば、1990年1月の株価暴落で始まったいわゆる失われた数十年といわれる期間に日本経済はとても好調だった。重要な指標を見るなら、日本はアメリカよりずっと好成績を残している。株価急落にもかかわらず日本は国民の生活レベルを向上させてきた。いずれ時間がたてば、この時代は大成功した時代だったと評される可能性は大きい」と。

 そしてフィングルトン氏は欧米メディアの経済記事が日本を笑い者にするのは間違っているとして、いくつかの指標を挙げます。たとえば1989年から2009年にかけて日本の平均寿命が4.2年伸びたこと。これは医療が優れているからだと。そして日本はインターネットのインフラを見事に向上させたと。90年代には整備が遅れていると馬鹿にされていたが、最近では世界最速のインターネット網を備えた世界トップ50都市の内38都市が日本だという調査結果もあると。加えて1989年に比べて日本円は対ドルで87%、対ポンドで94%も価値を挙げているし、失業率4.2%はアメリカの約半分だし、1989年以降のアメリカが経常赤字を4倍以上に増やしているのに対して同時期の日本の経常黒字は3倍に増えていると。

 フィングルトン氏はさらに、複数の日本ウオッチャーによる指摘を例示し、「アメリカ人が日本に降り立った瞬間、『失われた数十年』など作り事だったと気づく」、「日本の空港はここ数年で拡張され、最先端のものに改良されているからだ」と。加えて「日本人はアメリカ人より身なりがきちんとしているし、ポルシェやアウディやベンツなど高級車の最新型に乗っている。日本ほどペットが甘やかされている国は見たことがないし、国のインフラは常に改良され進化し続けている」と。

 ピカピカの外国車やブランドものの服を着たワンコをやたら見かけるのは、たとえば東京でも一部の地域限定ではないか……と、私はここで思いました。またフィングルトン氏の書く「日本政治の失策の結果とされている日本の人口減は、かつて食糧不足に苦しんできた日本人の、国民的選択によるものだ」という部分にも、つい首をかしげました。その一方で、欧米で時に言われるほど日本はひどい状態だろうかと首をかしげてきた私は、「日本は決してダメではない」という同氏の主張に、そうだよなあと何度かうなずいたわけです。

「日本は衰退などしていない」というのはフィングルトン氏のかねてからの持論で、たとえば2005年4月にも「日は昇り続けている」と題して、「史上最大の経常黒字を発表したアジアの国は日本だ。アメリカ経済にとって最も大事なアジアの国は、依然として中国ではなく日本だ。個人所得のレベルで比べても、アメリカが指標とするべきは中国ではなく日本だ」と書いていました。それから7年たって、中国の存在感はますます高まっているわけですが、それでもフィングルトン氏は「日本は衰退などしていない」と主張を重ねているわけです。

○ しかし日本は息苦しい?

同じ『ニューヨーク・タイムズ』ではノーベル経済学賞受賞者でプリンストン大学教授で名物コラムニストのポール・クルーグマン氏がフィングルトン氏の主張に対し、「日本が衰退しているというありがちな指摘は大げさすぎる、というのはその通りだ」とした上で、「日本の経済成長が停滞している最大の原因は人口減だ」と。そして労働者ひとりあたりのGDPで日米を比較すると、1990-2000年にかけては本当に日本の労働者の生産性はアメリカに比べて下落していたが、2000年以降は持ち直しているのだと指摘します(もっとも日本の労働者の生産性がアメリカのそれに常に満たないというのが、私には驚きでしたが)。

日本経済はひたすら悪化し続けているという一般イメージは間違っているし、日本は確かに1990-2000年に経済停滞を経験したが、その最中にあっても「アメリカがいま経験しているほどのすさまじい苦しみ、人的被害(human disaster)を日本は免れた」ともクルーグマン教授は言います。

「(経済危機に直面するアメリカは)日本と同じくらいひどい対応をする羽目になるのかと質問されるたびに、最早それどころではないと僕は答えている。アメリカは実を言えば、日本が経験していないほどひどい状態にある」とクルーグマン教授は結んでいます。

そして英BBCニュースも「日本は本当に停滞しているのか?」という特派員リポートと併せて、トーク番組でフィングルトン氏の主張を取り上げていました。深刻な経済危機を目の前に「日本のようになってはならない」というのが通説だが、フィングルトン氏は真逆のことを言っていると。

まずローランド・バーク東京特派員は、「日本は20年も停滞していたようには見えない。往来は活気に溢れ、女性の半数はルイ・ヴィトンやその他のブランドものバッグをもっている。ミシュランの星がついたレストランの数はパリより多い」とリポート(ミシュラン云々のくだりで映ってるお店がドトールだというのが苦笑ものですが)。「(経済危機に直面する)欧米は日本のようになるのを恐れるのではなく、日本のようになろうとお手本にすべきなのでしょうか」と問題提起し、そして輸出用精密機械の基盤を作る日本企業を紹介しています。この会社は円高による苦境を乗り切るのに、従業員を削減するのではなく、なんと全員の給与を下げたのだと。「なぜそんなことができるのですか」と尋ねるバーク記者に、日本人マネージャーが「だって、クビにするべき人はひとりもいませんから」と答える姿が映し出されます。

そしてこれについて番組では、『フィナンシャル・タイムズ』のアメリカ編集長で元東京支局長のジリアン・テット氏(サブプライム危機を予測した記者として有名)が、日本のGDPや経済成長も確かに再評価されるべきだと認めた上で、何より特に注目すべきはこうやって従業員をクビにするよりは全員で給与カットを受け入れようという日本社会の発想だと指摘。この事例からも明らかなように、日本社会において特に大事なのは「social cohesion」、社会の一体性、団結力なのだと話していました。注目すべきは「日本社会の、みんなで痛みを共有できる力、みんなでがんばれる力です」と。

「経営が厳しい時に従業員の給与をカットして辛い時期を乗り切ることができるというのは、経済に柔軟性を与え、社会に団結力を与えます」とも。加えて、日本の巨額な公的債務も問題視されているが、これも欧米とは事情が違うと。なぜなら日本の国債の大半を保有するのは外国人投資家ではなく日本人なので。ゆえに日本の財政健全化のために日本人投資家がヘアカット(債務元本の削減)を受け入れるのはあり得る話で、それが海外投資家に債務の半分を所有されている欧米の財務危機とは事情が違うと。

ただし、とテット記者は付け足します。一致団結を重視する日本社会の負の側面、つまり「conform(順応・同化)」しなければならない社会だという面を、アメリカ人やイギリス人が好んで受け入れるとは思えないと。

「合意をベースにした社会システムはある意味で、順応を強制させられる息の詰まる社会なので、ほとんどのアメリカ人やイギリス人にとって、受け入れるのは大変だと思う。結婚したり子供が生まれたら多くの女性が仕事を辞める、それが現代日本の現実なので」とも。つまりみんなで痛みを分かち合うことのできる社会とは裏を返せば、「みんな」に同化できなければ息苦しい社会だと。そういう「trade off(交換、相殺)」があるのだと。

「みんな」にどれだけ助けてもらえるか、それは確かに「みんな」にどれだけ同化ないしは参加しているかによる。それは日本の大きな特徴だと思います。ただアメリカにもそれなりに、ましてやイギリスにはかなり、自分が属する集団・組織や社会グループ内での同調圧力はあって、それに同調しておけばいざという時に助けてもらえる仕組みは両国にもあると思います。同調圧力に逆らうことで失うものは、アメリカにだってイギリスにだってあるでしょう。ただし同調圧力が日本と比べて強いか弱いかの違いはあるだろうし、「いざとなっても誰にも助けてもらえない」絶望感がより強い人たちの間で、激しいデモや暴動が発生するのだろうかとも思います。

○ 経済成長率より大切なことが

そして『ワシントン・ポスト』系のオピニオンサイト『Slate』では政治経済ライターのマシュー・イグレシアス氏も、日米の人口構成の違いを勘案すれば日本経済の状態は言われているほどひどくないし、経済成長率以外にも大切なことは人生にたくさんあると指摘。「日本は暮らすのにいいところだし、日本の人たちはとても健康で、顧客サービスのレベルは高いし、凶悪犯罪は比較的少ないし、激しい社会不安も比較的少ない」と。それでも就業率や若者の失業率の推移など統計を見れば日本経済の状態が1990年以降悪化を続けたのは一目瞭然で、「円高が続くから日本経済は堅調だ」「失われた10年など作り事だ」というフィングルトン氏の主張は、それは違うのではないかとイグレシアス氏は反論しています。

個人的には、このイグレシアス氏の意見が妥当な気がします。日本は確かに停滞したが、社会の状況は外国と比べてどうだろうと。「比較的 (relatively)」というのがキーワードで、上で書いたように私が「そんなに日本はひどいか?」と考えていたのも、日本以外と比較してのことです。

それでも、いやいや、日本は本当にひどいことになっているのだ、フィングルトン氏は全く間違っているという反論もありました。『ニューヨーク・タイムズ』には、かつて『ナイト・リダー』系列各紙の東京特派員だったマイケル・ジーレンジガー氏が投書し、「日本は縮小しつつあり、ますます内向きになっている。(世界における)重要性を失いつつある国だ」とフィングルトン氏に反論。企業への忠誠に縛られて夫たちは家庭にいる暇がない。そんな社会で女性たちは子供を産もうとしないし、政治は信用を失い、公的債務はGDPの2倍以上。オリンパス問題は日本企業がいかに身内意識に汚染されているかの証拠だったし、日本がいかに危機に対応できないかは原発事故で改めてあらわになったと、これぞ通説とも言える日本衰退論をたたみかけています。「アメリカが力を失っているからといって、日本が力を増したわけではない」「日本社会は個人を応援しない。そんな日本を脱出して個人を支えてくれる社会を求めて、(アメリカの)ブルックリンやサンフランシスコに移住してきた何千人もの日本の若者に聞いてみるといい」とも。

日本を生きづらく感じて海外に脱出したいという思い、それは私にもありましたから、よく分かります。一方で欧米を生きづらく感じて日本にやってくる人もいるわけで(比較すれば少数でしょうが)、必ずしも「日本を脱出する若者がいる=日本はダメ」にはならないのでは? 私はついついこういう話になると、「それは個人個人の感じ方の違いではないですか?」と思ってしまい、十把一絡げな総論を嫌うクセがあるので、「その個人の感じ方の違いが日本では尊重されないんだ、だからダメなんだ」と思う人とは、話がぐるぐるしそうな気もします。

さて、日本は本当に衰退しているのか。日本は本当に生きづらい国なのか。どう思いますか?

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日本の「失われた20年」は「10年×2」だった?

http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2012/data/ko120111a.pdf
URL:http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2012/01/20102.php


 1990年代は「失われた10年」と呼ばれたが、その後も日本経済は回復しないため、最近では「失われた20年」と呼ぶことが多い。しかし日本銀行の白川方明総裁は、今月ロンドンで行なわれた講演で、これに異をとなえた。

 前半はバブル崩壊にともなう不良債権処理によるものだったが、これは2003年ごろに終わった。日本の2000年代の実質GDP成長率は、左の図ように主要国で最低だが、これは高齢化で労働者が退職した影響が大きい。生産年齢人口一人当たり成長率で見ると、右の図のように主要国で最高である。

2000年代の実質GDP成長率

 つまり日本は、90年代の落ち込みから2000年代には回復したが、急速な労働人口の減少がそれを打ち消してしまったのだ。したがって日本は20年失ったのではなく、前半の10年は金融危機の処理の失敗が原因だったが、後半の10年は「世界の経済史に例を見ないような急速な高齢化や人口減少」が低成長の原因だった。日本の失敗は愚かな経済政策によるもので、他の国では同じことは起こらないと考えられていたが、今では欧米諸国が日本の後を追っている。それは日本のように「長く曲がりくねった道」になるだろう――というのが白川総裁の見立てである

 おもしろいことに、ポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)も同じことを書いている。2007年の日本の成長率は、生産年齢人口一人当たりの成長率で見ると1990年ごろの水準に回復しており、2008年以降の落ち込みは世界金融危機によるものだ。むしろアメリカの状況は日本より悪い、と彼は述べている。

 これには異論もあろう。日本は90年代に実質ゼロ成長だったので、2000年ごろには他国と大きな差がついており、バブル崩壊前のトレンドに戻るだけで成長率は高くなる。クルーグマンがその後の記事で書いているように、日本の労働者一人当たりのGDPは90年代以前のトレンドの延長に戻っただけで、絶対的には高くない。全体として日本経済が低成長に入ったことは明らかであり、20年かかって通常の成熟状態に戻っただけだ。

 白川総裁のいうように欧米諸国がこれから日本のあとを追うとすれば、2008年を起点にすると、あと5年は「世界経済の失われた10年」が続くおそれが強い。日本の教訓は生かせないのだろうか。この点についてクルーグマンは「日本銀行はもっと積極的な金融緩和を行なうべきだった」としているが、白川総裁は「バランスシート調整が続いている状況では金融政策の有効性が低下する」という。企業が過剰債務を返済しているとき、金利を下げても資金需要がないからだ。

 これは世界経済にとっては重要な問題である。白川総裁もいうように、FRB(連邦準備制度理事会)のQE2(量的緩和第2弾)など、世界の中央銀行のとっている政策は10年前に日銀のとった政策をまねているが、日本の教訓はこうした政策の効果は実体経済が回復しない限り限定的だということだ。白川総裁は金融政策にできるのは、しょせん「時間を買う」ことでしかないと述べて、構造改革の必要を強調している。

主要国の短期金利がゼロ近くに低下している中で、日本銀行を含め、主要国の中央銀行は様々な非伝統的政策を使って長期金利を引き下げたり、信用スプレッドを引き下げることによって金融緩和効果を創出する努力をしている。しかし、それと同時に、中央銀行がこうした措置を講じて時間を買っている間に、必要な構造改革を進めることが不可欠であることを感じる。

 金融危機からの回復には、近道はない。この「長くて曲がりくねった道」は、まだしばらく続くことを覚悟しなければならないようだ。今はその道の先に断崖絶壁が待っていないことを願うしかない。

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中国は先進国になれない

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/01/post-2390.php

最大の強みだった豊富な労働力は過去のもの。巨大な成長マシンが一気に崩れる意外な理由とは

01年の会社設立からわずか10年でシャープや京セラといった日本勢を蹴散らし、世界の太陽光発電パネル市場のトップに立った江蘇省無錫のサンテックパワー(尚徳電力)は、「日中逆転」の象徴として話題の企業だ。

「とても面白いところだった」と、最近その工場を訪ねたある証券会社のアナリストは言う。クリーンルームに入るため靴を履き替え帽子をかぶり、ガラス越しに各工程の説明を受けるのはほかの最先端工場と同じ。違うのは、クリーンルームの中が「人でいっぱいだった」ことだ。

 一見すると最先端技術の塊のような太陽光発電パネルの製造も、中国の手に掛かれば人件費の安さに依存した労働集約型のビジネスモデルになる。サンテックの例は、先進国になれるのかそれとも新興国止まりなのか──大きな岐路に立つ中国経済の姿を鮮明に映し出している。

 決定的な鍵を握るのは、2015年をピークに生産年齢人口(15〜64歳)が減少の一途をたどる急速な少子高齢化と、それに対する産業や経済の適応力だ。

 一見、中国は今の勢いで先進国の仲間入りを果たすかのように見える。中国は昨年、GDP(国内総生産)で日本を抜き世界第2位の経済大国に躍り出たばかり。うまくすれば、1人当たりGDPでも現在の4000ドルから、世界銀行による「高所得国」の定義である1万2000ドルを達成するかもしれない。

「3人でできる仕事を10人でやりながら競争力を保っているということは、いま進めている自動化が進めば、労働人口が減ってもなお競争力が増す可能性があるということだ」と、先のアナリストは言う。

 一人一人の生産性が上がれば、生産年齢人口が減っても中国は高成長を維持し、自動化であぶれた労働者も新たな雇用で吸収できる。結果的に格差は縮小し、誰もが衣食住足りて文化的な生活を送る先進国のイメージに近づくことも不可能ではない。

 だが、そう楽観的でないもう1つのシナリオもある。サンテックのクリーンルームのように、中国経済がいつまでも安価な大量の労働力頼みに終わるという可能性だ。資本集約型への生産シフトや技術革新による生産性の向上が達成できなければ、生産年齢人口が減っていくなか、これまでのような成長はとても望めなくなる。見掛け倒しを露呈した高速鉄道の事故は、氷山の一角かもしれない。

 今のところ現実味があるのは後者のシナリオだ。世界銀行は5年ほど前から、中国が「中所得国の罠」に陥る危険性を指摘してきた。1人当たりGDPで見ると、中国は「後開発途上国」「低所得国」の段階を脱して中所得国の位置にいる。「中所得国の罠」とは、次のステージである高所得国になる前に成長が止まってしまうことだ。

「人口ボーナス」の衝撃
 中所得国から高所得国へのハードルはとりわけ高く、過去にはアルゼンチン、ブラジルなどの中南米諸国や旧東欧諸国が飛び越えようとして挫折してきた。日本や香港、台湾、シンガポール、韓国の成功は「東アジアの奇跡」と受け止められている。

 だが中国の「奇跡」への仲間入りは実現しそうにない。資産バブルやインフレ、不良債権問題など長年の懸案ゆえではない。コピー商品と非効率な国有企業が今ものさばり、腐敗が蔓延しているからでもない。

 中国が抱え込んでいるのは、解決困難な構造問題だ。中国は世界で初めて、1人当たりGDPが先進国の水準に達する前に生産年齢人口の急減と急速な少子高齢化を経験する国になる。このことが、克服し難い大きな負担になる。

「人口学的分析では、中国は国民の富裕化より高齢化のほうが急速に進み、社会保障を整える前に高齢化社会に入る。危機的な社会状況だ」と、フランスの人口学者エマニュエル・トッドはロイター通信に語っている。

 決して遠い先の話ではない。大和総研の中国担当シニアエコノミスト齋藤尚登によれば、中国の2桁近い高成長が続くのはあと5年ほどで、その後は次第に減速し、20年以降は5〜6%に落ちる。今なら大量の失業者が出る低成長に中国が陥るのは、インフレのためでもバブル崩壊のためでもなく、10年後には労働力が足りなくなるため、そのレベルの成長しかできなくなるからだ。

 真の豊かさを達成する前に人口が減り始める衝撃の大きさは、前例がないだけにはっきりとは分からない。だが、先進国の仲間入りも時間の問題と思われてきたアジアの超大国のイメージは、少なくとも下方修正する必要があるだろう。

 中国の少子高齢化の経済に対するインパクトが注目され始めたのは、東アジアの奇跡を解明しようとしたハーバード大学の人口学者デービッド・ブルームらの研究と関係がある。彼らが10年ほど前に特定した「人口ボーナス(恩恵)」と「人口オーナス(負担)」の経済に与える影響の大きさが、次第に広く認識されるようになったのだ。

 多くの途上国がいつまでも貧困から抜け出せない最大の要因は、子供が多過ぎるためだ。労働力にならない子供の数が多いほど社会全体の負担は増えるのに、教育レベルの低さや飢餓や病気で死ぬリスクを恐れて母親はたくさん産んでしまう。

 だがいったん社会が豊かになり始めると、出生率は下がって社会の中で扶養しなければならない子供の比率は減る。その結果、生産年齢人口の比率が相対的に最も大きくなる経済成長に最適の人口構成が表れる。これが「人口ボーナス」といわれる現象だ。

元凶は一人っ子政策か
 人口ボーナスは一国に一度きりしか訪れない一発逆転のチャンスだ。人口ボーナス期が終わると、少子化とベビーブーム世代の高齢化がもたらす「人口オーナス」との戦いで成長どころではなくなる。

 中国は、その一度きりの人口ボーナスを生かし切れなかった可能性がある。日本の人口ボーナス期が終わった1990年の1人当たりGDPは2万7000ドルだったが、中国の人口ボーナスが終わるとみられる15年の1人当たりGDPの予測額は5000ドルにも達しない。IMFの高所得国の定義である1万2000ドルははるかかなただ。

 日本総研環太平洋戦略研究センターの大泉啓一郎・主任研究員によれば、中国が人口ボーナスを生かし切れなかった原因は2つある。

 1つは、78年の経済開放以前の60年代後半から人口ボーナスが始まったため、その時期の多くを計画経済下の重工業強化に費やしてしまったこと。労働力が最も豊富な時期に、労働集約型の軽工業を発展させられなかったのは、計画経済の弊害だ。

 2つ目の理由は、経済発展が不十分な段階で人口ボーナスが始まったため、労働力の大半が農村にとどまってしまったこと。70年代末以降の「世界の工場」としての中国の発展は目覚ましかったが、大泉によれば70年代に17%だった工業部門の就業人口は、95年になっても23%までしか上昇しなかった。

 対照的に人口ボーナスを産業構造の転換に生かし切ったのは韓国で、まず農業から工業へのシフト「農工転換」を実現し、その後サービス業や金融業にススムーズに移行した。

 中国も問題は自覚している。所得水準が十分上がらないうちに本格的な少子高齢化を迎えてしまうことを「未富先老」問題と呼んで、一人っ子政策の廃止といった対策を検討している。

 5月に開催された中国政府のシンポジウムでの報告によれば、中国の合計特殊出生率(1人の女性が生涯で産む子供の数)は、92年から人口が増えもせず減りもしない水準とされる2.1を下回り続け、現在は1.6まで低下している。

 急激な少子化の原因としては一人っ子政策を理由に挙げる専門家が多いが、豊かになって子供を産まない現象が日本などより早く進行した、と指摘する専門家もいる。生活費や教育費が高い上海では、一人っ子政策が終わっても子供は持ちたくないという夫婦も増えていると、大和総研の齋藤は言う。

中国発、バブル崩壊の波
 もちろん楽観論もある。人口減少に対する最良の対策は、一人一人の生産性を上げること。人手が減っても、サンテックのような企業が機械化を進めて割安で革新的な製品を作り続ければ、高成長を維持していずれは先進国入りするかもしれない。

「人口は減ってもGDPが増えるということもあり得る」と、サンテックを訪ねたアナリストは言う。子供たちの数が減ることで、質の高い労働力に育て上げるための教育投資や子育て消費が増える可能性もある。

 仮に労働人口が減ったとしても、農村から都市へと人が移動する都市化が続く限り成長は続くという主張もある。都市に人が集まり刺激し合えば、新しいアイデアも生まれる。宅配便などは、まさに都市化ありきのビッグビジネスだ。

 だがいったん労働人口の減少が始まれば、それを巻き戻すことは極めて難しい。

 まず中国の都市労働者の退職年齢は53歳と若く、現在40〜44歳の第1次ベビーブーム世代が10年後には退職年齢に突入して退職者が一気に増える。現在20〜24歳の第2次ベビーブーム世代は、大半が高校を卒業して既に社会に出てしまっている。

 退職年齢を65歳まで引き上げる政策も、労働者の教育水準が低く、高齢なのに肉体労働しかできない人が多い中国では非現実的だ。現在60歳前後の中国人の平均教育年数は6年間で、小学校卒レベルでしかない。40代でようやく中卒レベルの9年間というのが実情だ。

 一人っ子政策をやめれば人口が増える、というのも誤解でしかない。少子化で子供を産む女性の数自体が減っているからだ。仮に一人っ子政策をやめたとしても、母親の数が増えるまでには20〜30年かかり、その間人口の減少は続いていく。

 少なくとも、これから生まれる子供が生産年齢に達するまでの15年間は、生産年齢に達しない子供とベビーブーム世代の大量退職者が二重の社会負担として企業や家計にのしかかる。低成長のせいで貧富の格差は解消せず、失業も増える。人口オーナス期の到来だ。

 専門家は、人口減少が中国経済と世界経済にもたらす痛みの大きさを懸念している。GDPの半分を占める公共投資と設備投資がもたらした建設バブルは、人口増加を当てにして数多くの空港やマンション群を生み出した。「人口が増えなければ腐る資産ばかりだ」と、日本政策投資銀行参事役の藻谷浩介は言う。一部では内モンゴル自治区オルドス市のように、新興住宅地などのゴーストタウン化も始まっている。

 しかも、全世界が一獲千金を夢見た対中投資によってこの巨大バブルに加担している。人口減少を引き金に、中国を震源とするバブル崩壊が世界中に広がるかもしれない。

 アップルなど世界のメーカーがそのビジネスの前提としてきた中国の若くて豊富な労働力は、いずれ消える。中国人の代わりはすぐには見つからず、世界中の物の値段が上がるだろう。

 しかも中国の後にはタイやベトナム、インドネシアが続々と早過ぎる生産年齢人口の減少を迎えることになる。貧困撲滅のため70年代に一斉に採用した産児制限が原因だ。「東アジアの奇跡」の一方で、「東アジアの悲劇」が生まれかねない。

これまで猛スピードで走ってきた中国は、本当に先進国の仲間入りを果たせないまま、ゴーストタウンだらけの国になるのか。それは10年後にサンテックのクリーンルームを訪ねてみれば分かるだろう。

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