October 15, 2017

仮想通貨ビットコインの取引を行ったとしたら解雇する

「米銀JPモルガン・チェースのダイモン最高経営責任者(CEO)は12日、同行のトレーダーが仮想通貨ビットコインの取引を行ったとしたら解雇すると言明した」
、同行のトレーダーが仮想通貨ビットコインの取引を行ったとしたら解雇すると言明した」

「ダイモンCEOはニューヨークでの投資家会議で、ビットコインは『良い終わり方はしないだろう』と述べ、バブルがはじけると予言。『これは詐欺』であり、最古のバブルと言われる17世紀オランダの『チューリップ球根より悪い』と指摘した」

「同CEOはその上で、JPモルガンのトレーダーがビットコイン取引を始めたとしたら、『即座に解雇するだろう。理由は2つだ。当行の規則に反する上に愚かであり、いずれも危険なことだ』と語った」

「ダイモンCEOは、特に何か問題が発生すれば、監督を受けずに仮想通貨が流通するのを各国当局は許さないだろうと指摘した。ビットコインの基となるブロックチェーン技術については、有益かもしれないとしつつも、同技術を銀行が応用できるようになるまでには時間がかかると述べた」

「同CEOはさらに、『ベネズエラやエクアドル、北朝鮮などに住む人や、麻薬密売人や殺人者の類いであればドルよりもビットコインを使うことで裕福になるだろう』」

このような、ビットコインなどの仮想通貨への疑問視の姿勢は、世界的に強まっている。各国で規制が導入され始めており、日本の金融庁をはじめ世界の金融当局が問題しているのは、特に利用者保護とマネーロンダリングの観点である。日本の当局対応も、実は、この9月末が山となるのである。

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うまくいかないことを「親」や「配偶者」や「時代」のせいにしているあなたへ

うまくいかないことを「親」や「配偶者」や「時代」のせいにしているあなたへ

あなたの人生に革命を起こす「アルフレッド・アドラーの言葉」を特別公開!

「言い訳」をしても事態は何も変わらない

言い訳をして責任転嫁をすると、その一瞬は気持ちがラクになります。親が悪い、上司が悪い、部下が悪い、配偶者が悪い、社会が悪い。だから、自分は悪くない。心がスッと晴れることでしょう。しかし、それは一瞬のことでしかありません。

 自分の不幸な境遇を運命のせいにして嘆いていても何ら事態は好転しません。自らアクションを起こすことでしか運命は好転しないからです。 世の中の政治が悪いから、と嘆いても何も世の中は変わらないでしょう。本当に政治を変えたいのであれば、自らが政治家になるなど、それ相応の大きな努力が必要です。

 遺伝や親の育て方を恨んでも、何一つ変わらないでしょう。過去を受け入れ、前提条件とみなしていくしかありません。理解のない配偶者や上司に責任転嫁しても問題は解決しません。責任転嫁をされた相手は余計に反発してあなたに辛く当たるでしょう。

 人は過去と他人を変えることはできません。自分自身の考え方や行動を変えることでしか、未来を変えることはできません。そして、人は誰もが自らを変える力を持っている。 つまりは、未来を変える力を持っているのです。

 ですから、いつまでも目の前の課題から逃げ続けるわけにはいきません。必ずどこかのタイミングで自分ごととして向き合う必要があるでしょう。虫歯が痛い時に、痛み止めを使っても虫歯は治りません。正面から向き合って根本治療をしなければならないのです。

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August 02, 2017

飲食店経営に手を出したら、その先には「地獄」が待っている

飲食店経営に手を出したら、その先には「地獄」が待っている
町中華は残り、あなたの店が潰れる理由

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52348

飲食業は「勝てないビジネスモデル」

筆者は、ベンチャーキャピタリストとして1000以上のビジネスモデルを見てきたと同時に、自身でも事業のゼロからの立ち上げ、飲食業も含めさまざまな投資案件を見極めている。現在、投資実行している会社の売上合計は60億円で、4億円の営業利益を出している。

この経験から感じたのは、飲食業は「基本的には勝てないビジネスモデル」だということである。これはもう、断言してもいい。

チェーン店は残るが、突然オープンした謎の居酒屋はすぐに姿を消す。一方で、町中華や、中国人が家族で経営する中華料理店は、なぜだか残っていたりする…。ピンとくる方も多いだろう。

「やってみようかな」が誤り

さらに、外食は箱ビジネスであり、立地に左右され、簡単に動くことができないのも、戦いを厳しくする大きな理由の1つである。隣に新しい競合店ができても、その場で戦い続けなければならない。また、その界隈に同様の店が乱立してしまえば、新しいもの好きの人々はそちらに行ってしまうだろう。

一度流行りのイタリアンが出来れば、「この地域はイタリアンが流行る」と評判がたち、似たような店が乱立する…これも思い当たるところがあるだろう。飲食店を作ってしまえば消耗戦が余儀なくされる。

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July 23, 2017

世界危機、10年周期

世界危機、10年周期
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52351
過去を振り返ると、立て続けに末尾に「7」が付く年に金融危機が起こった。

1987年ブラックマンデー、1997年アジア通貨危機、2007年サブプライム・ローン危機からリーマンショックである。10年ひと昔とはよく言ったもので、10年ごとの危機だった。リーマンショックは複合的な問題であったが、ブラックマンデーとアジア通貨危機は“先進国の利上げ”がその主たる原因であった。

87年10月に発生した「ブラックマンデー」は、ドイツ(当時西ドイツ)の利上げが主因である。当時、米国と日本とドイツで「機関車政策」と銘打って、金融政策においても協調して金利を下げていった。しかし、ドイツはインフレが高まり、単独で金利を引き上げた。その結果、米独の金利差が拡大し、米国からドイツへ資金が流出することによって株価が大暴落した。

97年7月にタイから発生した「アジア通貨危機」は、米国の利上げがそもそもの原因である。各国が調達していたドル資金が利上げで米国に巻き戻ることで、ドル調達が困難になった。

しかも当時、アジア諸国の通貨は対ドル固定相場制で、ドル売りで自国通貨を守ろうとしたが、それに投機筋が乗じて、外貨準備が枯渇し、通貨制度が崩壊して、結果として、アジア通貨は軒並み、大幅に下落することとなった。

この他にも90年代の「南米危機」を始め、先進国の利上げによって新興国(発展途上国)が通貨危機になることは列挙に暇がない。

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June 18, 2017

自力で生産性を上げる「働き方改革」

自力で生産性を上げる「働き方改革」 
ケリー・マクゴニガルさんに聞く
2017/5/6
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO15322360U7A410C1000000/

■「労働時間」の短縮だけでは実現できない

 安倍晋三首相の提唱する「働き方改革」は、長時間労働の是正や女性が働きやすい環境作りを目指していると聞きました。私はこの改革そのものが、「やる気」や「生産性の向上」についての心理学の研究結果に沿ったものだと思っています。これからどんな具体的な施策が整えられていくのか、とても興味があります。

 私が考える「働き方革命」とは、職場に「思いやりのあるコミュニティー」をつくることです。働いている人が「会社(職場)が自分と同じ価値観を共有し、それに沿って行動する機会を与えてくれる」と感じられ、安心して働くことのできる環境を整えることです。

 これは、単に労働時間を短縮すればいいということではありません。働く人のやる気を高めるためにどんなことができるか、有能な女性たちを離職させないためにどんなことができるか、しっかり考える必要があります。人は自分の仕事への関心が高ければ、たとえ時間をコントロールできない状況であっても生産的に働く道を見つけ出すものだからです。労働条件を整えるだけでなく、その条件の中でどうすれば働く人が意義を感じられ、満足感を得られ、健康でいられるようにできるのか、といったことが課題になります。

 その1つが、仕事における「自由と柔軟性(freedom and flexibility)」です。これは仕事をどう進め、時間をどう使うかを、本人が柔軟に決められる状態を指しています。この「自由と柔軟性」を実現することが、働く人の生産性や仕事への取り組みを向上させ、健康につながることが分かっています。

■仕事に意義と目的を持たせる

 もしあなたがあまり自由の利かない立場にいたとしても、「ジョブ・クラフティング」という手法を使って、改善できることもあります。「ジョブ・クラフティング」とは、自分の仕事を柔軟に捉え、定義し直して、「やらされている感覚のある仕事」を「やりがいのある仕事」に自ら変えていく手法です。

 例えば、あるバスの運転手を例に取って考えてみましょう。彼はバスの運行スケジュールや業務内容を決める権限を持たず、上から言われるままに仕事をしていました。このため、極度の疲弊状態にあったのです。しかし彼は、自分の職務をこう再定義しました。「自分はただバスを運行するのではなく、バスに乗るすべての人を温かく迎える存在なのだ」と。

 その瞬間、それが彼の「仕事」になりました。時間通りにバスを運行することだけが仕事なのではなく、仕事の進め方を自分で決めたのです。彼が「乗客に歓迎の気持ちを伝えたい」と考えたことで、日々の業務に小さな選択と変化が生まれました。「どう挨拶しようか」「次の停留所までの間、乗客に気持ちよく過ごしてもらうにはどうすればいいか」。そんな選択です。その選択の結果、彼の態度は変化しました。こうして彼は、仕事に意義と目的を持つようになったのです。

 どんな仕事でも、これと同じことができます。つまり、「この仕事をこう(いう価値のあるものであると)定義しよう」と、考えてみるのです。

■まずは「リストアップ」することから

 では具体的に、「ジョブ・クラフティング」をどうやるか、お教えしましょう。

 まず、(1)「自分の仕事(作業)」をリストアップしてください。次に、(2)「(仕事について)自分が満足していること・意義を感じていること」も、すべてリストアップします。

 次に、この2つのリストを並べ、(1)「自分の仕事(作業)」と、(2)「(仕事について)自分が満足していること・意義を感じていること」をどう結びつけるか、考えます。つまり先に紹介したバスの運転手のように、日々こなしている作業と、「(その作業を通して)どんな経験を積みたいか」「自分の強みをどう(その作業に)生かしたいか」という「(自分の)価値観」とを関連づけ、意義あることをしていると感じられる時間が増えるように、作業内容を定義し直すのです。

 「自分のしていることに対する考え方」を変えることで、仕事で感じる意義や満足感を大きくすることができるのが、「ジョブ・クラフティング」なのです。これはあまり自由の利かない仕事や立場にいる人にも有効で、今まで気が進まなかった仕事に、目的や意義を与えてくれます。

■やる気は「ある・なし」ではない

 生産性と切っても切れないものに、やる気(モチベーション)があります。「あの人はやる気がない」というように、やる気を「ある」か「ない」かで考える人がいます。でも実際には、やる気が「ない」のではなく、自分が持っているやる気や意欲を満足させる具体的な方法を見つけられないだけなのです。そうした欲求が満たされないために、仕事をするエネルギーがなくなってしまうように感じます。

 私が学生に出す課題に、「変えたい、実行したいと思っているけれど、まだ成功していないことを思い浮かべて、自分のやる気(モチベーション)に目を向ける」というものがあります。モチベーションの中には、人の成長や変化の妨げになるものもあるからです。

 例えば、あなたが何らかの目標を抱いたとしましょう。その目標達成のためにあなたを突き動かすやる気(モチベーション)が、「(これをしないと)失敗して恥をかくから」という類いのものの場合、長い目で見るとそれは(実行したとしても)成功につながらない可能性があります。

 逆に「あなたに活力を与えてくれるやる気(モチベーション)」には、2種類のタイプがあります。

 1つは、目標達成のための行動が、自分の価値観と一致している時に発揮されるやる気(モチベーション)です。この時、人は「なりたい自分になれている」という満足感を抱きます。

 もう1つは、目標を達成するために行動している時に、本能的に「楽しい」と感じ、やる気(モチベーション)が起きているかどうかです。楽しむことで人は、作業のプロセスに満足感ややりがいを覚えることができるからです。

 取りかからなければならないことをグズグズと先延ばしにしている学生には、なぜそれがその人にとって大事なのか、説明してもらいます。もしうまく説明できないようなら、間違った目標を設定している可能性があります。その人が本当に求めている目標(ゴール)や目的でないから、やる気(モチベーション)が出ないのです。

 こうした確認は、とても大切です。「やるべきだから」とか、「やると言ってしまったから」という理由で物事をこなしている時には、勇気を出してその目標(ゴール)を変更し、別の目標(ゴール)を探した方がいい場合もあることを覚えておいてください。

■ストレスを定義し直せば死亡リスクが下がる

 もう1つ、仕事を語る時に引き合いに出されるのが、「ストレス」についてです。

 米ウィスコンシン大学で行われた研究によると、「ストレスは健康に悪い」と考えている人が強度のストレスにさらされた場合、死亡リスクが上がるという研究結果が出ました。一方で、「ストレスは健康に悪いわけではない」と考える人が強度のストレスにさらされた場合、死亡リスクは低いという結果が出たのです。「ストレスに対する考え方」が、「ストレスから受ける影響」を大きく変えてしまう、という事実が分かる事例です。

 別の研究では、こんな結果も出ています。「仕事のストレスを自分でコントロールできていると思える人は死亡リスクが下がる。その割合が低ければ、死亡リスクが高まる」というものです。

 この2つの研究から分かることは、「仕事にやりがいを感じている人はストレスから守られるけれど、仕事に意義・価値を見いだせないでいるとストレスにさらされ死亡リスクを高めてしまう」ということです。

 つまり、「ストレスをどう捉えるか」の違いが、心臓病にかかったり、死亡リスクが高まったりという心身の問題にまで発展するのです。ストレスにうまく対処するためには、ストレスを自分の人生の一部として受け入れることから始まります。

 そこで私は皆さんに、ストレスを定義し直すよう勧めています。 多くの人は、ストレスを「起きてほしくないことが起きている状態」と定義します。あるいはストレスを、「心身が不健康な状態」と定義しているのです。

 私がお勧めする第3の定義は、ストレスは「大事なものが危機にさらされている時に起こるもの(反応)」と捉えることです。それは、「体の変化」かもしれませんし、「感情の動き」かもしれません。

 ストレスにさらされながらも仕事にやりがいを感じている人は、ストレスの声に耳を傾け、ストレスと上手に関わっています。ストレスが伝えようとしていることを見極め、そこから学び、成長しようとします。これが、ストレスを味方につける第1ステップです。

■ストレスが学びと成長の助けになる

 ストレスを味方につける第2のステップは、ストレスに注意を向けて、ストレスが出しているシグナルが何なのかを理解することです。例えば、私自身がストレスにさらされている時、不安になったり、心臓が早鐘のように打つなど体に一定の反応が起きます。そんな時は精神を集中させ、落ち着いて自分自身に問いかけます。「問題は何? なぜストレスを感じている? このストレスは私に何を伝えようとしている?」と。

 そして、ストレスの原因を考えてみます。今感じているこのストレスは、何かを行動に移すためのエネルギーの表れなのか。それとも、神経の興奮、不安、意識の集中によるもので、それをストレスが教えてくれているのか。あるいは、このストレスは挫折を感じたり、感情が麻痺したり、孤独を感じたりしているせいなのか、といったことです。

 ひどく落ち込んだり打ちのめされたりした場合にも、そこから生じる悪循環を断ち切るためにできることはたくさんあります。

 悪循環を断ち切る方法の1つは、とにかく「何かをやってみる」ことです。落ち込みがひどい時というのは、気持ちが麻痺してしまい、どうやったら今の状態から抜け出して前へ進めるのか、分からなくなります。問題を解決して最終ゴールに到達しようにも、それがあまりにも遠いと感じるのです。そんな時には、自分自身にこう問いかけましょう。「私の目的に沿ったこと、価値観に沿ったことで、今できることは何だろう?」と。

 落ち込みから抜け出す方法が分からないままでも、いいのです。問題をすぐに解決する必要もありません。大切なのは、どんな小さなことでもいいから「今できること」を1つ、見つけることです。目的や価値観に沿った行動を1つ取るだけでも、落ち込みから脱する「前向きな動機(approach motivation)」が生まれるということが、複数の研究で明らかになっています。

■揺るがぬ信念「グリット」を貫く

 米国のシリコンバレーを中心に、「グリット(grit)」という考え方が広がりを見せています。これは、自分の意見、能力、目標(ゴール)に揺るぎない自信を持ち、どんな障害があろうと目的へと向かう意志の強さを表します。信念のために闘い、目標(ゴール)を追い求め、他人から何と言われても信念を曲げない気概です。

 私にもグリット、揺るがぬ信念があります。これまでキャリアを歩む中で、私は「人間の性質を楽観的に見すぎている」と批判されてきました。性善説に基づいて、人が善良であると信じている。人は簡単に許し合い、変われる。そう思っている私に、「楽観的すぎる。もっと現実的になれ」と言う人たちがいました。でも、これは私の中核をなす価値観なので、これにグリットを持っています。

 皆さんも、「自分にとっての揺るがぬ信念とは何だろう」「自分の根底にある価値観や目標(ゴール)は何だろう」と、自問してみるといいでしょう。そうすれば、「よし、この点に関してだけは、批判や異論に負けないようにしよう」と、グリットを貫くことができます。

 私たちはここでも、「グリットがある・ない」といった二者択一の判断を下しがちです。でも実際のところ、こうした美徳や長所は誰もが備えているものだと私は考えています。重要なのは、どうやったらそれを最大限に引き出すことができるかを考えることなのです。その方法について、次にご紹介しましょう。

■「モラルの高揚感」が希望を増幅させる

  
 今、米国ではドナルド・トランプ氏が大統領に就任したことで、社会に対する信頼が揺らいでいます。私の研究分野には「社会的な信頼をどう得るか」ということも含まれているので、こうした社会の動きについても少なからず興味を抱いています。私が今、関心を抱いているのは、1つの国としての感覚を持ち続ける人たちを支えること、自分たちが“アメリカ的価値観”を共有する良き人間であるという感覚を持ち続ける人を支えることです。

 そのための1つの方法は、意図的に「モラルの高揚」を引き起こすことです。「モラルの高揚」とは、誰かの善行を目にした時の気持ち・状態を指します。今の米国では、「世界の安全を脅かす様子ばかりを見せられている」と、多くの人が感じています。ですから、大切なもののために闘うエネルギーと希望を持ち続けるためにも、人が良いことをしている姿に目を向け、「モラルの高揚」を引き起こす必要があると考えます。

 この点でリードしているのが、フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャルメディアです。ニュースはネガティブな話題ばかりを取り上げますが、ソーシャルメディアでは、誰かがほかの人のために立ち上がって手を差し伸べる姿や、自分の信じることを勇気を持って声に出す姿を見ることができます。こうした姿を取り上げ、称賛することが重要なのです。

 人は、ほかの人がポジティブなことをしている姿を目にすると、「自分にも何かできることがある」という希望を感じられることが、科学的に明らかになっています。

 そこで私が提案しているのは、「自分もモラルを高揚させることができる」と考えることです。政治的な行動でなくでも、コミュニティーでちょっとした親切な行動を取ることで、ほかの人に希望とエネルギーを与えることができます。そうすれば、今度はその人たちが議員に働きかけるなど「コミュニティーに力を与える行動」を取ることにつながるのです。小さな行為が社会に広がり、大きなうねりになっていくと思います。(談)

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April 02, 2017

中間層の没落とともに国家は衰退に向かう

中間層の没落とともに国家は衰退に向かう

トランプは歴史の教訓に逆らっている

中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト 
http://toyokeizai.net/articles/-/161616

歴史を振り返ってみると、かつて軍事・経済・文化で隆盛を誇った国々の多くが、中間層の没落をきっかけとして衰退し、最後には滅んでいきました。そこで今回は、歴史から中間層の重要性を学ぶために、都市国家として栄えた古代ギリシャの事例を見ていきたいと思います。

ギリシャの気候は、夏は暑く乾燥し、冬には少量の雨しか降らない地中海性気候に属しています。おまけに陸地には山が多く、大河や平野に恵まれていないため、穀物の生産には適していません。しかし、この地理的特性は、オリーブ・ブドウなどの果樹栽培や羊の牧畜には適していました。

ブドウ酒やオリーブ油は、作るのに特別な風土と技術を必要としただけでなく、貯蔵がとても簡単だったので、瓶に入れて長期のあいだ保存することができました。そのまま遠く離れた国や地域に運搬することができたため、ギリシャの特産物として高価な貿易品となり得たというわけです。

古代において、ギリシャの諸都市でブドウ酒とオリーブ油が特産物として作られ始めると、ユーラシアの内陸に住む人々、特に貴族や富裕な人々がこぞってそれらを求めるようになりました。ギリシャ産のブドウ酒とオリーブ油は貿易船が運航する地中海沿岸だけでなく、遠くロシアや中央アジアまで運ばれ、大量の穀物や貨幣と交換されるようになったのです。

貿易で利益を得た農民が繁栄を支えた

そのようにして、ブドウやオリーブを栽培する農民は、内陸部との貿易で莫大な利益を得られるようになりました。内陸部からギリシャへ穀物や金銭が大量に流入し、それに比例するようにギリシャの各々の都市国家(ポリス)の人口は増えていき、その後の繁栄の基礎を築いていったというわけです。

ブドウ酒やオリーブ油を生産する中小農民は、当時のポリス社会では理想的な市民として評価されていましたし、彼ら自身もそのように自覚していました。彼らは内陸部との貿易に積極的に参入して豊かになっただけでなく、忙しくない時期にはポリスの政治や行事にも奉仕者として参加していたからです。

そのうえで、中小農民は農産物の売り手としてだけでなく、生活必需品の買い手としても経済活動に参加するようになり、ポリス社会に経済的な豊かさを広めていく役割を果たしていました。そのような姿は、かつての米国の豊かな中間層に重なるところがあるように思われます。

ポリス間の戦闘でも農民が戦力の中心に

鋳造貨幣が発明されて間もない紀元前650年頃、ポリス間における戦争の手法に重大な変化が起こることになります。武装した歩兵(重装歩兵)の密集軍団による新しい戦法、すなわち密集隊形(ファランクス)戦法が発明されたのです。それは、青銅製の兜(よろい)、鎧(かぶと)、すね当てを身に着け、青銅製の盾と鉄製の槍(やり)を持った重装歩兵が横一列に並んで突撃するというものでした。数千の重装歩兵が一団となって一斉攻撃を加えれば、たとえ貴族による屈強な騎兵隊であったとしても、あっという間に蹴散らされてしまったのです。

それまでの戦争の主力は騎馬を利用する貴族でしたが、重装歩兵による戦法が圧倒的に有利であると知れ渡るようになると、ギリシャの各ポリスは市民からの徴兵を行い、できるだけ大規模な重装歩兵部隊をつくって訓練しなければなりませんでした。そのような環境下で、自費で武具を買いそろえて兵隊として活躍できる資質を持っていたのは、遠隔地との貿易で富裕になった農民、すなわち中小農民と呼ばれる人々だったのです。

彼らこそ、現代でいうところの「中間層」に位置する人々でした。彼らはギリシャの外から金銭を稼いでポリスへ税金を支払っていたうえに、それまで騎馬で戦っていた貴族に代わり、市民としてポリスの軍隊の主力となっていったからです。富裕な中小農民がポリスの財政・経済・軍事の中心となって、ポリス社会の隆盛を支えていたというわけです。

戦闘における連帯感が民主制を生んだ

興味深いことには、新しい戦法の発明は、各ポリスのギリシャ人に強い連帯意識を芽生えさせるというメリットまでもたらすようになりました。なぜなら、重装歩兵が密集して戦うための技術を身に付けるには、集団が連帯感を持って長い時間の訓練をしなければならなかったからです。

ギリシャの各ポリスが戦争で強かったのは、また、文明的にも経済的にも栄えたのは、そのような強い連帯感を基礎として、各々が自分たちのポリスに奉仕するという気持ちにあふれていたからです。それは、国家としても、社会としても、そこに住む人々の気持ちが一体感を保っていたということを意味しています。

高校の世界史の教科書などでは、市民(農民)が戦争で重要な役割を果たし政治的発言力が高まったため、歴史上で初めて、民主政という考え方が誕生することとなったと述べられていますが、私は民主政が誕生したもうひとつの大きな理由は、ポリスでの市民の連帯感にあったのではないかと考えています。古代アテネの政治家ペリクレスが当時の民主政について語った有名な演説がありますので、その一節をご紹介しましょう。

「私は敢ていうが、ポリス全体が安泰でさえあれば、個人にも益するところがあり、その益は、全体を犠牲にして得られる個人の幸福よりも大である。なぜならば、己れ一人盛運を誇っても己れの祖国が潰えれば、個人の仕合せも共に失せる」

「われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる」(トゥーキュディデース、久保正彰訳『戦史』岩波文庫より)

繁栄を極めたギリシャが没落した理由とは

その当時のアテネ、ひいてはギリシャの民主政治の特徴とは、成年男性市民の全体集会である民会が多数決で国家の政策を決定し、できるだけ多くの市民が政治に参加することを求められたということです。そのような政治制度の誕生によって、ギリシャの各ポリスでは宗教に縛られない自由な考え方が生まれ、文化面では合理主義的な哲学や数学などが発達しました。その後、ギリシャの文化は、ローマの文化や14世紀のイタリアから始まるルネサンスの規範となっていくことになります。

紀元前500年~紀元前480年の間に3回にもわたる大国ペルシャとの戦争に勝利したギリシャの諸都市国家は、当時の世界で最も繁栄を極めていた文明であるといえるでしょう。しかしながら、その繁栄は50年余りしか続きませんでした。アテネを中心とするポリスの連合であるデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟のあいだで、紀元前431年に植民地をめぐって悲惨な戦争が勃発してしまったのです。

長年にわたる従軍で農民が経済的に疲弊した

ペロポネソス戦争はギリシャ域内で30年近くも続いたため、ギリシャの各々のポリスは衰退していくのが避けることができませんでした。というのも、中小農民が長年にわたって従軍せざるをえず、そのあいだに農地が荒廃してしまったからです。農産物収入を失った農民は、生活のために金銭を必要としたので、借金に借金を重ね、最後には土地までも失ってしまったのです。

貨幣経済が発達するにつれて、没落した農民は小作人や奴隷といった身分に転落していくかたわら、富裕な貴族や一部の大商人は農民が手放した土地を買い取り、ポリスの人々のあいだでは絶望的なまで経済的な格差が拡大していきました。その結果として、富裕な貴族や一部の大商人は大土地所有者となり、政治・経済の支配者として君臨していく一方で、小作人や貧民は不満を募らせて大土地所有者に強く対抗していくようになったのです。富裕な人々が支持する党派と貧民層が支持する党派の争いに発展し、裏切りや暗殺、追放などが横行することになり、ポリス社会の強みであった「国家のもとに奉仕する」という人々の心やまとまりは、ペロポネソス戦争が終わる頃には見事に失われてしまったというわけです。

国防の要であった豊かな中小農民が経済的に疲弊して従軍できなくなると、重装歩兵の密集集団による戦法は使えなくなりました。そこで各々のポリスは兵隊として傭兵を雇うようになったのですが、主として雇われたのは異民族や土地を失った没落農民などでした。当然のことながら、傭兵では強い連帯感やポリスへの忠誠心を持って戦うのは困難であり、ポリスの軍事力はかつてと比べると著しく弱まってしまいました。

そのような折の紀元前4世紀後半に、ポリスをつくらなかったギリシャ人の一派である北方のマケドニア王国では、フィリッポス2世のもとで財政と軍政の改革を進めます。そしてとうとう紀元前338年には、マケドニアはカイロネイアの戦いでギリシャ連合軍に圧倒的な勝利を収め、ギリシャ全域を支配することに成功したのです。戦意の低い傭兵を主力とするポリスの軍隊は、自国民で組織したマケドニア軍の敵ではなかったというわけです。
 

中間層の喪失で古代ギリシャは終焉を迎えた

このように歴史を振り返ってみると、古代ギリシャの黄金時代は豊かな中間層の出現とともに生まれ、中間層の喪失によって終わりを迎えたということがわかります。豊かな中間層の喪失は、貧富の格差を拡大させ、国家の分断を引き起こし、国力を衰退させていったのです。

古代ギリシャは歴史上で初めて、豊かな中間層が失われると、軍事的にも政治的にも経済的にも国力が衰退していくという教訓を、後世の人々に如実に示した事例であるといえるでしょう。中間層が失われた国は滅びる。現代においては滅びるということはなくても、衰退は避けられない。それが歴史の教えるところなのです。

分断するアメリカは歴史的な危機を迎えた

昨今のアメリカでは、グローバル経済の進展や金融危機の後遺症などを経て、豊かな中間層から貧困層および貧困層予備軍に転落する人々が増える一方で、富が一部の支配者階級に集中するという傾向が強まってきています。2011年に「ウォール街を占拠せよ」をスローガンとして全米各地で行われた反格差デモ活動に象徴されるように、アメリカではすでに国家の分断が起こり始めているといえるでしょう。

さらに悲惨なことに、トランプ政権が誕生したことによって、人種による差別や対立という新たな国家の分断も起こってしまっています。トランプ大統領は移民・難民の入国を制限・停止するという方針をテロの危険性を和らげるための措置だと強弁していますが、それよりもヘイトクライムが横行していることのほうが、アメリカ社会の分断をいっそう促しているので大問題であると思われます。

歴史的な見地から判断すれば、経済格差と人種差別という複合的な国家の分断にさらされているアメリカの現状は、国家としての歴史的な危機を迎えているといっても過言ではないでしょう。アメリカが20年後、30年後に繁栄を享受できているか否かは、まさに国家の分断を回避できるかどうかにかかっているというわけです。

 

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March 25, 2017

庶民に徳が残り、勝ち組に徳がない国、ニッポン

教育勅語そのものより推進者の道徳が問題
道徳教育を推し進める人たちが「道徳」的でないために、道徳教育の価値が貶められてはいないか
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/032100005/?P=1

庶民に徳が残り、勝ち組に徳がない国、ニッポン

まだまだ低くない日本庶民の道徳レベル

道徳というのは、人の「道」を説く、教え込むということと、人間としての「徳」を分からせていくという側面があるという。「徳」が分かっていないと強い者勝ちになるし、ろくでもない人間が為政者になるから、民主主義社会では為政者だけでなく一般の人も「徳」を知る価値は高いだろう。

失業率は下がっているが、非正規雇用率や相対貧困率が高まり、日本が格差社会化しているのは確かだろう。多くの国で、格差の拡大は犯罪の増加につながる。しかし日本では、2003年くらいから強盗、傷害、殺人などの刑事事件はおおむね減少のトレンドにあり、殺人事件にいたっては年間1000件を切るようになっている。

 日本では物を置き忘れても返ってくるのでびっくりしたと、何回も外国人に言われたことがあるが、そういう点でも、少なくとも諸外国と比べたら道徳的なのだろう。東日本大震災の際の助け合いと言い、火事場泥棒のようなものの少なさと言い、むしろ世界の道徳の見本のように言われたのだ。

第二次世界大戦から従軍しなくなった日本の名家

 言い古されてはいるが、日本ではあまり流行らない言葉に「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。「高貴さは(義務を)強制する」というのが語源らしいが、社会的地位があるなら、それに対する責任が生じるという意味で用いられる。

 イギリスではこの考え方が浸透していて、第一次世界大戦では貴族の子弟に戦死者が多かったし、1980年代のフォークランド紛争でもアンドリュー王子が従軍している。アメリカでも大統領が徴兵逃れをしていたというと、それがすぐに批判の対象になる。

 日本の場合、日露戦争くらいまでは皇族まで従軍していたのだが、第二次世界大戦ではごく一部の例外を除くと内地勤務だった。それどころか、名門や高級官僚の家族も死なないような場所にしか派兵されなかったようだ。

アメリカでは、税逃れは徴兵逃れと同じ
アメリカが世界の警察、軍事大国であることを維持するために必須の道徳なのだ。

 前置きが長くなったが、現代社会におけるノブレス・オブリージュや徳というのは、ボランティア活動もさることながら、政治家のような為政者が財政規律を保つために無駄遣いをしないとか、富裕層や勝ち組になった人間が、国のために私有財産を差し出したり、貧しい人や困っている人のために寄付ができるかということだろう。

勝ち組が「徳」を見せないと恥ずかしい社会に

 日本人の一般大衆の犯罪の少なさや親に対する介護の義務感などを見る限り、「道」は世界的にみても誇れるものがある。問題は、勝ち組や富裕層が大衆に、寄付や高額納税などの「徳」を示さないことだろう。

 報道を見る限り、森友学園の理事長が「人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献」しているとは思えないし、また下村元大臣を含めて、お金にまつわって汚い印象を与えること自体が、「徳」の教育に反している。経営者にしても、例えば東芝の歴代経営者や震災前の東京電力の経営者の徳のなさが、会社の存亡につながったと言っていいはずだ。

 勝ち組が「徳」を見せないと恥ずかしいという価値観(日本にもかつてはあったと私は信じている)を再建しないと、子どもたちに示すべきロールモデルは作れないし、日本の格差社会や消費不況(金持ちが貯めるだけでなくもっと使ってほしい)の問題が解決しそうにないというのは私の杞憂だろうか?

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March 18, 2017

町工場であり続け、次世代に職人の技を伝えたい

闘うトップ2013年5月号
町工場であり続け、次世代に職人の技を伝えたい(ダイヤ精機株式会社・社長 諏訪貴子氏)

http://www.newtopleader.jp/pickup/compete/586/

中小企業の集積地として知られる東京・大田区で半世紀近く、自動車部品用ゲージを製作するダイヤ精機の二代目・諏訪貴子社長。いま、最も注目される女性経営者の一人で、彼女を「町工場の星」と呼ぶ声も少なくない。諏訪社長が、会社を継いだ経緯と独自の経営観を語る。

ダイヤ精機の諏訪貴子社長が乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に挑んだのは、2008年9月のリーマンショックによって、存亡の危機に追い込まれたからだった。
自動車部品向けの治具(じぐ) (機械加工や溶接の際、工作物を固定する装置)を主力としていた同社は、その直前の08年7月期、3億4000万円を売り上げていた。だが、大幅な受注減で週の半分は仕事がないほどの状況に陥り、業績が急激に悪化。翌年、年商は1億7000万円と半減した。諏訪社長は、生産体制の見直しを決断。治具からゲージへ主力の転換を図ったが、それはハイリスクな経営判断だった。
ゲージとは寸法の測定具で、その使用により製造ロスが抑えられるため、機械加工の現場では不可欠とされている。自動車業界では、部品ごとに専用の特注品を導入するのが通例であった。マイクロメートル単位(1マイクロメートル=1000分の1ミリ)の精度が要求されるが、同社はそれを手作業で実現する研磨技術をもつ熟練工を擁(よう)していた。
職人の技術が生み出すゲージは高付加価値製品で、従来、主力としてきた機械生産の治具のように、価格競争には巻き込まれにくい。しかし、1000分の1ミリを指先で感知する熟練工の技術は伝承が難しく、従業員の育成には時間もかかる。また、小さなミスも廃棄につながりかねないため、材料費が利益を圧迫する危険性も高まる。
それでも、諏訪社長はあえて技術力を前面に押し出して、自社の存在感を示す道を選んだ。数百万円を投じて生産機械を増設し、売上の2割程度だったゲージの生産を6割に拡大。さらに、世間の不況を好機と見て、技術の伝承を見据えた新規採用に注力した。自身は1年間、報酬を月額2万円に抑え、貯蓄を取り崩しながら業績の回復まで耐え凌(しの)いだ。
そうした積極的な挑戦が奏功し、間もなく業績は上向いて、翌年以降、毎年、15%以上の増収に転じた。12年は、2億9000万円まで回復している。

もともと、私どもはゲージが専門だったんです。でも、それ1本だとリスクが高いので、機械生産ができる治具にも手を広げ、やがてそれが売上の過半を占めるようになりました。私が社長に就任したとき、ゲージからの撤退すら検討していたくらいなんです。
でも、いろいろ考えた末、続けることにしました。売上の2割くらいまでに抑えていれば、何かあっても大けがには至りません。ゲージは私どもの原点ですから、その看板だけは掲げ続けようと思ったんです。
私が2代目を継いだとき、どんな経営をめざすのか、自分なりにあれこれ考えました。その点、創業者は明快です。何よりまず自分の夢や理念があって、それに賛同する従業員によって、会社が少しずつ大きくなっていく。
ところが、2代目の場合は、すでに集まっている人たちに、あらためて自分の方針を浸透させないといけません。そのとき、先代が築いてくれた会社の土台を維持することは、決して小さくない意味があると思ったんです。私がどんな経営をめざすにせよ、それはあくまで会社の起源を残したうえでなければいけない。ゲージを続けてきたのはそう考えてのことですが、リーマンショックの影響で業績が落ち込んだとき、つくづくやめなくてよかったと思いました。
もっとも、それを治具に代わる主力にするのは、大きな賭けでした。ただ、ご承知のように、その前にはプチバブルと言ってもよいような好況がしばらく続いていて、もちろんリーマンショックのような事態は想定できなかったものの、そろそろ厳しい時代に変わるだろうという予感はあったんです。
ですから、大変な状況ではありましたが、じたばたしても仕方がない。そういう時期こそチャンスだと思って、生産機械を増設したり、空いた時間を活用してベテランが若手を指導したり、ふだんなかなか手が回らないことに力を入れました。そうして、なるようにしかならないと肚(はら)を据(す)えたのが、よかったのかもしれません。きっと、運がいいんです。

東京オリンピックが開催された1964年、ダイヤ精機は諏訪社長の父保雄(やすお)氏によって創業された。間もなく、精密なゲージを生み出す技術力が、高い評価を獲得。設計・提案から材料調達、検査まで、一貫加工ができることも強みに、精密金属加工メーカーとして着実に地歩を固めた。

リストラを提案し自分がリストラされる
保雄氏は一男二女に恵まれたが、長男は惜しくも6歳で早世。その後に生まれた次女の諏訪社長は、保雄氏がひそかに期待する後継候補だったが、諏訪社長自身にその意思はなかったという。
諏訪社長は、95年、成蹊大学工学部を卒業し、大手自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現日立オートモティブシステムズ)に入社。エンジニアとして勤務した。97年、出産を機に退職したが、翌年、保雄氏の要請でダイヤ精機に入社。総務を担当し、当時、バブル崩壊後の不況で低迷していた業績を建て直すため、リストラを含む不採算部門の縮小を保雄氏に進言した。ところが、保雄氏は「ならば、おまえが辞めろ」とその提案を一蹴。諏訪社長は、わずか半年で退職した。
2年後、諏訪社長は再び保雄氏に請われて入社するが、またもや同じ光景が繰り返された。こんどは、再入社から3か月後の退職だった。
2004年、他社に勤務する夫のアメリカ転勤が決定。就学年齢を迎えた長男とともに移住することになったが、渡米寸前の春、前年に肺がんを克服したはずの保雄氏にがんが再発。間もなく、保雄氏は64歳で急逝した。
母も姉も専業主婦で、夫にとってアメリカ勤務は長年の夢だった。短期間とはいえ、ダイヤ精機での勤務経験をもつ諏訪社長以外に現実的な後継者は見当たらず、従業員や協力会社から諏訪社長を後継に推す声が上がった。悩み抜いた末、諏訪社長の2代目社長就任と夫の単身赴任が決まった。

物心ついたころから、たぶん自分は亡くなった兄に代わる役割を期待されているんだなという雰囲気は感じていて、その期待に応えなきゃ、という意識は、常にありました。でも、そのことと会社を継ぐかどうかということは次元が違い過ぎて、現実感がなかったんですね。私自身はエンジニアとして何かの役に立てたらいいなというくらいの気持ちで、長男が生まれてからは、先代が80代まで現役でがんばって、その跡を長男が継ぐんだと思い込んでいました。
ですから、想像もしなかったほど突然だったこともあって、私には何の準備もなかったんですが、いろんな方に相談するなかで、最終的に会社を継ぐ覚悟ができたのは、従業員のおかげでした。そのとき、誰も辞めなかったんです。従業員が全員、会社に残るということで、私に対する期待を示してくれたんですね。それに対して、もし兄が私の立場だったらどうするかなと考えたとき、やるしかないと思えました。
自分に何ができるのか、まったく自信はありません。でも、会社を続けるにせよ、清算するにせよ、とにかく何らかのかたちで着地させるのが私の役割だろうという感覚でした。
継いでからはもう無我夢中で、作業服を着て会社にいると、ときどき自分はなぜここにいるんだっけと、わからなくなることもあるくらいでした。でも、継ぐと覚悟を決めてからは、心から継いでよかったと思うことばかりで、後悔したことなんて一度もない。われながら、さっぱりした性格だと思います(笑)。

よいことも悪いことも考え方しだい

実は、この立場を経験して、初めて先代の気持ちがわかったような気がするんです。リストラを提案する私を2回も辞めさせたことも、いまとなっては、察することができます。先代は、わかっていたんですね。状況から判断すれば、リストラしかないとはっきり認識していたと思います。でも、それだけはしたくないから、そうせずに済む方法を私に尋ねたかったのでしょう。
許されるなら、私もリストラを避けたいと思いました。でも、私どもの再生にリストラが不可避なのも事実で、いまもその考えは変わりません。ただ、リストラが必要なのであれば、まず自分の娘から、と考えた先代の判断も、経営者としての見識だったと思います。

就任後、諏訪社長はまず2名の人員削減を実施した。苦渋(くじゅう)の決断だったが、効果はすぐに表われ、わずか1か月で月次決算が黒字に転じた。
さらに、社内改革の3年計画を宣言。第1段階として、整理整頓と挨拶の励行(れいこう)に取り組んだ。1か月後、工場から運び出された廃棄物は4トントラック1台分に及んだ。
続いて、創業以来、40年間分のデータについてSWOT分析を進め、自社の強みが技術力にあることを確信。だが、それが一面的な分析でしかないことに気づき、諏訪社長は長年の取引先に自社の強みを尋ねて回った。その結果、取引先は意外にも同社の柔軟な対応力を評価している事実が判明する。対応力の強化を課題とした諏訪社長は、従来の生産管理システムの改変を計画し、05年、バーコードによる工程・原価管理システムを導入した。
このシステムにより、数千枚の設計図面と1万種類以上の製品の一元管理が実現。納期短縮やコスト削減につながり、収益率も改善された。諏訪社長は、自社の成功事例を積極的に公開しており、現在、大田区内の6社が同システムを導入している。

私が2代目を継いだとき、戸惑いながらも、ふと冷静になって、周囲の様子をうかがってみたんですね。すると、もしかしたら自分はラッキーなのかもしれない、と思えてきました。
当時、私は32歳です。経営を教えてくれるはずの先代も、もういません。しかし、わからないことがあれば、素直にそう白状して、周囲のどなたかに尋ねればいいんですね。幸いにも、それが許される年齢と環境だと気づいたんです。もし、私が50歳で継ぐことになるとしたら、「わからない」なんて口にできないかもしれません。
何ごとも考え方しだいで、世の中には絶対に悪いこともなければ、絶対によいこともない。そのことを実感したとき、少し気が楽になりました。
同じように、先代が残してくれた会社が「ダイヤ精機」であったことも、私にとってはラッキーでした。 「ダイヤ」という社名には、少し女性的な印象もあります。継いだときは20数名で、いまは37名ですが、少数精鋭であることに変わりはなく、おかげさまで、お客様に必要とされる技術力をもっています。小さな町工場だからこそ味わえる、ものづくりの醍醐味もあります。本心から、町工場でよかったと実感しているんです。
もちろん、大企業には大企業のやりがいがあって、最終製品をつくる喜びは格別でしょう。でも、町工場にも大企業とは別の役割があって、大企業と町工場が互いに補完しあう協力関係は、日本のものづくりの強さを端的に表わしているのではないでしょうか。大きな石だけでなく、小さな石もあるから、強固な石垣ができるのでしょうね。
次の世代に私どもの技術を引き継いでいけるよう、私どもは今後も町工場であり続けたいと思っています。

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January 15, 2017

経済コラムマガジン

今年の展望と昨年暮れの出来事
http://www.adpweb.com/eco/index.html

元英金融サービス機構(FSA)長官アデア・ターナー氏が、年明け1月6日に安倍総理や黒田日銀総裁を訪問した(投資家ジョーズ・ソロス氏が同席)。この重要な出来事を日本のマスコミはほとんど伝えていない。当然、ヘリコプターマネーに関連した話が出ている。たしかにターナー氏は、安倍総理に直接的なヘリコプターマネー政策を奨めたということではないと言っている。氏は既に日銀が大量の日本国債を保有しているのだから、その20%程度(80兆円)を永久債(コンソル債)に換えてはどうかと安倍総理等に提案したと言っている。

もちろんこれを財源にした財政政策を奨めたことは確実であろう。ターナー氏もこの一連の政策が、後で振り返るとヘリコプターマネー政策だったと見なされるかもしれないということを認めている。まず永久債の発行とその日銀買入れは筆者の長年の提案でもある。そして日銀の保有する国債を永久債に換えるということは、その永久債が市場に二度と売却されないことを意味すると考えて良い。つまり世間で言われている出口戦略と関係がなくなる。

最も注目されることの一つは、一体誰が多忙な安倍総理等にターナー氏を引合わせたかということである。ターナー氏は世界的に大きな反響を呼んだ「債務と悪魔の間で」の著者であり、ヘリコプターマネーの一大権威である。したがって安倍政権に近い筋にヘリコプターマネー政策に賛同する者がいると認識して良いと筆者は思う。

昨年暮れの出来事の中から二つ取上げる。一つは真珠湾アリゾナ記念館での安倍総理の演説である。総理は米国の寛容さを示すエピソードとして、終戦直後の食料援助に言及している。本文は「日本が見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました」である。

終戦直後の米国の援助物資はララ物資(LaRa・・Licensed Agencies for Relief in Asia(アジア救援公認団体))と呼ばれている。これによって命を助けられた日本人は多数いる。またこのララ物資が発端となり学校給食が始まったという話がある。

日本人は、長い間、ララ物資を100パーセント米国民の自主的な善意の援助と思っていた。しかしこの裏には浅野七之助氏という日系米国人の大きな働きがあった。浅野氏は岩手・盛岡出身のジャーナリスト(サンフランシスコ邦字紙「日米時報」を発刊)である。氏は終戦直後の日本の惨状にいたたまれず、「日本難民救済会」を設立し日系人に声を掛け祖国日本に救援物資を送ることに奔走した(ブラジルの日系人からも寄付を募った)。

04/10/25(364号)
クライン博士を招いてのシンポジウム

•クライン博士

宍戸名誉教授と小野盛司氏の講演の内容は、基本的に積極財政政策によって、経済が活性化し、政府の財政赤字のGDP比がむしろ小さくなる話である。小野盛司氏は、これを日経のNEEDSモデルを使って説明している。宍戸名誉教授は、これをドーマーの財政均衡モデルとご自分のシミュレーションモデルで説明しておられた。

リチャード・クー氏は、バブル崩壊によって、企業と個人のバランスシートが傷ついてしまったことをまず指摘した。人々はこのバランスシートの修復のため、投資を控えた。このことが今日のデフレの解決を遅らせていると説明していた。これまで企業は、投資より借入金の返済を優先していた。しかしようやく企業のバランスシート調整も最終局面を迎えている。このような状況では、金利も低位にあり、政府が公共投資などの財政支出を増やすことは合理的な政策と主張していた。

クライン博士は、積極財政に賛同しながらも、他の講演者とポイントが多少異なっていた。将来の日本経済の成長力のため、財政支出を教育関連に特化することを主張されておられた。これは米国の90年代の経済成長が、理系学生の教育強化の成果といった側面があると信じておられるからである。つまり潜在成長率を高めるため、日本も教育投資を重視することを説いているのである。

この点はリチャード・クー氏と見解が異なる。クー氏は財政支出は金額が重要なのであり、財政支出の中味は敢て問わないという立場である。もちろんクー氏も同じ財政支出を行な以上、より日本のためになる所に金を使うことに賛成している。しかし財政支出を教育関連に特化するまでもないという考えである。筆者はクー氏の意見に賛成である。

内輪の話によると、米国の経済学者に正しく日本経済の実態が伝わっていないようだ。日本は公共投資をやり過ぎて、これ以上日本で公共投資を行なうところがないと米国では思われているという話である。日本の経済学者が、米国の経済学者やエコノミストにそのようなでたらめな説明をしているようである。それが日本にブーメランのように戻ってきている。

•死に体の日本のマスコミ

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December 17, 2016

【田村秀男の日曜経済講座】日米緊密・米中緊張の時代 通貨と安全保障政策の一体化を 2016.12.11

http://www.sankei.com/premium/news/161211/prm1612110031-n1.html

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【田村秀男の日曜経済講座】日米緊密・米中緊張の時代 通貨と安全保障政策の一体化を 2016.12.11

 トランプ次期米政権では、かつてない日米緊密、米中緊張の構図になりそうだ。米金融市場の中国マネー依存が薄れたために、日本の金融協力を支えにしたトランプ・チームは選挙公約通り、対中強硬策に打って出られるからだ。

 米国は圧倒的な軍事力を誇る覇権国家だが、弱点がある。世界最大の債務国であり、外部からの資本流入に依存せざるをえないのだ。今年6月末の米国の対外純負債は8兆ドルであるのに対し、世界最大の債権国、日本は3・1兆ドル、中国はドイツとほぼ同水準の1・7兆ドルの対外純資産を持つ。ドイツは足元のユーロ金融市場を下支えするのに手いっぱいだから、米金融市場は日本と中国からの資金によって支えられている。

 グラフは、日中の対米貿易収支と米国債保有の推移だ。中国の貿易黒字が2001年以降、急膨張しているのに比べて、日本の方は縮小傾向をたどっている。中国は貿易収支黒字分の一部を米国債購入に充当し、08年には日本を抜いて最大の米国債保有国になった。

 同年9月15日のリーマン・ショックでパニックになったポールソン財務長官(当時、以下同)は中国の王岐山副首相に電話をかけ、経営危機の金融大手モルガン・スタンレーへの出資を打診した。脈があるとみれば、ブッシュ大統領と胡錦濤国家主席との電話会談をセットするつもりだったという(ポールソン氏の回想録から)。

 救済交渉は不発に終わったが、ワシントンは北京に米国債購入を求め続けた。09年1月に発足したオバマ政権のヒラリー・クリントン国務長官は翌月に訪中、中国政府首脳と米国債購入条件を詰めた。クリントン氏は中国の人権侵害を一切口にせず、ひたすら下手に出たが、側近には「米国債のお客さんにへりくだるなんて」とぼやいた。北京は米国債を買い増しし続け、金融不安におののくオバマ政権とウォール街を安堵(あんど)させた。

 以来、オバマ政権は北京に頭が上がらないままで、中国の南シナ海への進出や北朝鮮への国連制裁無視などに対して弱腰対応で終始してきた。さらに15年11月には習近平国家主席が執念を燃やしてきた人民元の国際通貨基金(IMF)・特別引き出し権(SDR)入りにも応じた。「国際通貨人民元」をテコにアジア全域を中国の勢力圏に取り込もうとする北京に対し、オバマ政権は無抵抗だった。

 グラフに戻ろう。米国の対中貿易赤字は膨張の一途で、最近でも米貿易赤字総額の5割近くを占めているのだが、米国債保有額は減少に転じ、日本の保有額と並んだ。

 国債を含む米国の証券投資収支(購入と売却の差額)は、中国は最近、年間で1200億~1300億ドルの純売却になっており、その5割近い分を日本の純購入で埋めている。中国は対米貿易黒字で年間約3500億ドルを稼いでいるが、それを米市場に還流させるどころか、さらに米市場から投資を引き揚げている。不動産バブル崩壊不安が漂う中国からの巨額の資本流出に伴い、北京当局が外貨準備のドル資産を売って、人民元を買い支えざるをえなくなっている。

 ワシントンは中国の金融パワーに頭を下げる情勢ではなくなった。大統領選でオバマ路線を継続し、中国に接近するクリントン氏が敗れ、路線をひっくり返すトランプ氏が勝つだけの大変化が米金融市場に起きたのだ。

 トランプ氏は、北京が人民元相場を低めに操作して対米輸出を増やし、米国の中間層から雇用機会を奪っていると非難、「中国製品に45%の制裁関税をかける」と息巻く。最近のツイッターでは、米企業の競争力が損なわれる人民元の切り下げと、南シナ海での巨大な軍事施設の建設を並べ立てて引き合いに出し、「中国が米国に対し、そうしてもよいかと尋ねたのか。俺はそうは思わない!」と書き込んだ。トランプ氏は経済、軍事の区別なく、中国の脅威に立ち向かおうとしている。正論だ。

 一方、日本の対中経済政策はこれまで、官僚の縦割りの弊害でまとまりを欠いていた。通貨を縄張りにする財務省は親中派が多数を占め、人民元のSDR化に賛同した。外交・安全保障を仕切る外務省は経済音痴で、ワシントンの意向次第だ。通貨、貿易を原動力として軍事的脅威をアジアにまき散らす中国共産党の仕掛けに関し、日本の官僚は気に留めなかった。

 安倍晋三政権はこの機を逃してはならない。通貨と安全保障を一体にした対中戦略でトランプ次期政権と足並みをそろえるチャンスである。(編集委員)

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