March 11, 2020

宗教がわかってない人はこの4原則を知らない

宗教がわかってない人はこの4原則を知らない
何を信じ、礼拝し、服し、目指していくのか

中村 圭志 : 宗教学者、昭和女子大学非常勤講師

https://toyokeizai.net/articles/-/334588

宗教は歴史、社会、文化、現代を理解するために必要な教養――。宗教の世界は、歴史の蓄積によるたくさんの言葉、概念、人名などの固有名、特殊な用語にあふれています。しかし、本質的にはかならずしも必要とはいえない情報も多いものです。さまざまな宗教を比較して考え、本質に切り込んだ宗教論を解説した『教養として学んでおきたい5大宗教』から一部を抜粋してお届けします。


近代以前、社会は「宗教」の勢力下に置かれていた

宗教を理解するうえで大事なのは、「信じる」「信じない」ということは脇に置いて、それが近代以前の社会では当たり前の文化だったことを押さえておくことだと思います。
現代は科学の時代ですから、霊や神や奇跡やたたりの話が信じられないのは当然です。しかし、科学が主導権を握るようになったのはほんのここ1、2世紀のこと。ほとんど20世紀の初めまで、社会はどこでも宗教の勢力下に置かれていました。
21世紀の今日でも、イスラム圏のように宗教が大きな力をもっている社会があります。日本や西欧のような先進国でも、霊を信じ、来世を信じ、神に祈る人々は大勢います。アメリカはノーベル賞最多獲得国ですが、キリスト教会の出席率が高いことでも有名です。世界全体を見渡すと、宗教はまだ現役で生きている文化だと言えるでしょう。
歴史を大きく振り返ると、人類が言語的コミュニケーションを始めるようになって数万年経ちます。そのほとんどの期間、人間はその言語の能力を使って「神話」を語ってきました。そして神の名によって戒律を守ったり、死者の霊を供養したりしてきました。
こんなふうに長期にわたる慣性力があるのだから、社会が科学的に営まれるようになったからといって、宗教的な思考法や習慣はそう簡単には変わらないのかもしれません。

宗教とは何でしょうか?

ひとまず、「霊や神のような不合理な(非科学的な)存在の働きを前提とする文化の様式」と定義することにします。
もっと簡単に言うと、「霊や神を語る文化」ということです。
宗教すなわち霊や神の「ファンタジー」は、しばしば、信者に対して道徳的訓戒や人生の指針のようなものを提供しています。
どのようなものを前提としているかによって、次のように分けて考えるのが便利です。
①アニミズム………動物や自然物、先祖などの「霊」を信じる
②多神教……………さまざまな権能を帯びた「神々」を礼拝する
③一神教……………宇宙の独裁者である「唯一神」の権威に服する
④悟りの宗教………人生の霊妙な理法を「悟る」ことを目指す
以下で、それぞれについて簡単に説明します。

① アニミズム――霊の信仰
農業が始まったのは1万年ほど前だとされています。数千年かけて農業は各地に広まりましたが、それよりも昔、人類はどこでも獣や魚を獲ったり、木の実を採集したりして暮らしていました。
この時期の人間にとって、自然は人間を包み込む絶対の母胎のようなものでした。人間はただ自然の恵みをいただいて暮らしているのであり、自分たちが自然界の存在よりも優位に立っているなどという自意識は無かったはずです。今日でも、狩猟採集民は森林やジャングルの動物たちと「対等な立場」で暮らしていると言われます。
そんな彼らにとって、動物は人間と同様の意識をもつ存在です。人間どうしが互いに言葉を交わすようにして、彼らは動物とコミュニケートします。動物も植物も霊をもつ存在であり、人間にメッセージを発している。もちろんそれは擬人的な幻想ですが、ちょうどペットを飼っている人が飼っていない人よりも犬や猫の「言語」の理解に長けているように、彼らは動植物の生態を的確につかんでいたと思われます。
自然界に満ちる霊、すなわち目に見えぬ意識的存在を感じながら暮らす文化を、アニミズムと呼びます。アニマとはラテン語で「霊」「魂」のことです。
霊や魂の信仰において、自然の霊と並んでもうひとつ大きな働きをもっているのは、死んだ人間の霊、祖先の霊です。動物霊と祖先の霊がいっしょくたになっている場合もあります。自分の祖先はオオカミだったというように。

葬式や法事にはアニミズム型の文化が生き続けている
儒教というのは、祖先の霊をおまつりする習慣がそのまま歴史時代の宗教にまで成長した宗教です。命日に死者の頭蓋骨を一族の子供などがかぶり、霊の宿る「かたしろ(身代わり)」となります。霊媒師が祈る中、祖先がこうした形で現世に帰ってきて、子孫たちと交わるのです。この頭蓋骨がやがて仮面に代わり、それが名前を書いた板に代わって、今日日本人が仏壇に収めて拝んでいる「位牌」にまで進化しました。これは仏教の形をとった儒教の交霊術の道具であり、儒教の背後には太古のアニミズムが隠れています。

現代日本人にとって重要な宗教行事は葬式や法事でしょう。葬式にやってきた人々が皆死者の霊を文字どおり信じているわけではないでしょうが、「冥福を祈ります」と言ったり、「亡くなった○○さんが天国で見守ってくれる」などと言って遺族をなぐさめたりするのは、たとえレトリックだとしても、まだ生き続けているアニミズム型の文化です。
「無宗教」を称する日本人ですが、アニミズムの気分はまだ濃厚に残しています。どこそこで人形の供養をした、さらには道具やロボットの供養をしたなんて記事も見かけます。供養(=霊に何かを捧げること)をする以上、人形や道具には霊が宿っているのでなければなりません。

② 多神教――神々の信仰
太古における農業の発明は、人間の動植物に対する優越意識を高めたようです。もはや人類は森林やジャングルの恵みに頼って生きていないからです。人間は種をまいたり、収穫したり、あるいは森林を焼いたり、水路を引いたりして自然をコントロールして暮らすようになりました。
霊的存在も、霊というよりは神と呼びたい存在となります。社会は格差化が進み、富裕な者や豪族が幅をきかすようになり、豪傑や王者のイメージが天界に投影されて、目に見えない王様のような姿の神々を各民族は拝むようになります。
かくして多神教のファンタジーが発達していきました。家ごと、村ごと、地域ごとにそれぞれ因縁のある個性的な神々を拝むわけですから、それらの神々を足し合わせれば多神教となります。また、神々は人間の願望の投影ですから、願望の種類だけ神々の個性も多様化するでしょう。そういう意味でも神々は複数存在することになります。

心理的効果ももたらした神々の信仰(多神教)

多神教のファンタジーにおいては、豊穣の神を拝めば、雨を降らし、農作物を実らせてくれます。戦争の神を拝めば、戦争に勝たせてくれるのです。
昔の人々がどこまでこうした神々の効能を期待していたかは怪しいとは思います。神に向かって雨乞いしたとしても、雨が降るとは限らないからです。しかし、今日でも人々は神社に合格祈願の絵馬を奉納したり、占いを「信じ」たり、疑似科学的な健康法を試したりしています。人間は生の現実よりもファンタジーを信じたがるもののようです。
神々の信仰の多くは共同体の行事です。だから神々を信仰するという形で人々の共同意識を高めるという効果もあります。雨乞いに気象学的効果はないとしても、お祈りの行事をするとき、村人たちが危機感を共有できます。戦いの神に戦勝祈願するときも、兵士たちの士気は上がります。
そのような心理的効果があるのであれば、神の信仰にも立派な社会的機能があることになります。今日では、スポーツ観戦や国家行事における集団的熱狂やナショナリズムの盛り上がりのようなものが、神々を崇める行事に似ていると言えそうですね。

多神教世界の神々は、民族ごと、地域ごとにさまざまです。インドにはインド神話の神々(帝釈天とか火天とか水天とか)がおり、ギリシャにはギリシャ神話の神々(雷てい神ゼウスとか豊穣神デーメーテルとか)がおり、中東には中東神話の神々(軍神マルドゥクとか豊穣神イナンナとか)がいる――こんなふうに多神教は世界中に展開しました。
それらの信仰の一部は今日では死に絶え、一部は今日でも存続しています。例えばギリシャ神話や中東神話の神々はもはや死に絶えていますが(今のギリシャ人はキリスト教徒で、今の中東の人々の多くはイスラム教徒です)、日本神話の神々――アマテラスやオオクニヌシ――は今も健在です。

全部の理想が投影された独裁的な神の存在が求められる

③ 一神教――唯一神の信仰
人類の想像力は次第に発達していき、人生を司る霊的なパワーに関しても、全宇宙、全世界、全人類を支配圏におさめるような強大なものを求めるようになっていきました。
こうなってくると、アニミズムの霊や多神教の神々ではパワー不足です。世界のごく小さな範囲に対してしか権能をもっていないからです。火の神は火だけを司り、水の神は水だけを司る。ある神はある村だけの神、ある神はある民族だけの神です。
というわけで、多神教の神々よりももっと上位の、独裁的な神の存在が求められるようになりました。それが一神教の神――唯一神――です。
一神教の神は、人間の思いつくあらゆる「強さ」「善さ」「機能」「効果」をぜんぶ投影された理想の存在です。
どんな奇跡でも起こせます。あらゆる人間の祈りを聞いています。
逆にまた、あらゆる人間を天空から監視しています。人間たちに善と悪を示します。特別な人間に啓示を与え、教典を与えます(啓示を授かった人間を預言者と呼びます)。
唯一であり、創造者であり、全知全能であり、絶対善である――実に大それたイメージです。
そんなものが本当に存在しているかどうかはともかく、人々はそんな神を想像するようになったのです。

さまざまな哲学者や預言者がこれに類するものを思いつきました。ペルシャではザラスシュトラ(ゾロアスター)という神官がペルシャの多神教の神々を整理して、アフラ・マズダーが絶対なる世界神だと主張しました。エジプトではある王様がアテンという太陽神を唯一神のように拝みました(この信仰は彼一代でついえたようです。彼の死後はまたもとの多神教に戻っています)。
唯一神信仰で大成功をおさめたのは、古代イスラエル民族(今日のユダヤ人のご先祖様たち)のヤハウェ信仰です。ヤハウェはもともと中東の多神教世界の中の一柱の神にすぎなかったのですが、イスラエルの民はこれを唯一絶対の神、天地創造の神と解釈しなおしました。この伝統からユダヤ教が生まれ、のちの時代にユダヤ教からキリスト教とイスラム教が派生します。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は代表的な一神教です。

多神教、一神教それぞれの美点と欠点

一神教は、多神教の神々を否定する形で発達してきました。諸民族の奉じるさまざまな神々はぜんぶ幻だ、というのが一神教の主張です。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も原理的にはたいへん排他的です。一神教の神は唯我独尊の派生・影響です。

一神教にはジレンマがあります。万人の上に立つのが唯一神ですから、万人はこの神の前に平等とされます。しかし、その神を信じない人に対しては「真理に背くヤツ」ということで批判的な目を向けます。だから、事実上、「信者 vs. 異教徒」という差別意識が現れるのです。「平等だ、愛だ、平和だ」と唱えつつ、異教徒の弾圧を行う――そういう悪い癖が一神教にはあります。
これに対して、多神教は通例、ほかの民族の宗教に対して寛容です。神々が多いのに慣れていますから、民族Aの神々と民族Bの神々は容易にごっちゃになってしまいます。
古代ローマ帝国では、ローマの神々もギリシャの神々もエジプトの神々もシリアの神々も自由に拝んでいました。日本の「七福神」はインドと中国と日本の神々のチャンポンです(弁天と毘沙門天はヒンドゥー教の神、布袋は仏教の菩薩、福禄寿と寿老人は中国の道教の神、大黒はヒンドゥー教のシヴァ神と日本のオオクニヌシの合体、恵比寿だけが神道固有の神です)。
では、多神教に比べて一神教はひどい宗教かというと、そうとも言い切れません。
一神教は「人間は神の下に平等だ」というファンタジーをもっていますから、弱者に対する慈善活動に熱心でした。
多神教は概して押しつけがましくない一方で、チャリティーにも不熱心です。インドの多神教であるヒンドゥー教では、カーストと呼ばれる身分差別が肯定されていました。
寛容だが不平等を是認する多神教と、平等を目指すが不寛容な一神教――それぞれに美点と欠点があるわけです。

④ 悟りの宗教――宇宙と人生の理法を悟る
多神教の神々を超えたパワーの信仰として、一神教について説明しました。一神教はユーラシアの西半分(ヨーロッパ、中東)とアメリカに広がっています。
ユーラシアの東半分(インドや東アジア)では一神教への展開はあまり見られませんでした。この地域には多神教が濃厚に残っています。しかし、この地域では、悟りの宗教が発達しました。

・ヨーロッパや中東    一神教
・インドや東アジア地域  多神教+悟りの信仰

多神教を組み込み、悟りを目指したインド・東アジア

中東のほうで一神教が始まった頃、インド人はあらゆる生き物――人間のみならず動物も含む――の運命を司る〔輪廻〕の法則を信じるようになりました。一神教では、人は死後に神の審判によって天国か地獄に割り振られます。インドの場合、この審判の機能を果たすのは輪廻です。善人は好ましい生に生まれ変わり、悪人は悪しき生に生まれ変わる。それはすべて「自業自得」なのです。
また、修行することによって、この輪廻の束縛から逃れる(=解脱する)という思想もあります。輪廻から逃れた先に向かう理想的状態を、仏教では〔涅槃(ねはん)〕と呼び、ヒンドゥー教では〔ブラフマン〕と呼んでいます。
仏教の究極的理想は、悟りの境地である涅槃に至ること(成仏ともいう)であり、ヒンドゥー教の究極的理想はブラフマンに融合することです。

中国では〔陰〕と〔陽〕という2つの原理によって世界や人間の運命が転変すると考えました。陰陽の究極的な出どころを太極と言います。さらに儒教では〔仁〕が人の進むべき理想だと考え、そのための礼儀を尽くすことを勧め、道教では〔道(タオ)〕が人のならうべき見本だと考え、そのため無為自然に生きることを推奨しました。

つまり儒教や道教でも、1種の悟りを求めることを推奨しているのです。
仏教式の悟った人が「仏」で、儒教式の悟った人が「君子」で、道教式の悟った人が「仙人」です!
東洋における悟りという理想は、多神教の神々をも支配するものです。つまり、神々もまた悟りを求めて修行する必要があるのです。
キリスト教やイスラム教などの一神教は多神教の神々を蹴散らしましたが、インドや東アジアの宗教では、多神教を悟りの宗教の中に組み込みました。神々と人間がともに宇宙の理法にしたがい、それを悟ることを目指すというようなシステムです。

 

 

 

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February 19, 2020

ろくな記事しか載せない


ろくな記事しか載せない 東洋経済ですが
チョットわたし胸が熱くなった

https://toyokeizai.net/articles/-/328182?page=2

、「もしこういうことをするなら、『Think fast Plan fast Act fast』」といった。

今のゴーン被告については、擁護するつもりはない。ただ彼が存亡の危機にあった日産を救った事実は変わらない。

アメリカで30年相場を見てきた筆者の持論では、危機管理と緊急事態での判断は誰にでもできるものではなく、特殊な才能を持った人にしかできないと思う。主観では、安保体制の中、戦後の70年間、どっぷりと平時に染まった日本の政治力では、そのようなスペシャルな対応が可能か疑問である。ならばこういう時こそ、当時の日産にならい、プライドを捨ててでも必要なら外部の専門家を雇うべきだろう。

トランプ大統領が911で勲章を授与したある人物

そこで、ある逸話を紹介したい。昨年9月、ドナルド・トランプ大統領は、英国出身の軍人である故Rick Rescorla(リック・レスコーラ)氏に、亡くなってから18年経って個人としては最高勲章の「メダルオブオナー」を与えた。同氏はベトナム戦争に数百人の部下を持つ部隊長として従軍。2000人以上の敵兵に囲まれながら、部隊を鼓舞し、援軍がくるまで持ちこたえた戦場の英雄である。

数々の勲章を得た同氏は、退役後、民間のセキュリティ会社に移り、1990年代には、アメリカの大手金融機関のモルガン・スタンレー社でWTC(世界貿易センタービル)にある本社のセキュリティ総責任者になった。そして1993年の最初のWTCテロが起こる直前、ビルの構造上、爆弾を使ったテロが駐車場で起こる可能性が高いと判断、それに沿った避難訓練を徹底した。

そして氏の想定通りのテロが起こり、最小限の被害で抑えたことで評価を高めた同氏は、返す刀で「次は飛行機による空からの攻撃になる。だから本社を移転すべき」と、本社幹部に進言した。だが本社はリース契約が2006年まで残っているとの理由で移転を拒んだ。

そして運命の2001年9月11日。WTCのサウスタワー44階で衝撃音を聞いた同氏は、ノースタワーの火災が飛行機によるテロだと確信。状況把握に手間取った当局が(NY湾岸管理局)、サウスタワーの人は塔内に留まるように命令を出す中、レスコーラ氏は行政からの命令を無視。社員2700人を非常階段から速やかに退避させた。そしてまだ管内に残された社員がいるとの一報を受け、2機目が追突し炎上が始まっていたサウスタワーに向かった。途中、妻に電話をかけ、もし自分が戻らない場合、君に感謝していたことを忘れないでほしいと言い残した。

これ読んで思い出したのが
陸軍中将・根本博
終戦時、内蒙古・北京に在留する日本人を無事に帰還させた陸軍中将・根本博は、その恩義を返すため、4年後に密航で台湾に渡り、蒋介石を助ける。海峡を越える感動の歴史ノンフィクション。

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

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February 01, 2020

嘘くさい 右翼が気になる今日この頃(^^;;

平成の大ベストセラー『国民の歴史』の西尾幹二が語る「保守と愛国物語への違和感」
“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #1
https://bunshun.jp/articles/-/10473


https://bunshun.jp/articles/-/10475
――西尾さんは『保守の真贋』(2017年)で日本会議や国民文化研究会、日本政策研究センターといった安倍首相を運動的・思想的に支える組織を「保守系のカルト教団」と強い言葉で批判されています。また安倍首相自身に関しても「拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない」と厳しく批判しています。

西尾 安倍さんについては、私にだけではなく多くの人の目に、その正体が現れたという思いが年々強くなっていますね。人たらしって言うのかな、威厳はないけれども敵は作らない絶妙さを持っている一方、旗だけ振って何もやらない無責任さがあります。憲法改正がいかに必要であるか、炉辺談話的に国民に腹を割って説明をしたことが一度でもありますか。中国の脅威について、世界地図を広げながら国民に説明したことはありますか。憲法改正についても安全保障についても、やるやるとぶち上げておきながら、はっきりしたことは示さないまま時間切れを迎える。

 

#1#2#3と在りますが
面白いね、

歴史教科書問題とかもう随分昔の話ですが
当時のもめ事の内幕わかり(((((・_・;)

これじゃ 嫉妬  
オームの連中と大して変わらん
後に自殺したのも居たけどけど、

ああぁ~こんなヤツだったんか

稲田朋美にガッカリしたのと同じじゃんか(^^;;

 

 

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January 12, 2020

社長の夫が一転、月収20万円。その時二人の子がいる妻が選んだこと

社長の夫が一転、月収20万円。その時二人の子がいる妻が選んだこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67682
2008年9月15日。この日を境に人生が変わった人は世界中にいるはずだ。そう、リーマンショックである。アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザースの破綻により、一夜にしてすべての財産や家、そして職を失う人が続出した。
では、もしも子どもが二人いる家庭で、大黒柱として働いていた夫が、その影響で失業したら――。

経営している工場では、数人の正社員のほか十数人のパート社員を雇っていた。父親の代から勤めてくれている人も多く、正月に社長宅に遊びに来たり、みんなでバーベキューをするなど家族的な付き合いをしていた。そんな輪に美沙さんも、生まれた子どもたちも加わって――絵に描いたように幸せな結婚生活だった。
会社の倒産で歯車が変わる
それが結婚して5年後、元夫の会社が倒産してから歯車が狂い始めた。
「リーマンショック後の不況の影響で、海外にどんどん仕事をとられてしまい……。結局、工場も家もすべて取られる形で潰れてしまいました。義母の住まいも失ったので、借家で同居することに。でも、私としては、そんなことは別に問題なかったんです。それより元夫が落ち込みすぎて、ボロ雑巾のように覇気がなくなってしまったのが辛かった。まだ仕事がうまくいっているとき、冗談めかしてではありますが『会社が潰れたら俺は死ぬ』と言っていたことがあったので、自殺だけはしないようにと、腫れ物に触るような感じで暮らしていました」
美沙さんの収入でとりあえず生活はできたので、元夫は流通センターで梱包などのアルバイトをし、日銭を稼ぎながら正社員の職を探した。でも、40も半ばを過ぎた「元社長」を雇ってくれる会社など、なかなかない。
最終面接まで進んでも、「元社長」だと知られると断られるケースも多かった。確かに、使いにくい人材ではあるだろう。
「本人が一番苦しいんだろうから、就職活動については一切、口を出しませんでした。当然、不安でしたが、優秀だし人望もある人なので、心のどこかで、いつか自分で何か始めてくれるんじゃないかと期待していたんです」
これは、私が好きになった彼じゃない
結局、元夫は美沙さんが望んだような形ではなく、タクシードライバーの職を見つけ、正社員として落ち着いた。月収約20万円。
「口には出しませんでしたが、子ども2人の父親として20万円ってどうなの、と思いました」
「ドライバーが悪いというわけでは全然、ない。でも、運転が好きだというわけでもない元夫が、積極的に選んだ仕事ではないのは明らかでした。実際、笑顔も減りましたし……」 
家族のために働こうとしてくれているのだから感謝すべきだと、頭ではわかっている。しかし、

お金のあるひとが向上心があるとは限らない。
お金がなくなると 輝きを失う人は多い。
貧乏に勝つ 愛はない
お金で幸せは買えないが、不幸は追い払える

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November 13, 2019

ハーバードが学ぶ日本企業

恐れのない職場がトヨタの強み ハーバードが見る組織
ハーバードビジネススクール教授 エイミー・エドモンドソン氏(上)
2019/11/4
ハーバードが学ぶ日本企業

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO51507320Y9A021C1000000?&ora

最新刊「恐れのない組織:職場に学習力・イノベーション・成長をもたらす心理的安全性の創出(The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth)」は、「心理的安全性」をテーマとした本です。この本を執筆した動機は何ですか。

心理的安全性は学界のトレンド

大きな障壁となるのがパワー・ディスタンス(権力格差)です。パワー・ディスタンスが大きい文化をもつ国や企業では、心理的安全性を創出するのがより難しくなります。フラット型組織であっても、階層的なピラミッド型組織であっても、変化の激しい現代を生き抜いていくには、心理的安全性を創出するような文化をつくることが不可欠なのです。


人間関係より仕事に集中させたホワイトボード

ホワイトボードは、目の前の状況に対する「健全な恐れ」を軽減し、人間関係よりも仕事に焦点を集中させる役目を果たしたと思います。多くの人々が同時に、迅速に行動しなくてはならない緊急時において、「バウンダリー・オブジェクト(異なるコミュニティーやシステムの境界をつなぐもの)」を設けるのは、とても重要なことです。

佐藤 先ほど「人間は将来、起こりうる重大な事態よりも、目の前の人間関係を優先してしまう習性がある」とおっしゃいましたが、増田氏は極限状態においても、メンバーが不健全な恐れを抱くことなく、それぞれの役目を果たせる環境をつくったということですね。

エドモンドソン 繰り返しになりますが、人間は非合理的な決断をする存在です。顧客に対するサービスを向上させることよりも上司からの評価を優先してしまいますし、患者や乗客の生死に関わるような状況でも職場の上下関係を優先してしまうのです。

人間は、「どうやったらうまく印象操作ができるのか」を常に考えています。無意識のうちに「周りの人たちからの印象をコントロールしたい」と思ってしまうのです。そのため、「自分はどう思われているか」という懸念が人間から消え去ることはありません。

リーダーの役割は、人間には、目の前の人間関係よりも、もっと重要なことがあることを示すことです。「印象操作なんてチームのビジョンを達成するのに何の役にも立たないよ」と伝えることです。さらにはチームメンバーが「自分がどう思われているのか」を気にしないで、自由に発言できるような環境をつくることです。

「チーム増田」のメンバーは「こんな報告をしたら上司や同僚にどう思われるか」などと心配することもなく、増田氏に問題を報告し、事態を打開するためのアイデアも提言し、迅速に行動していきました。これはまさに増田氏がすべてのメンバーに正しい優先順位を示したからだと思います。

なぜ私たちの会社は存在しているのか
エドモンドソン 最も重要なのは、職場における心理的安全性を創出することが、会社の存続・成長にとって不可欠であることを社員に伝えることです。「新しい事業アイデアや改善案があればどんどん提言してください」と言われても、その理由がわからなければ、かえって萎縮してしまうでしょう。

その話の中で、「なぜ私たちの会社は存在しているのか」を社員に問いかけることも効果的です。自分の仕事の価値がわかれば、主体的に仕事に取り組めるようになるからです。


私が提言しているのは、
「どんな状況にも謙虚に向き合いなさい」ということです。私たちの生きる現代社会は複雑で、不確実で、予測もできません。新製品を市場に出すときでも、サプライチェーンを管理するときでも、リーダーは「自分の周りの状況はすべて理解できないものだ」という前提で、柔軟に対応しなくてはならないのです。そうでなければ、想定外のことが起こるたびに動揺してしまい、チーム全体がリスクにさらされてしまうでしょう。つまり、「不確実性に対して謙虚に向き合う」ということは、「どんな状況にも賢く対応する」ということなのです。

リーダーが「好奇心」を持ち続けることもとても重要です。人間は「私は現実を正しくとらえている」と過剰な自信を持ってしまうものです。特に大人になればその傾向が強まります。「私の見方こそ正しい」と無意識のうちに思い込み、あえて他の視点から学ぼうとしないのです。会社の経営者や管理職は「リーダーたるもの、確固たる答えを部下に示さねば」と考えがちですが、むしろリーダーの役割は好奇心を持って部下や周りの人に質問することなのです。

リーダーがどんな状況にも謙虚に、好奇心を持って向き合えば、メンバーは自然と心理的安全性を感じることができます。



命令ではなく質問すること

まず上司は部下に、リーダーはメンバーに、命令するのではなく、質問することです。これはメンバー同士でも重要なことです。質問は、心理的安全性を創出するのに役立ちます。上司から意見を求められれば、思っていることを発言しやすくなるからです。

次に、問題を報告されても、怒ったり、感情的になったりせず、建設的に対応することです。私が特に勧めているのは「問題を報告してくれてありがとう。問題を解決するために私にできることはありますか」と聞くこと。リーダーが一緒に解決してくれようとすることがわかれば、チームの心理的安全性はさらに高まります。

大手化学会社、イーストマン・ケミカルのマーク・コスタ最高経営責任者(CEO)は、ハーバードビジネススクールの授業に招かれた際、「CEOとして最も怖いのは、社員も役員も真実を伝えてくれなくなることだ」と語っています。彼は意図的に嘘をつかれることを恐れているのではありません。真実が組織の上まで上がってこないことを恐れているのです。

人は出世すればするほど、保守的になります。中間管理職が自分のチームの中に心理的安全性を創出することに成功し、現場の問題があがってくるようになったとしても、その上の部長が「この件は役員には伝えたくない」と考えれば役員まであがりません。あるいは、部長がその上の役員に自分の部の問題を報告したとしても、役員が「この件はCEOには伝えたくない」と考えれば、CEOにまであがることはないのです。社員が「私の上司は良い報告だけを求めている」と考えている会社は、遅かれ早かれ危機にさらされるでしょう。


平時にも非常時のような協力体制を

リーダーが「今はあなたが会社にとって大切なイノベーションを創出する機会なのだ」ということを示さなくてはなりません。

革新的な製品やサービスを生み出すプロジェクトというのは、社内で「感染していく」と思います。イノベーションのスピードをあげるには、現場に象徴的なプロジェクトをいくつかつくることです。社運をかけたビッグプロジェクトにする必要はありません。大きすぎず、小さすぎないサイズの部門横断チームで様々な製品やサービスを開発して、市場に出して試してみることです。そして、何が売れて何が売れないのか、迅速に学習することです。

プロジェクトづくりで参考になるのは、タフツ大学の経営学者が提唱し、セーブ・ザ・チルドレンのジェリー・スターニン氏によって実証された「ポジティブ・ディビアンス」(Positive Deviance =良い方向への逸脱者)という概念です。これは、集団の抱える問題を解決し、集団全体を良い方向へ導くためのアプローチです。

「ポジティブ・ディビアンス」とは、他の集団と比べて非常識な行動をとっているのに、うまく問題を解決している「逸脱者」のこと。この「逸脱者」は、個人であることもあれば、集団や企業であることもありますが、リソース(ヒト、モノ、カネなど)がなくとも、周りとは異なる戦略やアプローチで問題を解決するのが特徴です。この逸脱者の独自の戦略やアプローチを研究し、その同じ環境下にある人々に適用することは、集団全体の問題を解決するのに有効であることが、フィールド調査から実証されています。

これは外部の人や専門家のアイデアを取り入れるよりも有効なアプローチです。というのも逸脱者の戦略は、同じコンテクスト、同じリソースで効果を発揮することがすでにわかっているからです。

「ポジティブ・ディビアンス」はセーブ・ザ・チルドレンのような慈善団体だけではなく、営利を目的とする企業にも有効だと思います。1つの「ポジティブ・ディビアンス」は、他のプロジェクトにも感染し、やがては会社全体へと感染していくことでしょう。それがひいては、日本企業全体のイノベーション力を高めることにつながると思います。





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November 05, 2019

40代のリストラ加速。人手不足は大嘘で、超低賃金の単純労働者だけを求める日本社会

40代のリストラ加速。人手不足は大嘘で、超低賃金の単純労働者だけを求める日本社会=今市太郎
https://www.mag2.com/p/money/786868

ほかの会社では通用しない。サラリーマンの「一生働く」は困難に

有能な人材以外は会社に残れない時代が鮮明になりつつあります。

東京商工リサーチが大規模な早期退職者募集を行う企業の状況を発表していますが、2019年の上場企業の早期退職や希望退職の対象が9月末時点で既に27社・計1万342人を超えたことを発表しています。

年間1万人を超えたのは6年ぶりということで、リーマン・ショック後の2010年を超える状況となっているようです。

また1,000人規模の早期退職募集を行う企業は今年上半期だけでも3社あり、つい最近ではセブン&アイ・ホールディングスが3,000人規模のリストラを発表しており、雇用情勢はかなり悪化していることがわかります。

いわゆる肩たたきによる退職というものは想像以上に進んでいることを、あらためて実感させられます。

景気の悪い企業では人員削減やむなしという見方も強いわけですが、本邦企業の内部留保額が日本のGDPと同額もしくはそれを上回るほどになっている状況下で、高収益企業でも人員削減が断行されようとしているのは、正直驚き以外の何物でもない状況です。

 これまでバブル入社組で過剰に雇用してしまった45歳以上が一斉に人員削減の対象として狙われてきている話は、当メルマガでも何回かご紹介しています。

足元では、とうとう40歳から早期退職のターゲットになりはじめているようで、日本の企業はすでに新卒から20年会社にはいられないところになってきていることがわかります。

足元の中途採用は、社内に存在しないケイパビリティを補うことが中心になっており、一般企業におけるきわめてコモディティ化している人材のほかの企業への労働移動がかなり難しいことが目立ちはじめています。

たとえば自動車業界であれば、既存の自動車の設計生産の知見をもつ者よりも、IoTやAIといったまったく業界内に存在しなかったようなケイパビリティが求められるわけですから、既存の業界経験というものがほとんど有効に機能しないという現実があるわけです。

またM&Aの加速により同業社に買収されるリスクも非常に高くなってきていますから、これまでのように自社内では際立った知見の存在でも、買収先では必ずしもそうではなくなるという評価激変の可能性が高まりつつあります。

大手企業の40歳からの早期退職などが顕在化するのはこうした企業の環境変化の現れであり、これからはサラリーマンが一生働き続けることがきわめて難しい時代になってきていることを痛感させられます。

これまで正規か非正規かという問題は労働市場でも大きな議論の対象となってきましたが、どうやら問題はそういうレベルではなくなっているようです。

低賃金長時間労働力が欠如しているだけで、マクロでの人手不足は大嘘

すでに40歳からの早期退職が猛烈に加速するご時世を見ていますと、人手不足がかなりウソであり、実際には低賃金で長時間、大した保険にも加入しないなかで働いてくれるような人材や、建設関係の労働力、介護にかかわる労働力などが圧倒的に不足しているだけであることがわかります。

大手企業の40歳からの早期退職などが顕在化するのはこうした企業の環境変化の現れであり、これからはサラリーマンが一生働き続けることがきわめて難しい時代になってきていることを痛感させられます。

これまで正規か非正規かという問題は労働市場でも大きな議論の対象となってきましたが、どうやら問題はそういうレベルではなくなっているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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October 09, 2019

中国・習近平が狙う「仮想通貨」の覇権 ☆☆☆

中国・習近平が狙う「仮想通貨」の覇権、米国をしのぐヤバすぎる思惑
米中の衝突はこんなところでも…
加谷 珪一
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67675

中国政府が独自のデジタル通貨を発行することがほぼ確実な情勢となってきた。

米国政府は米フェイスブックの仮想通貨「リブラ」について「国家安全保障上の問題(ムニューシン財務長官)」とまで言及。表面的には敵意をむき出しにしているが、水面下では次世代の通貨覇権の確立に向けた激しい駆け引きが始まっている。

「リブラ」をきっかけに一気に計画が具現化

中国は2014年からデジタル通貨について検討を続けてきたが、しばらくの間、状況は不明のままだった。だが今年8月に中国の中央銀行関係者が「(デジタル通貨について)発行準備が整った」と発言、一部では11月にも発行が開始されるとの報道も出ている。中国政府が正式に発表したわけではないが、中国がデジタル通貨の運用に乗り出す可能性はかなり高まったとみてよいだろう。
デジタル人民元の詳細は明らかではないが、匿名性があり、自由に送金できる仕様になっているとの見方がもっぱらである。使えるプラットフォームが限定され、個人の銀行預金と紐付けられている既存の電子マネーとは根本的に異なる存在であり、流通している現金通貨を置き換えることを目的とした、本格的なデジタル通貨と考えられる。
5年間も検討を続けていたにもかかわらず、ここに来て計画が一気に具現化してきたのは、米フェイスブックが「リブラ」の発行計画を発表したことと無関係ではない。

リブラはビットコインと同様、ブロックチェーンの技術を使って開発される仮想通貨だが、ビットコインとの最大の違いは、ドルやユーロなど既存通貨によって価値が担保される点である。
リブラはリブラ協会と呼ばれるコンソーシアムが通貨を管理する予定だが、リブラ協会はドルやユーロといった既存の法定通貨を保有し、この保有資産を裏付けにリブラを発行する仕組みとなっている。リブラと既存通貨の交換レートは変動するものの、各国通貨のバスケットになっているので、価格変動は穏やかなものになる。
IMF(国際通貨基金)には、主要通貨をバスケットにしたSDR(特別引出権)という、事実上の国際通貨があるが、リブラはこれに近い仕組みと考えてよいだろう。主要通貨をベースに通貨を発行するという点では、保有するドル資産などを裏付けに、政府ではなく民間企業が通貨を発行している香港ドルとも似ている。
日本では政府が発行しないと通貨ではないといった議論をよく耳にするが、それは単なる思い込みである。経済学的に見た場合、通貨というのは、それに価値があると多くの人が認識すれば、通貨として流通する性質を持っている。政府の方が民間よりも信用度が高いので、法定通貨の方が流通しやすいのは事実だが、民間が発行主体であっても、通貨の要件を満たさないわけではない。
では、なぜ中国政府はリブラの計画をきっかけに、デジタル通貨の発行を進める決断を行ったのだろうか。その理由は、リブラが持つ潜在力が想像以上だったからである。

中央銀行が持つ「利権」が脅かされる

リブラについては、各国から様々な懸念が寄せられており、マネーロンダリング対策などで協議を進めていくとしている。だが、リブラにはマネロンに関する懸念があるという各国通貨当局の説明は、額面通りには受け取らない方がよいだろう。もちろん、匿名性の高い仮想通貨が世界に流通すれば、犯罪資金などの温床になる可能性はあるが、現金とは異なり、仮想通貨は理屈上、その行方を電子的に追跡できる。
現金ほど匿名性が高く、犯罪やテロに利用しやすい決済手段はほかにない。それにもかかわらず、現金が主な決済手段として全世界で使われている現状を考えると、仮想通貨が普及するとマネロン対策ができなくなるというのは杞憂に過ぎないことがお分かりいただけるだろう。
各国の通貨当局が本当に恐れているのは、マネロンなどではなく、リブラのような仮想通貨が普及することで、中央銀行が持つ巨大な利権が脅かされることである。
現代の金融システムは、中央銀行が通貨を一元的に管理し、傘下にある民間銀行を通じてマネーの流通をコントロールすることで成り立っている。中央銀行はその気になれば、その国の経済を自由自在に操ることができるので、この仕組みは、中央銀行を頂点とした銀行による一種の産業支配システムと言い換えることもできるだろう。

実際、銀行は他の業種とは異なる位置付けとなっており、金融関係者は特別なエリート意識を持っている。経営危機となっても銀行だけは政府から救済してもらえるのは、銀行が特権的な立場にあるからにほかならない。
ここでリブラのような仮想通貨が広く流通する事態になると、状況が一変する。
中央銀行による統制が効かないマネーの比率が増えれば、金融政策の効果は半減し、中央銀行が持つ権力も大きく削がれることになる。金融機関にも十分な情報が入らなくなり、一般企業に対する支配力も大きく低下してしまうだろう。日本のような小国の場合、金融システムと産業界との力関係の話に過ぎないが、米国や中国といった覇権国になると状況がまるで変わってくる。

「通貨覇権」の影響力はすさまじい

米国は常に巨額の貿易赤字を垂れ流しているが、それは多額のドルを世界にバラ撒いていることと同じである。つまり米国は貿易赤字を通じて全世界にドル経済圏を構築しているわけだが、世界経済におけるドル覇権の影響力はすさまじく、各国企業はドルなしでは経済活動を継続できない。

日本がいくら物作り大国だといっても、日本製品を日本円で買ってくれる顧客はおらず、ほとんどの日本企業はドルで代金を受け取り、金融機関を通じて日本円に替えなければならない。世界のすべての取引にドルが介在するので、米国は圧倒的な影響力を世界に行使できる。
近年、グローバル化が進み、海外にも気軽に送金できるようになったが、銀行間の送金ネットワークも実は米国がドルベースで構築したものであり、ドル覇権と密接に関係している。海外送金が簡単になったのはドルが普及したことが要因であって、多国籍という意味でのグローバル化が進んだ結果ではない。

ドル覇権が続く限り、米国には金融機関を通じて世界のあらゆる情報が集まってくるが、インテリジェンス(諜報)の世界において、これほど有益な仕組みはほかにないだろう。保守的な日本人にはまったく理解できない話かもしれないが、通貨覇権国というのはお金の動きをチェックするだけで、全世界の情勢をほぼリアルタイムに把握できてしまうのだ(たいていの政治的な動きにはお金が関係する)。
近年、このドル覇権に対して公然と挑戦状を叩き付けたのが中国である。中国は人民元をベースにした独自の銀行送金ネットワークの構築に乗り出しており、ドル覇権を周辺から突き崩そうとしている。もし中国が米国に準じる金融覇権の確立に成功すれば、日本のような小国はひとたまりもないだろう。

このような現実を考えると、全世界で27億人の利用者を持つフェイスブックが、本格的な仮想通貨の計画を打ち出したことのインパクトが、米中の通貨当局にとっていかに大きいことなのかお分かりいただけると思う
すでに戦争は始まっている
これまで規模の小さい途上国は、ドル覇権の下にぶらさがる形でしか通貨システムを構築できなかった。内戦が続き国土が荒廃したカンボジアでは、国連による暫定統治で経済を復活させたが、金融システムはドルと現地通貨の二本立てとなっている。現在、カンボジアはめざましい経済発展を遂げているが、これはカンボジアがドル経済圏であることと無縁ではない。

中国はカンボジアを中国経済圏に引き入れようと、莫大な資金を投下しているが、企業における決済や預金、投資がドルになっている以上、中国もそのルールに従わざるを得ない。通貨覇権を握っていることは、何兆円もの経済援助をはるかに上回る効果がある。
もしリブラが世界に普及した場合、自国通貨とリブラの二本立てで金融システムを構築する新興国が出てきても不思議ではない。こうした新興国は、リブラを交渉材料に、ドル覇権を狙う米国と人民元覇権を狙う中国を上手くてんびんにかけ、双方から好条件を引き出そうとするだろう。

つまりリブラという仮想通貨は、これまで構築してきたドル覇権を脅かす存在であり、そのドル覇権に対して挑戦状を叩きつけている中国にとっても、それは同じことである。

中国は発行を計画している人民元のデジタル通貨を用いて、国際的な人民元の普及を画策する可能性がある。表面上はリブラとは対立関係にあるが、この世界は「蛇の道は蛇」であり、リブラとデジタル人民元が共存することも十分にあり得るし、米国政府が水面下でフェイスブックとの交渉を進めている可能性も否定できない。

さらに言えば、ユーロ陣営や英国の動きにも注目する必要がある。
ユーロ圏各国は、表面的には仮想通貨規制で各国と足並みを揃えるというスタンスだが、ユーロ圏内では、ビットコインなどの仮想通貨を自由に流通させている(英国も同様)。欧州各国が、仮想通貨に対して警戒感を示しつつも、ドル経済圏に対する牽制球としての役割を仮想通貨に期待している面があるのは明らかだ。

日本では相変わらず、仮想通貨に対して感情的な議論ばかりだが、国際社会では、水面下で次の通貨覇権の確立に向けた権力闘争が始まっているのだ。

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September 26, 2019

町工場の娘4(^^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

 

経験者が語る“下請けいじめ”の実態。不当な減額、買い叩き、タダでやり直し要求は当たり前

https://hbol.jp/141578

過去数回に渡り、筆者の父が経営していた工場を通じて世の町工場が抱える問題をいくつか取り上げてきたが、今回は企業間で生じる代表的な問題の1つ、「下請けいじめ」について綴っていこうと思う。  筆者が父の工場で働き始めたのは、大学の卒業式を待たずしての頃だった。  学校から家に帰るよりも近かったため、小学生の頃から工場に通い、職人の働く姿を間近で見てきたが、「見る」と「働く」とでは、もちろん次元が全く違う。  社会経験もほとんどないまま飛び込んでしまったゆえ、正直、“何が分からないのか”が分からず、職人、取引先、営業、両親の間で、とっかえひっかえ問題を抱えてはフルスロットルで空回りする生活を続けていた。にもかかわらず、「若いから」、「性別をハンディにしたくないから」という意気込みだけは無駄に強く、今考えても当時は今以上に余裕も可愛げもなかった。  そんな中、父の工場には年に数通、「親事業者との取引に関する調査について」という書類が中小企業庁からやってきていた。見ると「下請け企業を守るため」なる内容のことが書いてある。  しかし、毎日空回っていた入社当初の筆者にとって、こういった国からの書類や手紙の対応などは、正直なところ煩わしい雑務。期限内に提出せよという文言に、「おい、国まで私の仕事を増やすのか」と、机の“未処理箱”に放り込んでは、期限ぎりぎりになって当たり障りのない回答をして返送していた。  が、徐々に自分の立場と工場の状況が把握できるようになってくると、ようやくこの書類が少なくとも自分に味方するものであること、そしてその内容と現状の一致から、自分の工場が「下請けいじめ」を受けている只中にあることに気が付く。  その書類の回答用紙や質問冊子に添えられた送り状には、世話になっていた親事業者(元請け企業)の名前が1通につき1社、ダイレクトに書かれてあり、冊子にはその企業に対する質問が50問ほど羅列してあった。  一瞬、「この会社、なんか悪いことして国に目をつけられたのか」と思ったが、送り状をよく読むとそうではないようで、この書類は、親事業者が中小企業庁に提出した「下請事業者名簿」を基に無作為に選ばれ送られてくるもの、そして、その親事業者に下請法上の問題が認められたか否かにかかわらず調査が実施されることを知った。  回答期限を設けてはいるものの、下請け側には提出義務は存在しない。質問内容のほとんどが金銭や納期に関わることで、発注内容を書面に残しているか、期日通りに支払いされているかなど、どれも元請けが下請けに不当な扱いをしていないかを細かく問うものだった。

 

 

 日本には、下請法という法律がある。正式名称を「下請代金支払遅延等防止法」といい、先述したように親事業者の一方的な都合から下請け企業を守るための法律で、親事業者に対して「義務」と「禁止事項」が細かく定められている。公正で自由な競争を守るための法律として知られる「独占禁止法」では対処できない、末端企業を保護するための補完的法律だ。  下請法が適用される業者かは、事業者の資本金額や職種などによって決まる。代表的なのが製造業で、父の工場のような、大手のくしゃみで大風邪を引くほどの弱小町工場にとっては、格好だけでも国が「マスク」になってくれることは心強かった。  そんな下請法を通して父の工場を見た時、取引先数社から「減額」と「買いたたき」、そして「不当なやり直し」の項目に該当する行為を受けていたことが分かった。父の工場は、得意先が作った金型を預かって研磨する、いわば「技術業」。それゆえ、元請けにとっては値段を調整させる言い訳が立てやすく、不当な値下げや返品などの強要が頻繁に行われていたのだ。 「減額」とは、文字通り支払い金額の減額を強要する行為だ。下請法では、下請事業者に責任がないにもかかわらず、親事業者が発注後に代金を減額することを禁じている。  父の工場は長年、ある取引先から彼らの言い値で仕事を受けており、さらには締日後に「月予算がオーバーしたから10%割引した請求書を再送するように」と強要されたことも度々あった。11500円で購入させられていたその会社専用の請求書の束を、倉庫の棚奥にしまいながら、「同量の仕事くれるんやったら、こんなもん印刷追いつかんくらい買うたるわ」と皮肉る父親が、なぜかかっこよく見えたのを覚えている。 「買いたたきと」は、市場価格に比べて著しく低い下請代金の額を不当に定めることで、筆者の入社当時、訳あって混乱していた工場の弱みにつけこむ形で、通常の3分の1の価格で仕事をさせられていた時期があった。

細かい指示にミスが出ないように、金型には色分けしながら引取りの際に全て書き込む

 中でも「不当なやり直し」は、技術を売る企業にするとかなりやっかいで、父の工場の場合納品した金型のどこにも傷はなく、検品にも通った後にもかかわらず、電話で「今再確認したら傷がある。これでトライ(成形)してみるが、もしNGだったらやり直せ」と一方的に言われることが頻繁に起きていた。結局一度使った金型は全体に傷がつくため、元々傷があったなかったに関係なく、「やっぱりNGだった」のひと言で無償のやり直しをさせられることになるのだ。  こうなれば、下請けは取引先のいいなりになるしか術がない。中小・零細の下請け企業は大手と違い、1つの契約が突然切れると、たちまちに経営が立ち行かなくなることが多々あるため、下請けは注文書に書いてある納期や金額よりも、結局取引先の顔色を見ることになる。

「他の会社はタダでやりなおしてくれる」

 当時、威勢の良かった筆者はこれらを埋め合わせるべく、自分の持ち合わせる最大の営業スマイルで「少しでもいいので工賃をくれないか」と何度か取引先に頼んだのだが、「他の会社は無償でやっている」「今後は他を探す」と言い放たれるばかり。  溜まったストレスは、1人になれる帰路のトラック車内で、彼ら担当者にあだ名をつけて発散させていた。手に油が少しでも付けばすぐに洗いに行って当分帰って来ない購買部の担当者には「ラスカル」、完璧な仕事にも毎度必ず首をかしげて無言の保険をかけてくる検品担当者には「慢性肩こり」。共感してくれるのは、工場で働く営業マンだけだったが、それでも幾分気は晴れた。  前出の「親事業者との取引に関する調査」の書類に回答した内容は、一切親事業者には伝わらないという。が、いわゆる「チクり」のようで気が進まないことに加え、逆恨みなどを気にして泣き寝入りする下請けも未だ少なからずいる。  当時、筆者も「どうせこんな紙切れに正直なこと書いたところで、元請が変わるワケないじゃないか」という思いがあった。というのも、こういう「下請けいじめ」をするのは、「下請法」の存在を知る元請け上層部ではなく、その会社の第一線で働く工場マンで、下請法の存在や詳細を知らない作業員がまだまだ多かったのだ。  それに彼ら工場マン自身も、上からの圧力に毎日押さえつけられながら仕事をしていることは斟酌すべき点だろう。  世界屈指の「縦社会」国家である日本。尊敬語や謙譲語を操り、役職や位で呼び合う社会では、下にいけばいくほど時間もコストも不足し、末端に満たされるのは「変更」や「中止」などで生じる問題ばかり。  ハンコがないと動けず、逆にハンコのせいでフレキシブルに対応できない体制が出来上がっている。上司にせがまれ、短納期・低賃金を現実化しようと思えば、彼らの「下」に位置する下請けに矛先を向けるしか道がないのかもしれない。下請けも大変だが、大手の第一線現場従事者も大変だったんだなと、工場を離れ、「上下」から解放されて分かるようになった。  昨年度、公正取引委員会が行った下請け企業に対する親事業者への勧告や指導の合計は、過去最多の6,603件にのぼる。また、今年の1月からは「下請けGメン」なる調査員による監視やヒアリングを強化させ、取引の公正化を図ることで、中小・零細企業の経営の安定と賃上げにつなげる動きも活発化し始めた。  フットワークの軽い中小・零細企業は、日本の技術発展の鍵をにぎっている。目先の利益だけで、下請けをぞんざいに扱うことは、大手企業にとっても日本にとっても、決していい結果を生み出さない。下請法の存在や内容を会社全体に周知させ、守らせることが、親事業者が今後「大風邪」を引かないための大きな予防策になるかもしれない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

ブラック企業にならざるを得ない中小・零細企業の現実を世間は知っているのか?

https://hbol.jp/144346?cx_clicks_art_mdl=7_title

 

もぬけの殻になった、筆者が勤めた町工場。工場の存続には、あまりに過酷な現実があった

前回までの工場シリーズでは、筆者の父親が経営していた零細工場を通して、立場の弱い下請け企業の現状を綴ってきた。様々な問題を抱える日本の中小零細企業だが、今回から数回に分け、下請けであるがゆえに生じる社内問題から、家族経営の内情、工場が閉鎖するに至った経緯などを綴っていこうと思う。  2013年の秋、1つの町工場が静かにシャッターを下ろした。倒産したのではなく、意思を持っての廃業だった。  製造大国であるこの国からすると、元々存在していたのか分からないほど極小で、当時の得意先も今頃は取引していたことも忘れているであろう「いち下請け工場」であったが、筆者にとっては幼いころから家庭と変わらないかけがえのない存在だった。今でもあの音、匂い、油にまみれた父親や、彼を必死でサポートする母親の姿を鮮明に思い出すが、それはもう今後、記憶の域を脱することはない。  大学を卒業する頃、訳あって当時夢見ていた道を諦め、筆者はこの工場に正式に入社することになった。  昔から見てきた視点とはやはり全く違い、社会経験ゼロの若い女性が、男性職人ばかりの製造業界で経営側として働くのは正直多くのハードルがあったのだが、中でも最も苦労したのが、職人が提供できる技術力・量と、取引先からのニーズをマッチングさせることだった。  前回から述べている通り、父の工場の主な業務内容は、金型の研磨業だった。自動車のプラスチック部品を製造する際に使われる金型を、砥石やペーパーやすり、ダイヤモンドペーストなどで磨き、鏡のように滑らかにする。  1つの作業を任せられるのに10年を要する職人業だ。自動車産業には欠かせない技術だったため需要はあったが、工場最盛期でも従業員は35人ほどしかいなかった。それゆえ、1人にかかる仕事量や責任の比重は、大企業のそれよりも相当大きかったと思う。  昨今、深刻な社会問題となっている「ブラック企業」だが、筆者が工場で働いていた当時には、そういった言葉はまだ浸透していなかった。

 

日本の法では多くの企業が「ブラック」になる

 が、今あの工場が存続していれば、正直「ブラックだ」と言われていたかもしれない。それは経営の一端を担っていた筆者の力不足でしかなく、最後までついてきてくれた職人には今でも感謝と詫びの念しかないのだが、こうして父の工場がなくなり、日本の中小零細企業を客観的に取材・分析するようになると、多くの下請け工場が同じように「ブラック企業」にならざるを得ない状況へと追いやられていることに気付かされ、引き続き胸が痛むのだ。  下請け企業がブラック企業にならざるを得なくなるのには、間に挟まれやすい立場に原因がある。父の工場で起きた事例から見てみよう。  父の工場は創業以来、多くの大手工場から「浮気」されることなく仕事をもらっていた。その一番の理由は、どんな時でも依頼を断らず、与えられた納期を守ってきたところにある。下請けが大手と信頼関係を築き上げるのには最もシンプルな方法であり、そして最も難しいことでもある。  自動車業界には製造ラインにおける独特の波や、突然の仕様変更などがあり、繁忙期と閑散期の差が著しく、その仕事量は1か月先でさえもなかなか読めない。大手が休む盆や正月、大型連休には普段の2倍以上の仕事が舞い込むが、先述したように、職人になるまでには相当な年数を要するため、繁忙期だけ即戦力になる職人を増員するというのは物理的に不可能だ。結局はその期間、1人が2倍以上の仕事をする他に術がない。  それが一転、大手の自動車製造ラインが止まり閑散期に入ると、今度は構内の掃除や草むしりをする日が続く。活発に動くのは、営業担当の持つ携帯電話の発信履歴のみ。経営側の立場としては、むしる草が生えてくるのを待つ時ほど、精神的に辛いことはなかった。  こうして、繁忙期には工場を休みなくフル稼働させて得意先の機嫌を維持し続け、閑散期には35人もの雇用を維持し続ける。どちらもおろそかにすれば、仕事は簡単に他社に流れるのだ。  それでも現場が長い熟練職人には技術や経験があるため、自分が引き受けた仕事は、どんなに残業しようが最後までやり通すというプライドと、「下請け」という立ち位置に対しての理解があったのだが、入社して間もない新人の中には与えられた納期の重みを理解できず、残業に対して不満を持つ者もいた。

 

 

残業が増えれば労基法は守れない。労基法を守れば、納期が守れない

 経営側からすると、職人育成には長い時間と賃金を費やしているため、途中で辞められては今までの努力が無駄になる。  昨今の若者の仕事に対する意識の変化も相まって、新人育成には本元の工場運営とはまた別の神経を使っていたのだが、そんなある日、1人の新人が残業時間に対する不満を経営陣ではなく労働基準監督署へ相談していたことが分かり、工場が大きく揺れた。  当時、手一杯だった筆者が思っていた気持ちを率直に、つつみ隠さずに言えば、こうだ。 「職人の残業が増えれば、労働基準法が守れない。労働基準法を守れば、納期が守れない」  長期的解決策として入れた新人は、不慣れな仕事に残業時間も手当も増え、給料はもはや熟練職人と変わらず。  得意先にでさえ弱音を吐けない経営陣とは対照的に、自分の不満を国に訴える新人に、持って行き場のないやるせなさに打ちひしがれた。  結局父の工場は、法令違反に値せずとも、より改善した方が良いと思われる際に交付される「指導票」を受けるに至った。  しかし、体力のない中小零細企業は、これがきっかけで経営状況が悪化し、一気に倒産へと追いやられることもある。板挟みに疲れ果て、父のように自ら会社を閉める道を選ぶ経営者も少なくない。自分の会社に見境なく「ブラック」のレッテルを貼ることは、挙句自らの首を絞めるばかりか、再就職の難しい年齢に差し掛かっている熟練職人をも巻き添えにすることになりかねないのだ。  経済は生き物である。今目の前で起きていることが全てではない。父が身を置いていた製造の世界だけでなく、どんな業界にもそれぞれ仕事の波がある。波を作り出す発注元に対し、その波長を予測・計算し、荒波に備えるのは受注側の責任だ。  しかし、押し寄せる波が大きすぎれば、中小零細企業はかじ取りができず、やがて海底へと沈んでしまう。  過重労働などの違法行為は決して正当化されるべきことではない。が、会社の存続をかけたブラック企業には、利益追求型のそれとは一線を画した何らかの対応や救済が必要である気がしてならない。ブラック企業にならざるを得ない状況下に置かれている企業があるという現実、法を守ることで潰れていく会社があるという現実を見過ごし続けていては、日本の技術は衰退の一途をたどるばかりだ。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

 

 

 

ワンマン経営の零細工場が抱える“爆弾”は、いつか弾ける

https://hbol.jp/145943?cx_clicks_art_mdl=5_title

 

 前回は、ブラック企業にならざるを得ない中小企業の内情を紹介したが、父が工場を閉めることになったのには、この他に2つの要因が存在する。そのうちの1つは、「ワンマン経営のもろさ」だ。  筆者は大学生の頃、工場を継いでほしいという父からの真剣な頼みを、2回断っている。幼い頃から工場に育てられてはきたが、今まで目の当たりにしてきた男社会に入る覚悟が当時なかったことと、若いなりの夢があったことが大きな理由だった。  それでも結局筆者は、大学卒業を待たずして、父の工場へ入社することになる。今回は、当時父の身に起きた事例に照らし合わせながら、ワンマン経営がゆえに起こり得る町工場の問題を綴っていこうと思う。  大学の卒業式を1か月後に控えたある寒い日の朝、母親との無駄話を終え、自分の部屋に戻る階段を上がっている時、家の電話が鳴った。自営業の家庭にはよくある話なのだが、会社の始業時間前後にかかってくる電話には、毎度緊張させられる。そんな中でも、その日のベルはなぜか特別に胸騒ぎがした。  ベルが止みしばらくすると、母の叫ぶ声がした。「父ちゃんが倒れた」という。慌てて車で会社に向かう筆者の横を、1台の救急車が走り去るのを見て、ハンドルを握る手が震えた。  父が集中治療室にいた1か月、会社は大荒れだった。過去に突然の独立騒動があって以来、技術や経営のノウハウを外に漏らさぬようにと、工具を注文する店や、各取引先の受注担当者などといった企業秘密は、彼の頭の中にあったのだ。いわゆる完全なワンマン経営だったのだが、こうした父なりの会社を守る対策が、今回逆に仇となった。  管につながれた父にはほとんど意識がなかった。筆者と母は、社長室の「痕跡」を頼りに何とか社長業を引き継ごうとするが、そもそも何が分からないのかが分からない。それらを見出す唯一の方法は、問題がそれぞれ深刻化し、表面化してくるのを待つことだった。  注文先の分からない工具は、集中治療室へ持って行き、「父ちゃん、これどこで買うん?」と、ダメ元でちらつかせてみるが、「看護婦さん可愛いね」にも反応しない父に、こんな状態にまでなっても仕事をしてくれると思った自分が滑稽に思えた。

 

取引先には「父は長期海外出張中」と告げた

 最初に迫られた選択は、得意先へ報告するか否かだった。極小町工場の社長が倒れたとなれば、取引先が一気に離れていくことは目に見えている。  話し合いの末、母と筆者、営業らは「社長は長期海外出張中でなかなか連絡が取れない」と、今思えば明らかに無理のある対応をすることで意見を合わせた。  実際、父が倒れる2か月前、得意先を追いかけるように創った念願の海外支社が操業したばかりで、当初は取引先も納得していたが、それまでの取引先とのやり取りも、やはり全て父が担っていたため、しばらくすると「直接話がしたい」という連絡がくるようになる。  次に襲ってきた問題は、受注した仕事の見積りだった。鉄の硬さや金型の形状まで、1つとして同じ条件のない依頼を、父は今まで、経験と各取引先の相場をもって1人で見積っていた。それが全くできなくなり、取引先には「社長が不在で見積もれないからご予算伺えますか」と対応するしかなかった。  それは以後、同業界での無駄な価格競争を生むことになる。  唯一救いだったのは、当時会社にいたヤンチャな従業員35人が、「会社を潰してなるものか」と活気立っていたことだった。未だかつて見たことがない団結力で、今まで以上に真面目に仕事に取り組んでくれた。1人ひとりが自分のできる最短納期を営業に伝え、社長の仕事を見よう見まねで引き継ぐ。父親がいかに信頼されていたかを改めて思い知った瞬間でもある。  父の発症した病気は、くも膜下出血だった。寒いトイレで倒れたものの意識を取り戻し、社長室まで這って戻ると、内線で職人に救急車を呼ぶよう伝え、その後自ら家に電話をしてきた。そのため処置が早まり、幸い体に麻痺は残らず、1か月後には一般病棟に移ることができた。  しかし、そのころから家族にはある不安が募るようになる。父の記憶力が弱いのだ。一過性のものだと信じていたが、結局父には「高次脳機能障害」という後遺症が残った。人により症状は様々だが、父の場合、記憶能力の欠如と、著しい感情の起伏が顕著に表れていた。  高次脳機能の記憶障害は、健忘症と違い、見た目や自尊心は「元の社長」である。人と会話する仕草も健常者と変わらないし、社会復帰にも大変意欲的だった。が、やはり新しい記憶ができない。かかってきた電話に対応できても、切った直後に誰と話していたか忘れてしまう。  それでも今まで散々心配させてきた取引先に、社長の健在ぶりを証明する必要があったため、父を電話に出さないわけにはいかなかった。捻り出した解決策は、電話にテープレコーダーを繋ぎ、後で筆者が内容を把握すること。ところがある日、得意先から電話がきた際、「録音」ではなく「再生」ボタンが押され、過去に取った会話記録が通話中に流れてしまう事態が起きる。これにより、本意ではない噂が広がり、得意先から不信感を抱かれたこともあった。

 

「俺だって好きでこんなんになったんやないわい」

 幸か不幸か、先述通り父には自尊心が残っていた。記憶のできない自分を認識できることは、本人にとって辛かったに違いない。  そんな父の状態を分かっていたにも関わらず、未熟だった筆者は、大学卒業後に決まっていた留学が流れ、やりたくもない仕事をやらされているという現状と、2分おきに同じことを聞いてくる父に苛立ちが募り、ある日「同じことを何度も言わせるな。仕事の邪魔だ」と言い放ってしまう。  その時漏らした父の言葉は今でも忘れられない。「俺だって好きでこんなんになったんやないわい」。  跡を継ぐことを頑なに拒んでいた筆者に、初めて「限界がくるまでやっていこう」と決心させた瞬間だった。筆者が大型自動車やクレーンの免許を取ったのも、この頃である。  こうして一通りの失敗を経験し、仕事の流れを把握するようになった頃、新たな問題が勃発する。  今まで頑張ってきてくれていたある職人が、父の後遺症から会社の存続に危機感を抱き、会社を離れていったのだ。  工場に残った不安感は感染し、離職の連鎖が生まれる。筆者もできる限りのことをしたつもりだったが、彼らにも生活や家族があり、不安になる気持ちは十二分に分かっていたため、無理に引き留めることもできず、ただただ自分の不甲斐なさを悔やんだ。  それでも会社は続けざるを得なかった。海外支社を創った際にできた借金もあれば、未だ残ってくれている従業員もいる。皆それぞれが必死だった。  その後、海外支社の閉鎖、円高やリーマンショック、下請けいじめなど、越えなければならない山は続いたが、父が倒れて10年余り、なんとか借金を完済し、残りの職人らが再就職先を得たのを見届けると、父の町工場は30年の歴史に幕を閉じた。  中小零細の町工場には筆者の父のように、会社立ち上げ当初から自分の経験と勘、人脈だけでやってきたワンマン経営者が多い。それゆえ統率力が強く、「ワンマン経営=独裁」と捉えられがちだが、必ずしもワンマン経営が悪いわけではないと筆者は思う。特に、大企業よりも従業員1人ひとりにかかる仕事量や責任の比重が大きい下請け企業には、ワンマンでないと乗り越えられない危機や壁が幾度となく襲ってくる。  しかし、ある程度会社が成長・安定してきたならば、経営方針を徐々にチーム型へと移行させることが、トラブルが起きた際、会社存続の鍵になるのは確かだ。工場閉鎖後、整理していた社長室の棚から、父が覚えたてのパソコンで入力した数十枚に及ぶ「技術マニュアル」が出てきた時には、「ちょっと遅かったな」と思わずにはいられなかった。  あの時、筆者の見た従業員の団結力は、日本のモノづくりの現場がまだまだ捨てたものではないことを教えてくれた。日本の技術を支える中小零細企業。そこで働く経営者と従業員が、互いにより尊重し信頼し合うことで、無駄に消えずに済む工場は増えると、筆者は信じている。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

年間7万社が後継者不在により廃業。日本の町工場も例外ではない

2017.07.18

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橋本愛喜

廃業を決めた工場最後の日。がらんどうになった工場を背に撮った筆者の家族写真(筆者は右端)

 

総務省が発表した平成27年度の個人企業経済調査によると、後継者が確保できていない日本国内の製造企業は、81.1%にもおよぶ。事業主が60歳以上の割合は76.3%。団塊の世代が70代を迎える昨今、日本のモノづくりを支える町工場の後継者問題は、日々深刻化の一途をたどっている。  娘である筆者がこういうのもおかしな話だが、父の経営していた工場でも、この後継者問題は最後まで解決できなかった。町工場の抱える社内問題について綴った前2回の「労働基準の変化」、「ワンマン経営のもろさ」に続き、今回はこの「後継者問題」について“継ぐ立場の側”から綴っていこうと思う。

零細工場の跡取り娘と知られるや、オトコたちは全速力で逃げて行く

 親が中小零細企業を経営していると、「後継者」として最初に名が上がるのは、否が応でも、その子どもである。幼い頃から自営で働く親、または両親の姿を見ていると、子どもには「自分もいずれこの仕事をする時が来るのだろうか」と考える時が必ずやってくる。  ところが、そんな子どもが社会人になろうとする頃には、環境も考え方も大きく変わっていることが多い。  必死で働いてきてくれた親のおかげで、筆者は金銭的には比較的余裕のある暮らしをしてこられたほうだと思う。学生の頃には様々な経験をさせてもらい、大きな夢を抱くようになった。  が、親が事業をしている子どもには、その夢の矛先が親の事業ではないという皮肉な現象が起きることが多く、例に漏れず、筆者の夢の矛先も、残念ながらやはり“工場”ではなかった。ゆえに、学生時代に父からの「継いでくれないか」という願い出を2回真面目に断っていたのだが、それでも大学卒業間際に工場へ正式に入社することになったのは、前回述べた経緯の通りだ。  父の営む工場には、物理的に力を要する工程が多く、筆者の中で「自分は女性だから継げない」、「継がなくてもいいと両親も言うだろう」という意識が幼い頃からどこかにあったのかもしれない。  やはり両親も、自分たちの仕事は女性が継ぐものではないと十分に分かっていたようで、厳密に言えば、昔から彼らには「筆者自身に」というよりも、「筆者の未来の旦那」に継いでもらおうという魂胆があった。  筆者がトラックで得意先に仕事を引取りに出かける際、母親が言い放つ「いい男も一緒に引き取って来い」という言葉に、毎度ギアをバックに入れても足りないくらいドン引きするも、病気になった父を想うと「そうなったらそうなったで、まあいいか」と心のゲートを開いた時期もあったのだが、女っ気のない性格はもとより、「あのヤンチャな社長の娘」だと知られるや、“ゲートの向こうのいい男”は、ギアをトップに入れても追いつかないくらいのスピードで逃げてゆく。  それゆえ以前話したように、筆者に声を掛けてくるのは、結局怖いモノ好きな5060代の長距離トラックドライバーしかいなかった次第である。

金型業界に衝撃を与えた3Dプリンタの導入をあえて提案してみるも……

 こうして、2代目として両親と供に工場を経営していくことになったのだが、正直、両親と働くことほど辛いことはなかった。  筆者の家族は、昔から「馬鹿」が付くほど仲が良かった。極太の大黒柱だったヤンチャな父に、ド天然の母と4歳差の妹。皆が互いを絶妙なバランスで支えながら暮らしていた。病に倒れた大黒柱を突然支えなければならなくはなったが、筆者は幼い頃から両親の働く姿を見ていたことで、社会経験がなくてもすんなり工場には順応できると思っていた。  ところが、いざ両親とともに働いてみると、全くしっくりこない。最初はただただ筆者の経験不足からくるものだと思っていたのだが、いずれその原因が、「新旧の意見の食い違い」にあると気付き始める。  父の病気後、異常なまでの円高や、職人の減少などで、工場が不安定の只中にあった頃、世間は3Dプリンタの登場に湧いていた。しかしその一方、金型業界の一部では「これまでか」という絶望感が漂い、多くの関係者が「金型の終焉」を予感した。3Dプリンタは、金型がなくても図面さえ描けてしまえばその場でプラスチック製品が出来上がってしまう。つまるところ、金型で食べている多くの職人が今後、ぞくぞくと路頭に迷う懸念があったのだ。  当時、現場の新人育成に頭を悩ませていた筆者は、これをある種の「チャンス」だととらえていた。金型研磨を生業とする父の工場には、金型と職人が存在しなければ仕事にならない。この両方が安定しないのならば、3Dプリンタを量産能力が兼ね備わる前に導入し、新しい活路を見出すべきだと考えたのだ。  しかし、今まで「砥石一本」でやってきた両親にとって、あの機械はただの「びっくり箱」でしかなく、一台試しに導入してみようという筆者の提案は、最後まで通らなかった。何度も説明し、説得したが、「新人育成があなた(筆者)の仕事」と、彼らが今までの方針を曲げることはなかった。  経験と技術だけでやってきた古い体制の町工場にとって、新規事業への参入は、培った経験に対するプライドや、失敗した時のリスク、軌道に乗せるまでの労力など、多くのハードルを越える覚悟が必要だったのだ。  このように、先代は「培ってきた経験」を、次世代は「チャレンジ精神」を切り札とするのだが、これが面白いほど真逆であるがゆえに、筆者と両親は、ぶつかることが日常茶飯事となっていった。同じ空間で新旧が議論しても、話はまとまらない。結局平行線のまま家に帰っても、10分前まで一緒だった両親には「ただいま」を言わなくなる。朝食ではその日のスケジュールを確認し、夕飯には工場に引き続き、意見をぶつけ合う毎日。  それゆえ、筆者は異常なまでにトラックで得意先に行くことが好きになっていた。

 

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中小零細の「世代交代」に現状維持はありえない

 それでも周囲には、親子で方針が違うところを見せないように努めなければならない。現場で働く従業員に、こういった意見の食い違いや言い合いを見せることは、彼らの士気を下げるだけだからである。  規模も業種も全く違うが、数年前、某大手家具販売店で起きた騒動がいい例だろう。親子間での経営方針の違いは、必ずや従業員を巻き込む。その家具販売店の騒動があった頃には父の工場はすでになくなっていたが、筆者は他人事のようには思えなかったと同時に、あの娘さんの意志の強さには、いい意味でも悪い意味でも驚かされた。  中小零細企業での後継者問題には、親子親戚間でなくとも、ほとんどの場合に「世代交代」が伴う。企業形態によっては、2世代分の開きがあることも少なくない。さすれば、「経験」と「時代の流れ」にズレが生じやすくなり、経営の失速に直結する問題に繋がりかねない。  若い世代に継承すべき企業の伝統や風習はもちろんあるところだが、若い世代の新しい風を積極的に取り入れ、社内の新陳代謝を促さなければ、時代の流れに取り残され、あっという間に廃れていく。「世代交代」では、いい意味でも悪い意味でも、「現状維持」という現象はなり得ないのだ。  父の工場は、この他にも様々な要因が絡み合い、結局廃業の道を選んでしまったが、好業績、独自技術が伴う事業には、「売却」という選択肢もあるし、現場の優秀な社員を社長に昇格させる方法もある。これらの道も、決して一筋縄ではいかないが、早い段階での準備と対策によって、次世代につながる企業技術も増えるはずだ。  後継者の確保ができずに廃業する会社は、毎年約7万社にも及ぶ。日本の技術力の底上げが求められている中、引き継げずに消えてゆく技術がこれほど存在するのは、あまりにもったいない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

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町工場の娘3 (^^;;

工場職人にヤンチャが多い理由。日本のモノづくりを支える、零細町工場に立ちはだかる急務とは

日本のモノづくりを支える、町工場。家業が町工場であった筆者の周りには、物心つく前からトラックと砥石と真っ黒な父親の存在があった。  母親も父親と同じ工場の経理として毎日夜遅くまで働いていたため、筆者はいわゆる「鍵っ子」だったのだが、通っていた小中学校が工場から近く、放課後はその工場に帰っては、働く大人を観察していた。ゆえに、筆者の零細企業デビューはかなり早い。  約30年間、1つの工場を微力ながら見守ったのちに海外に住む今、昨今の日本に思うことがある。今回から3回に分けて、「日本のモノづくりを支える職人」について綴っていきたい。  筆者の父親は、小さな工場を経営していた。  「工場」は「こうじょう」ではなく「こうば」だ。これは筆者のまこと勝手な線引きだが、始業前にラジオ体操がある規模は「こうじょう」、ないのは「こうば」。父の会社には、ラジオ体操どころか、ミーティングさえもなかった。テニスコート2面ほどの作業場に、最盛期は従業員約35人。海外に支社を作った時期もあったが、訳あって数か月で畳むことになる。  従業員には2種類のタイプがいた。第1に「昔のヤンチャ」、第2に「つい最近までのヤンチャ」。35人中34人が男性で、残りの1人は掃除のおばちゃんだ。  彼らの愛車が織りなすエンジン音とヒップホップの音楽は、毎朝100メートル先の信号あたりから誰が通勤して来るのか教えてくれる。坊主からリーゼントまで、ヘアスタイルも個性豊かで、おかげで遠くからでも誰がどこにいるか、すぐに判別ができた。  そんなヤンチャたちだが、彼らは一度仕事にかかると、大変真面目だった。その理由は、社長が大昔、誰よりもヤンチャだったことに加え、彼らには「一人黙々と作業をする素質」がある、というのが大きいところだろう。  父の工場の業務内容は、金型研磨だった。その詳細は次回述べるが、この仕事で一人前になるまでには、最低10年はかかる。つまるところの「職人業」だ。  職人とはいわずもがな、熟練した技術でモノづくりする人達のことである。  父の下で働くヤンチャ達は、トラックドライバー以外、職人か職人見習いだった。鉄の塊相手に、油と砥石に手がまみれ、金型の角に手をかけては絆創膏1箱使っても足りないほど出血することもしばしば。末端の孫請けゆえ、納期絶対厳守の、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)。父の工場においては、これに「細かい」がつき、4Kともいうべき環境だった。

「作業服とタイムカードは黒いほうがいい」

 伝統工芸職人はその技術や作品に魅了され、その道に入るが、工場職人への入り口は、もっとシンプルなことが多い。  父の工場では、年中従業員を募集していた。その度にやって来るヤンチャが差し出す履歴書の志望理由には、「求人広告の一番上に載ってたから」「家が近かったから」という字が堂々と書かれていた。  時折、「日本のモノづくりの一端を担いたい」と饒舌に語るスーツ姿の兄さんがやって来ることもあったが、実際こういう人ほど、「親戚が亡くなった」で欠勤が何度か続き、やがて来なくなる。その度に社長は「何人親戚殺すねん」とタバコの煙に目を細め、ぼそっとつぶやくだけだった。  筆者は仕事柄、現在も多方面の職人と話す機会があるが、彼らには大きな共通点がある。  自分の仕事に人が介入することを超絶に嫌うのだ。協力し合うことが苦手な代わり、受け持ったからには、最後まで1人でやり遂げる。が、やりたくない仕事は絶対にやらない。こうもプライドが高いゆえ、こちらの意見はなかなか聞いてはくれない堅物が多いのだが、この「オレの道」を「美徳」と位置付ける一匹狼型のヤンチャは、自然と工場職人という道に吸い寄せられるのだ。  父の工場には、数日「おはようございます」と「お疲れ様でした」しか発さない金型以上の堅物も多くいた。  こうして、子どもの頃から工場職人を目の当たりにしてきた筆者には、「工場で働くこと」に対して、1つの定義がある。古い考えではあるが、これだ。「作業服とタイムカードは、黒い方がいい」。  昔の職人は、現在よりも「日本のモノづくりは自分たちが支えている」という誇りを強く深く持っていた。それゆえ、3Kだろうが4Kだろうが、文句も言わず自らの仕事を全うする職人が多かった。  1日中座りっぱなしの体をほぐしてもらうために構内に置いた卓球台は、一匹狼の集まる工場では、結局本来の使われ方はほとんどされなかったが、午後7時半になると、毎晩母の料理が並んだ。それを5分で腹中に移し、缶コーヒー1杯を飲んでいるわずかな間に、仕事モードへ気持ちを再び入れ替える。短い納期で仕上げた金型をトラックに載せる時に見せる顔には、疲労感以上に達成感がにじみ出ていた。

 

ネット世代は職人に不向きな若者が多い

 しかし、そういう「職人像」も、ここ十数年で大きく変貌を遂げた。これは父の工場に限ったことでない。日本にいる職人たちの高齢化に伴い、新人育成が急務である中、時代がスピードを求めてきているせいか、一人前になるまでに辛抱できず、途中で辞めてしまう見習いが増えてきたのだ。先に述べておくが、この原因は、辞める側だけでなく、雇う側、育成する側にもある。筆者本人が元工場経営者として強く思い、深く反省するところだ。  昨今、「10年経たないと一人前の職人になれないのは、効率が悪い」という風潮があるが、筆者が見てきた世界は、少なくともその「時間」は必要だと思うところだった。「辛抱」や「感性」は、効率化では得られず、職人の仕事は結局すべてこの2つでできていたりする。どれだけ辛抱すればいいのかを知るには、辛抱し続けるしかない。  が、その一方、時代の流れに合った職人教育をする必要も、育成側には出てくる。やみくもに「見て覚えろ」と言うのは、今の時代にはそぐわない。辛抱して、見て、覚えた先にあるものが、職人には必要不可欠な感性であることを伝えなければ、インターネットですぐ答えの出るスピード社会で育った現代の若者が、途中で挫折するのは当然のことなのだ。  ただ、ここで問題になるのは、育成するのが「堅物の職人」であること。彼らには、すでに踏み固められた「オレの道」がある。そんな両者が歩み寄り、技の伝達をスムーズにさせるために必要な存在こそが、経営陣だ。両者の間に入り、作業服に袖通し、彼らとともに卓球台で夜食を食べるくらいの距離感を持っていなければ、経営陣の存在意義は、工場内では無いに等しい。  現在筆者が住んでいるニューヨークには、物が溢れている。が、現地ではほとんど買い物をせず、一時帰国した際、来日外国人のごとく日本の製品を大量買いしていく。プラスチックのかご1つにしても、日本の100円ショップで買ったもののほうが断然質がいいからだ。たかが100円の商品であっても高品質なものを求め、その要求に応じるのは、日本人がもつ「仕事で妥協しない」という職人気質の賜物である。  そんな要求に応えられる技術とプライドのある職人が、今徐々に数を減らしている。日本のモノづくりを第一線で支える彼らを今後育成するには、「オレの道」を歩く新人のために、標識を立てていくことが、工場経営者の急務なのではないだろうか。 〈文・橋本愛喜〉

 

 

 

日本が誇る零細工場の技術は、面白いほど簡単に盗まれ流出してしまう

2017.05.01

町工場で育った筆者が、日本のモノづくりを支える職人の気質や育成の難しさについて述べた前回。今回は、当時の現場で直面した「技術流出」について綴っていきたい。  職人の業界には、分業制を取るところがある。父の工場でも、各職人に技術や知識を分散させていた。洗練された技術を惜しみなく発揮できるというのも1つだが、その最大の理由は、技術の流出を阻止するところにある。  分業は、仕事上の不平等が発生しやすく、職人同士で不満がつのったり、担当者の欠勤がラインを止めてしまったりするなど、様々な問題を伴うことも多い。  だがこの制度をひとたび止めれば、たちまちに技術は外に漏れていく。  父の工場でも、開業間もないころは各々にすべての工程を任せていたのだが、案の定、安易な独立や不当な引き抜きなどによって、情報や技術は面白いほどあっという間に外へ出た。  工場の主な業務内容は、金型の研磨だった。簡単に説明すると、鉄の塊から削られてできた金型の機械の目を、砥石やペーパーやすり、ダイヤモンドペーストなどで磨き、最終的には鏡のように滑らかでビカビカに仕上げる仕事だ。  取引先のほとんどは、日本の各自動車メーカーや自動車ランプメーカー、電機メーカーなどで、この世にプラスチック製品が存在する限り、需要はいくらでもある仕事だったが、前回述べた通り4K(きつい、汚い、危険、+細かい)だということ、技術習得に相当な時間を要することなどが手伝って、開業当初は父の工場のような10tクラスの金型を扱える比較的大きな研磨専門業者は、日本国内でも数える程度しかないニッチ(すきま)産業だった。

取引先が悔しそうに唸った技術

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

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鏡のように仕上げる金型。赤いマルで囲んだ部分は傷のある箇所だが、肉眼ではまったくわからないほどのレベルだ

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

 こうして職人によって仕上げられた金型は、トラックで技術営業が納品しにいく。その際、取引先の担当者から、特殊なペンライトで傷が残っていないかをくまなく検査される。少しでも不具合が見つかれば、どんなに遠いところから寝ずに走って来ようが当然返品されるため、あの数十分の待ち時間は、技術営業にとっては、運転中よりも長く感じる時間だった。  そんな折、ある企業へいつものように納品に向かうと、担当作業員が荷台から降ろしたばかりの金型を見慣れない機械に通し始めた。聞けばそれは、誤差をミクロン単位で計測できる機械だという。今までのペンライトがかわいく感じるほどの細かいチェックに、これから返品が続発するんだろうと腹をくくって計測が終わるのを待っていたが、そのデータ結果を見た担当作業員は、幾分悔しそうな顔で「いいですよ」と言って、納品書に検品印を押してくれた。 「今後に役立てたい」と、そのデータを見せてもらったところ、当時工場で働いていたヤンチャな職人らは、手の感覚だけでしっかりとミクロン単位の仕事をしていた。長年の経験で培った彼らの技術に改めて感動させられたか、あの時取引先に言い放った「今後ともよろしくお願いいたします」のひと言は、今までで一番気持ちがよかった。

数十年間の技術の結実を、シャッター1つで奪い去るホワイトカラーたち

 そんな職人たちが持つ技術は、取引先にとっては喉から手が出るほど欲しいものである。自社製造できれば外注費が浮き、作業工程上も融通が利きやすくなる。それゆえ、父の工場には、取引先からよく人が来た。 「環境問題に取り組んでいるかの工場視察」なる名目で、彼らは環境の「か」の字すら発することなく、職人の技術に見入る。どんな技巧を用いているのか、どんな道具を使っているのか。一部の貪欲な取引先は、職人の機嫌を取りながら「これはどうやるんだ」と直接話しかけたり、露骨に自分の工場で働く現場作業員を大勢連れて来たりしたこともあった。  最もやっかいだったのが、孫請けにとって「技術」がいかに大切なものなのかを理解しきれていない一部のホワイトカラー(普段スーツで働く人たち)だった。  彼らは、職人が作業している傍でカメラを取り出し、30年かけて見出した技術を、シャッター1つでかっさらおうとする。さすがに耐えられず、「うちにも企業秘密があるので」とやんわり断ろうとするが、「何が悪い、自社の金型だぞ」と一蹴されれば相手が相手だけに、下手に言い返すこともできない。  ワイシャツの上にまとった皺ひとつない真っ青な作業服に黒いすすが付き、それを手でぱんぱんとはたく彼らの姿を見た時、言葉にできないむなしさが押し寄せてきたと同時に、零細工場に生きる人間なりのプライドが胸に芽生えた。

 

「高品質だが高い日本製、中高品質でも安い東南アジア製」

 そんな零細の存在を尻目に、製造業界大手やその下請け中小企業が、一斉に海外へ工場移転した時期がある。  深刻な円高が続いた1990年代から2000年代半ばのころだ。国内に残された零細は、海外に仕事を奪われ、次々に潰れていった。父の工場と同じように、その1社1社には、積み重ねてきた技術があったに違いない。それでも元請けを失った工場は、ただの機械置き場だ。毎月のように届く「工場閉鎖のご挨拶」なる手紙には、本当は書きたいことがもっとあったはずである。  かたや移転した大手の海外工場では、現地従業員の雇用、現地部品の調達などで製造にかかるコストを抑えるのに躍起になる一方、当然のことではあるが、各企業の「ウリ」であるノウハウや技術だけは、日本から持ち込むことになる。  必然的にそれらは現地従業員に伝達・習得されるわけだが、まさにその流動的な現地雇用を通じて、貴重な日本の技術は海外のライバル企業へと流出する。東南アジア諸国の製品が急激に日本製に劣らぬほど高品質化したのもこの頃だ。  現在、筆者の住むニューヨークで「メイドインジャパン」と言うと「高品質だが高い」と揶揄されるが、東南アジア諸国の製品は「中高品質でも安い」と評価され、実際、大企業などで大量購入される自動車や電化製品は、東南アジア諸国製のものばかりである。

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いまだ零細工場は、技術を生み出す金の山

 それでも、日本のモノづくりの技術が海外から高い評価を受けていることは、自他ともに認めるゆるぎない事実である。しかし、ふたを開けてみれば昨今、多くの日本企業関連工場が軒並み閉鎖している現状がある。シャープが築き上げた“世界の亀山ブランド”が崩壊した時、心の底から日本のモノづくりの将来を心配した。  そしてこのほど、日本の技術流出問題に追い打ちをかけるかのごとく、東芝が半導体分門を売却する方針を打ち出した。その売却に対し入札に名乗りを上げているのは、世界のトップ企業らである。東芝の半導体メモリには、日本の技術と努力の歴史が凝縮されているため、政府は国内企業に入札参加を促し、海外への流出を阻止しようとしているが、このような動きが鮮明になるほど、日本国内の焦りと海外企業の勢いをまざまざと見せつけられている気分になる。  父の会社には「大きい会社よりも小さい会社」という掛け軸がかかっていた。開業当初からあったその一文の意味は、ホコリと油にまみれた工場最後の日になっても、筆者には意味が分からなかったが、今こうして日本の技術力の尊さと向き合って、ようやく腑に落ちた気がする。  「小さい会社」は、技術を生み出す最高の場なのだ。現場第一主義で、行動までのスピードが早い。日本の技術力が低下している昨今、今こそフットワークの軽い中小・零細企業が活躍する時ではあるが、残念なことに、その多くは姿を消してしまっている。  目の前だけのリスク回避や利益追求によってなされた零細企業に対する過小評価や、技術流出に対する防御策の甘さは、今、日本の製造業界に暗い影を落としている。「日本ブランド」を謳いながらも、海外で作られる日本製品に一番納得していないのは消費者よりも、日本のモノづくりを支えてきた工場マンなのかもしれない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

日本だけではなかった。女性が“職人”に向いていない理由

2017.05.10

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家業の工場を手伝いながら、日本の技術の尊さ、工場職人やドライバーの日々の苦労を身近に感じてきた筆者。これまで二回に渡って工場職人の実情を述べてきたが、最後になぜ職人には女性が少ないのかを考えてみたい。  筆者の通っていた中学校は女子校だった。  周りにいる男性は、先生か守衛のおじいちゃんくらいで、休み時間になると、前日撮ったプリクラの交換や、音楽番組に出ていたアイドルグループの話で「かわいい」「かっこいい」が飛び交う世界だった。  それが何を血迷ったか、進学したのは共学1年目の元男子高校で、45人いたクラスメイトのうち、女子は筆者含めて2人のみ。ゆえに当初は面白いほど勉強がはかどらなかったが、卒業するころには見事に”オス化”し、女子校で培った「しとやかさ」は見る影もなくなった。  おかげで大学時代の親友も男性。毎日一緒にいる女友達も、竹を割ったような性格の子ばかりで、幼少から続けてきたテニスの試合では、小さいものならば無理言って男子でエントリーさせてもらうほど、強情で負けん気が強く、巷で言う“理想の女像”に逆行する全く可愛くない性格ができあがり、今に至る。  しかし、この流れと性格がなければ、おそらくあの工場の経営は困難だっただろう。  前回までに述べた通り、工場にいた職人34人は全員「オレの道」なるものをもつ堅物の男性だった。元々人の言うことをなかなか聞き入れてくれない彼らだったが、ましてや相手が女性となると、「女のあなたに何が分かるんですか」と、意思疎通の難しさはさらに増す。  さらに、赴いた取引先の工場に至っては、筆者よりも経験の浅い担当者に「女性には難しい話なので、男性の営業さんに来てもらってもいいですか」と言われることもあった。  そんな彼らとともに仕事をするには、体力以上に、誰に何を言われても動じない精神力と、女性でもできると証明する説得力が必要だったため、仕事上で性別を武器にしたことは今まで一度たりともない。筆者が大型免許を取り、現場で職人の作業をしたのは、人手が足りないからというよりもまず、彼らとの垣根を少しでも低くしたかったという思いからだった。

世界的に女性の職人が少ない理由

 繰り返しになるが、職人には男性が多い。これは日本に限ったことではないようで、筆者の周りにいる約15か国の外国人に聞いてみたところ、女性職人はやはり世界的にも圧倒的に数が少ない。  さらに業種も様々で、父の工場のような製造の世界だけではなく、寿司職人、パティシエ、左官、伝統工芸品などの職人も、その多くが男性である。女性が比較的得意とする料理の分野ならば、女性がもっといてもおかしくないと思うところ、どうしてこうも女性職人が少ないのか。  各分野の職人を調べて分かった、その最大の理由は、「今までずっと男社会だったから」という、身も蓋もない答えだったりするのだが、そこには

1.今から女性を受け入れようとしても、女性向けの道具や設備が整っていないため、入る隙がない

2.今その世界を支えているのがプライドの高い男性職人であるゆえ、女人禁制という固定観念から抜け出せない  といった、付随的要因が広がっている。  そもそも職人の仕事は、重労働であることが多い。立ちっぱなし、座りっぱなしで黙々と作業することの多い仕事だが、同じ作業を同じ体勢で続けるのは、想像以上にハードだ。筆者の利き手の左中指は、外を向くように曲がっている。全体重をこの指に乗せ、ペーパーやすりで1日中金型を磨いていた結果なのだが、男性より指が細いため、伝わる力も大きかったのだろう。30年磨いてきた父親の指よりも大きく、かつ早く曲がった。 ⇒【画像】はコチラ https://hbol.jp/?attachment_id=139243

曲がったままの左中指。当時はネイルもできず、常に油にまみれていた

 また、作業の工程でどうしても必要となる回転工具においては、一人前の男性職人であっても、気を抜けばその分、危険に身を晒すことになるところ、力の弱い女性が扱えばその大きな動力に負け、怪我をするリスクもより高くなる。  さらに職人という仕事は、業種に限らず一人前になるまでにかなりの時間が必要になってくる。負けん気の強い筆者にとって、これを認めるのは大変悔しいが、この長い期間に安定した時間と体調を保てるのは、やはり男性の方が圧倒的に有利なのだ。  妊娠・出産など、体に負担が掛けられないライフイベントの多い女性には、技術習得までに年単位かかる職人の仕事は、やはり「仕事と家庭のどちらかを取るか」という選択が避けられないのかもしれない。

女性特有の体調の周期も、職人仕事には不利

 それに加え、女性には月ベースで体調や精神のバランスも変わるため、仕事にムラが出やすいのも事実である。  前出の「料理の世界でも女性職人が少ない理由」の1つに、女性はホルモンバランスによって味覚が変わるため、安定した味を提供できないといった話も聞かれる。ゆえに、「男性料理人の作る安定的な味は、同じ店で同じものを食べていると飽きてくるが、奥さんや母親の作る手料理は飽きずに毎日食べられる」という、知り合いの料理人の立てる仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。  余談ではあるが、筆者の場合、この女性の周期的な体調の変化で一番大変だった仕事は、長距離を運転するトラックでの技術営業だった。  以前、トラックドライバーは、時間厳守が最も重要だと述べたが、延着(遅刻して到着すること)しないようにとトイレ休憩なしで走ってきても、到着した工場に男性職人しかいないと、女性トイレがないこともしばしば。工場を出て探しはするが、田舎だと駐車できる広いスペースがあってもトイレのあるコンビニがなく、都会だとコンビニがあってもトラックを止められるスペースがない、というジレンマに踊らされた。それゆえ、毎月やってくる生理に対しては、長距離運転の仕事があると予め分かっている時にはピルを飲んで周期をずらしたり、男性ドライバーよりも早めに出発したりと、様々な策を講じていた。  このように、女性が職人になることは、決して容易なことではない。  選んだ分野によって、諦めなければならないこと、覚悟を決めなければならないことも多いだろう。しかし、女性のもつ感性の高さや、きめ細かさ、芯の強さは、男性職人に全く劣ることのない強みであり、年々数を減らす彼らにとっては、女性が今後、大きな役割を担う時が来るのかもしれない。  今まで作り上げてきた歴史や伝統と同じくらい、世相に合わせ柔軟に変化することも必要とされる職人の仕事。彼らの技術が今後も世界を唸らし続けていくことを切に願う。<文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

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町工場」の娘(^^;;

ゴーン逮捕に元下請け工場経営者が激白 。「異常な値切りで皆潰れていった」

2018.11.23

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橋本愛喜

 

連日報じられている通り、今月19日、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏が、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。  今回明らかになった同氏の不正報酬は、2011年から2015年で約50憶円。その後、直近3年分でも30億円が過少記載されていたことが明らかになるなど、その全貌が見えるまでにはしばらく時間がかかるだろう。  事件を受け、帝国データバンクが20日、企業概要データベースの中から、日産自動車と国内主要連結子会社16社と直接取引がある取引先を調査・分析したところ、全国全業種合計で3,658社にのぼることが判明(個人経営、各種法人等含む)。  ゴーン氏逮捕の衝撃は今後、こうした多くの関連企業に、深刻な影響を与える恐れがある。  事件発覚以降、ゴーン氏に関する有識者の見解や分析が、連日各メディアから溢れ出る中、当時、日産や関連企業の下請け工場の2代目経営者として現場に立ち、結果的にその工場をこの手で閉じてしまった筆者にとっては、正直なところ、何を読んでも何を聞いても「虚無感」しか湧いてこない。  あの頃、関連企業から強要されていた異常なまでの値引きは、一体何だったのか。ゴーン氏にとって、我々下請けは、どんな存在だったのか。  彼に対するやり場のない怒りと、当時、過酷な状況にしがみ付いてくれていた従業員への申し訳ない思いが、今回の事件を通して今、再び込み上げてくるのである。

 

 2008年のリーマンショックや、2010年のギリシャ財政危機、2011年の東日本大震災などの影響により、日本は当時、異常なまでの円高の中にあった。  1ドル75円台。日本の経済を支える製造業界では、大手が一斉に人件費の安い海外へ工場を移転し始めていた。  これにより、それまで大手から受注していた多くの下請け企業が、存続の危機に晒されるようになっていった。  ようやくもらえた小さな仕事も、やればやるだけ赤字を出すほど安工賃。今後の仕事に繋げるために断ることすらできない「蟻地獄」のような日々を送る工場もあった。  筆者の父親が経営していた工場も、そんな下請けのうちの1社だった。  日本の各大手自動車メーカーや系列企業から金型を預かり、研磨して納品していたその工場は、職人が最大でも35人。大手のくしゃみでどこまでも飛んでいくような極小零細企業だった。  工場には、手持ち無沙汰な職人が「草むしり用」の軍手をして、新しい雑草が生えてくるのを待っている。忙しいのは営業だけだ。  無論、当時はゴーン氏の不正など知る由もなく、閑古鳥の鳴く日産系列の取引先工場にも足しげく通っては、「仕事をください」と何度も頭を下げ、相手の言い値で作業をする日々。  小さな工場内は、回転工具の機械音で会話もままならなかった最盛期からは想像もできないほど静かで、金型を砥石でこする「シャーシャー」という往復音だけが、やたらと大きく響いていた。  業界全体の仕事量が薄くなっていることは重々承知していたが、抵抗せねばどんどん安くなる工賃をなんとかやっていけるギリギリで維持させるべく、毎度のように担当者のもとへと出向く。突如告げられた「1時間300円分の工賃カット」を考え直してもらおうと1か月願い倒しても、聞き入れられなかったこともあった。

 

ゴーン氏就任後、受注価格は半値近くにまで落ちた

 こうした中、企業体力のない下請けは、順に潰れていった。当時、筆者の工場の元請けや、古くから付き合いのあった工場の一部からも、月末になると不渡りの噂や「廃業のお知らせ」と書かれた手紙が届くようになる。その中には、潰れるにはもったいない独自の技術や設備を持った工場も多くあった。  来月はどこだろうか。あの会社は大丈夫だろうか。ウチはいつだろう。当時の下請け工場には、異様な雰囲気が漂っていた。  筆者の工場では、先述の通り、国内の各自動車メーカーの系列企業と取引していたのだが、メーカーの工場はもちろん、その系列企業にも、母体の社風がそのまま反映されており、仕事の厳しさや金額などにはそれぞれの特徴があった。  当時の日産工場や同社系列工場の印象は、真面目で工場マンとしてのプライドをしっかり持った社員が多かったのと、仕事の指示内容が大変細かかったこと、そして、とにかく「安かった」ことだ。  同じ仕事を、ゴーン氏が日産の社長に就任する前と後とで比べると、半値近くにまで落ちたものも多い。  一方、下請けに冷たい態度を取る元請け社員も多い中、日産工場で働く社員たちは、皆紳士的だった。  筆者の工場では、同時期に4人の日産工場の社員と付き合いがあったが、当時の業界の体質に対して、誰一人感情的な意見を言う人はいなかった。が、そんな彼らでも、雑談でゴーン氏の話になると苦笑いになり、「人の話を聞く人じゃないですからね」、「無茶なコストカットも多いですよ」と愚痴をこぼしていたのを覚えている。  工場閉鎖1か月前、“先輩工場”と同じように「廃業のお知らせ」を得意先へ一斉に流した後、真っ先に連絡をくれたのは、工場最盛期から長年世話になっていた日産のある社員だった。 「長い間、お疲れ様でした」  FAXで送られてきた最後の発注書。いつもの「よろしくお願いします」の代わりに、昔から変わらない太字でひと言、そう書かれていた。  こうして工場閉鎖から数か月後、当時から物書きとして活動していた筆者は、皮肉にも東京モーターショーでゴーン氏本人を取材する機会に遭遇する。  目の前で「コスト削減」「V字回復」「世界のNISSAN」を、人差し指突き上げ声高に唱える彼に、今と同じような、言葉にし難い深い虚無感に襲われたことを思い出す。  自動車という乗り物は一般的に、約4,000種類、3万点もの部品からできている。その1つひとつは、製造ラインという運命共同「帯」に乗った、エンジニアや現場職人らの技術と努力が造り上げた結晶だ。  ゴーン氏が50億円以上もの不正を働いている最中、廃業や倒産に追い込まれた多くの関連企業や、大勢の解雇者の存在がある。あの頃、「帯」から消え落ちていった日本の技術力に、ゴーンは今何を思うのか。いや、せめて何か思ってくれるだろうか。  トップにいた自らの不祥事が今、3,658社の将来に暗い影を落としていることを、少しでも考えてくれているのだろうか。

 

 

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「上」の不正で閉ざされる末端の叫び。元町工場経営者が思う、日本のものづくり業界の衰退

日産の元下請け工場経営者として、ゴーン前会長の不正に対する思いを綴った前回。  製造業界と決別すべく、自らの手で工場を閉めたため、当時のことを思い出すのは「若干しんどい」、というのが正直なところではあったのだが、その工場閉鎖以降、改善するどころか、どんどん深刻化していく日本の製造業界の状況に対し、見解を求められる頻度が増え、これも自分の役割なのかもしれないなと思うに至り、現在長く書かせていただいている「トラックシリーズ」と併せて、こうして日本の製造業についても時折綴っていこうと思う。

3K」にもう一つ「K」があった町工場時代

 ゴーン氏の一連の騒動を受け、先日、久しぶりに昔の工場に足を運ぶ機会があった。  閉鎖して5年。その翌年に何かの用事で1度訪れて以来、4年ぶりの「出社」だった。  真向かいに巨大な物流倉庫が建った以外、周辺はそれほど大きく変わってはいなかったが、毎度トラックが出入りしていた工場のシャッターに目を向けると、茶色い錆(さび)が筋状にいくつも伸びているのが見え、胸が痛んだ。  工場の業務内容は、金型研磨。大手自動車メーカーや系列の工場、家電メーカーの製造工場などから、プラスチック製品を製造する際に使用する金型を預かり、それを鏡のようにビカビカに研磨する、まさに「腕一本」の職人業だった。  砥石や紙やすり、大きな回転工具などで仕上げていくと、金型は驚くほど滑らかに輝きはじめるのだが、その一方で、職人自身は鉄粉や油まみれとなり、みるみるうちに真っ黒と化す。いわゆる3K(「きつい」「汚い」「危険」)の労働環境だったのだが、当工場には、それに加えて「K」がもう1つ付いた。  とにかく「細かい」のだ。ミクロン単位のゆがみや、肉眼ではほとんど見えないような傷にも、NGを突き付けられることがザラにあるため、最終仕上げの際は、工場の掃き掃除どころか、職人の周りを歩きまわることさえ憚れる。 「どんな傷やゆがみも許さない」  こうした繊細な仕事を生業とし、ヤンチャな従業員ばかり35人を束ねていた当時の父は、この国のモノづくりの一端を担う「磨き職人」として強いプライドを持っており、それゆえ、工場構内はもちろん、トラックに付く錆や傷、汚れにも非常にうるさかった。 「箱や足が錆びとる磨き屋に仕事出そう思わんやろが」  5年分の錆び筋を数えると、当時の父の口癖が思い起こされる。と同時に、彼をこの4年ぶりの「出社」に同行させなくてよかったと、心から思った。

町工場経営者にのしかかるさまざまな問題

 父がこの仕事を始めて約30年。その途中、彼が病に倒れたことで、急遽2代目として工場に入社した筆者は、自分なりに約10年、この業界でジタバタもがき過ごした末、2013年の秋、自らの手で工場を閉めた。  閉鎖に至った原因は1つではない。ましてや、今回のゴーン氏の不正が直接的な原因になったわけでもない。  現在、世間で騒がれている「跡継ぎ問題」、「外国人労働者問題」、「下請けいじめ」に、今でいう「働き方」など、当時から本当にたくさんの問題があの工場や製造業界には蔓延っていたため、ゆっくり時間を掛けて、自分なりに「継続」と「閉鎖」それぞれの未来を何度もシミュレーションしてみたのだが、結局、こうした問題が山積する中、工場の体力も限界ギリギリの状態で、最盛期から半値にまでなった工賃に頭を抱えながら、目に見えて廃れていく日本の製造業界に今後も身を置き、最低10年はかかる職人育成をやっていく自分を、最後まで想像できなかったのだ。  こうして「製造」について書こうとするのには、恐らく根底に自分の手で父の工場を閉めた「負い目」があるのだと思う。が、その反面、正直なところ、度重なる日本の製造業界の不祥事に、あの頃の自分の判断は間違っていなかったなと思ってしまう部分も大きい。

 

不正や改ざん。製造業のプライドはどうした

 昨今の日本の製造業界から聞こえてくるのは、東芝、日産、三菱マテリアル、SUBARU、神戸鉄鋼など、業界トップの企業らによる「不正」や「改ざん」といった、プライドの有無どころか、その「倫理観」をも疑いたくなるようなニュースばかりである。  世界の誰もが知る日本のブランド企業が、次々に海外企業へ身売りされてゆく中、全世界に広がったタカタ製エアバッグのリコール問題をはじめ、イギリスでは日立製作所が製造した高速鉄道車両が初日に水漏れを起こし、台湾では日本車両製造の鉄道が事故起こすなど、「メイド・イン・ジャパン」の信頼を揺るがす事象が海外でも起き始め、アメリカの大手メディアからは『どうした日本企業』と大きくタイトルが打たれた記事が出される。  そんな中、大規模なコストカットで業績を回復させた大手企業の数字を並べて「日本のモノづくりは衰退してなどいない」と主張する一部エコノミストらの見解や、安い人件費を求めて移転した海外工場で「メイド・イン・ジャパン」を製造し、事故や不祥事があれば「海外工場で生産されたものだから」で処理する業界の生ぬるさは、技術もろとも製造業界から追いやられた多くの国内の元工場マンや元工場経営者らには、大変白けて映るのだ。

 

「上」の不正で町工場の技術と未来が閉ざされる

 日本のモノづくりの社会は「縦」の繋がりが強いため、他国のそれ以上に「製造ライン」が「運命共同“帯”」と化すことが多い。それゆえ、「上」の起こした不正や改ざんは、ブランド全体、はたまた日本の製造業界全体のイメージ低下や不信感の「連鎖」を起こし、「帯」末端で日本の真の技術力を支える町工場にも多大な影響を与える。つまり、大手企業のその場しのぎの対応では、日本の本当の技術力は廃れる一方なのだ。  日本の製造業界は、その存在感が薄まりつつあることに今一度、本気で危機感を持った方がいい。  この国の「モノづくり」を支える大きな技術は、今でも小さな工場の中にたくさん存在している。上が起こす一部の不正で、彼ら町工場の未来が閉ざされないことを、元技術屋として願わずにはいられない。

 

 

 

 

アメリカでも批判噴出。メイド・イン・ジャパンを誇れなくなる日は近い?

2018.01.18

 

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日本の製造業界に対する信頼が今、急速に揺らぎ始めている。  昨年末、日産自動車では無資格の従業員が車両の完成検査をしていたことが国交省の抜き打ち検査で発覚し、神戸製鋼所ではアルミ・銅製品などの強度に関するデータを改ざんしていたことが明らかになったというニュースは記憶に新しい。東芝が衰退した一因にも、過去の不正会計という不祥事が絡まる。 「メイド・イン・ジャパン」の代名詞にもなるような企業で相次いだ昨年の不祥事は、日本国内はもとより、海外の消費者や投資家に「日本ブランドの異変」を確信させてしてしまった。というのも、海外ではこうした日本の製造企業における経営管理体制を問題視する声が、今回よりも数年も前から強く上がっていたのだ。  そのきっかけになったのは、タカタのエアバッグだ。車両衝突時に作動したエアバッグから金属片が飛び散り、乗員を死傷させるというニュースは、世界中に大きな衝撃を与えた。  日本でも一連の流れは報じられてきたものの、その扱いは他国に比べると小さく、実際に筆者が日本の工場マンと話していても、この問題が世界にもたらした影響は、日本国内にいまいち伝わりきれていないという印象を受ける。  が、とりわけここ自動車大国アメリカでは、リコール対象を高温多湿地域に限定した当初のタカタの頑なな態度に批判が噴出。死者18人のうち、13人がアメリカ人だったことから、「本来、人命を助けるはずのものである安全装置が、逆に危険装置として乗員の前に常時取り付けられている」と、連日ニュースでも大きく取り上げられ、その度に「メイド・イン・ジャパン」という言葉が“経済”ではなく、“事故”に関連するワードとして多く聞かれるようになった。  タカタにも独自の見解や言い分があったとはいえ、安全装置を売っているはずの企業が、自ら「安全の線引き」をしてしまったのは、やはり対応としてはまずかったといえる。結局アメリカのリコール対象車は、同国史上最多の4,200万台におよび、タカタは今年6月、経営破綻した。  こうした流れからの、昨年の一連の不祥事。「Whats wrong with Japan Inc?(どうした日本企業)」といった、日本の製造に携わる人間にとっては、屈辱以外のなにものでもない見出しで、各企業の問題を紹介しているメディアもある。  とはいえ、タカタは本来、エアバッグの世界シェア2位の超優良企業だった。タカタだけではない。現在、不祥事や経営不振の渦中にあるその他の日本企業も、世界が認めた有名企業ばかりだ。  では、どうして日本の大手製造企業はここまで急激に弱体化していったのか。

その要因は、主に二つあると考える。

1:過去にすがる体質  最も大きな要因の1つは、「過去の栄光にすがる日本企業の体質」にある。  現在「メイド・イン・ジャパン」で連想される「高品質」というイメージは、過去に生み出された技術による功績であるところが大きい。  それがこの10年、団塊世代の退職や、リーマンショックによる景気低迷、働き方や安全性に対する世相の変化などで、ヒト、企業、経済の構図が激変し、企業はその度に対応を迫られてきた。  しかし、古い体制にある日本企業は、「先送り」や「検討」、「茶濁し」でその場を凌いできたため、結果的に世間の抱く「ブランドイメージ」がひとり歩きし、「現場の現実」とのギャップが生じてしまったのだ。日本企業はもはや「企業ブランド」に依存できない状況にある。  だからといって、こうした日本の製造企業が、大胆な新規事業開発に積極的なのかといえば、そうでもない。 「我々には古くから守ってきた従来品がある」、「リスクを追ってまで行動する必要なし」と、先々を計算して腕組みし、なかなか動こうとしない。  が、そんな企業を尻目に、世間のニーズは目まぐるしく変わり続け、近年は「完璧な従来品」よりも、「若干の改善の余地ありでも新しいもの」がもてはやされるようになってきた。  ちなみに敢えて加筆するが、その世間のニーズには、“改善の余地のある従来品”という選択肢は、無論皆無である。  一方、こういった世間のニーズに敏感に反応した諸外国は、ベンチャー企業への最大限のサポートを約束することで世界中から多くの技術を呼び寄せ、官民一体となって成長し続けている。その国の筆頭が、中国だ。今や中国は、「作る国」から「作らせる国」に移行しつつある。フォームの始まり

 

機密情報の扱い方が甘いのも問題

2:情報管理体制  日本の大手製造企業が弱体化したもう1つの要因は、過去の工場シリーズでも度々言及している「情報の扱い方」にある。  2014年度に製造業界で発生した情報漏えい事件の被害総額は、分かっているだけでも1,000億円以上に及ぶ。  中でも最も避けたい海外への流出においては、目先ばかりを見た結果、工場を人件費の安い海外へ移転させ、現地採用の従業員に長年培ってきた企業の技術やノウハウを指導したことで、それら「社宝」をその国全体に拡散させてしまったケースが少なくない。  こうしてカネと技術を得た“やる気満々の諸外国”が、その後どう動くかは、火を見るよりも明らかである。前出の「ベンチャーに協力的な国」が、「かつて日本が工場を移転させた国」と面白いほどに一致することは、察するに難くないところだ。  その一方、「上から下」への情報共有においては、業務に支障が出るほど厳しく、下請けはたとえその指示の目的やゴールが分からなくとも、元請けに従うしかない。  とりわけ、3万点のパーツによって1つの商品を産み出す自動車製造現場は、見事なまでのトップダウン型だが、こうした体制は、日本の技術力やブランド力を構築しやすい反面、130万人もの自動車製造従事者が1つのピラミッドに収まる現場では、「情報が下りてこない」「上に物申せない」が常態化し、結果、昨年のような「上の不祥事」を引き起こす環境に陥りやすいのだ。  筆者が訪問するアメリカ国内の各オフィスには、韓国製やアメリカ製のパソコンばかりが並べられ、家電量販店のテレビ売り場でも、韓国製、台湾製が広くスペースを占領する。  マンハッタンのまっすぐ伸びた道路を走るクルマには、日本ではあまり見ないようなメーカーのものも多い。  日本にいると、「メイド・イン・ジャパン」を選ぶことに特別大きな理由は考えないが、海外では、こうした「消費者に与えられた選択肢の幅広さ」や「日本びいきのない競争社会」、そして、その中で消費者がどうして「メイド・イン・ジャパン」を選んだのかを深く考えさせられる。 「Whats wrong with Japan Inc?」という言葉は、海外が日本企業に張った「別れに向けた最初の伏線」のように響く。「日本のモノづくりはまだ大丈夫だ」と国内で傷をなめ合う余裕は、もはやないと思った方がいい。  過去の栄光からの脱却と、未来を見据えた挑戦。「改善待ったなし」の状況で、引き続き「先延ばし」や「腕組み」で対応すれば、近い将来、メイド・イン・ジャパンは誇れなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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