October 09, 2019

中国・習近平が狙う「仮想通貨」の覇権 ☆☆☆

中国・習近平が狙う「仮想通貨」の覇権、米国をしのぐヤバすぎる思惑
米中の衝突はこんなところでも…
加谷 珪一
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67675

中国政府が独自のデジタル通貨を発行することがほぼ確実な情勢となってきた。

米国政府は米フェイスブックの仮想通貨「リブラ」について「国家安全保障上の問題(ムニューシン財務長官)」とまで言及。表面的には敵意をむき出しにしているが、水面下では次世代の通貨覇権の確立に向けた激しい駆け引きが始まっている。

「リブラ」をきっかけに一気に計画が具現化

中国は2014年からデジタル通貨について検討を続けてきたが、しばらくの間、状況は不明のままだった。だが今年8月に中国の中央銀行関係者が「(デジタル通貨について)発行準備が整った」と発言、一部では11月にも発行が開始されるとの報道も出ている。中国政府が正式に発表したわけではないが、中国がデジタル通貨の運用に乗り出す可能性はかなり高まったとみてよいだろう。
デジタル人民元の詳細は明らかではないが、匿名性があり、自由に送金できる仕様になっているとの見方がもっぱらである。使えるプラットフォームが限定され、個人の銀行預金と紐付けられている既存の電子マネーとは根本的に異なる存在であり、流通している現金通貨を置き換えることを目的とした、本格的なデジタル通貨と考えられる。
5年間も検討を続けていたにもかかわらず、ここに来て計画が一気に具現化してきたのは、米フェイスブックが「リブラ」の発行計画を発表したことと無関係ではない。

リブラはビットコインと同様、ブロックチェーンの技術を使って開発される仮想通貨だが、ビットコインとの最大の違いは、ドルやユーロなど既存通貨によって価値が担保される点である。
リブラはリブラ協会と呼ばれるコンソーシアムが通貨を管理する予定だが、リブラ協会はドルやユーロといった既存の法定通貨を保有し、この保有資産を裏付けにリブラを発行する仕組みとなっている。リブラと既存通貨の交換レートは変動するものの、各国通貨のバスケットになっているので、価格変動は穏やかなものになる。
IMF(国際通貨基金)には、主要通貨をバスケットにしたSDR(特別引出権)という、事実上の国際通貨があるが、リブラはこれに近い仕組みと考えてよいだろう。主要通貨をベースに通貨を発行するという点では、保有するドル資産などを裏付けに、政府ではなく民間企業が通貨を発行している香港ドルとも似ている。
日本では政府が発行しないと通貨ではないといった議論をよく耳にするが、それは単なる思い込みである。経済学的に見た場合、通貨というのは、それに価値があると多くの人が認識すれば、通貨として流通する性質を持っている。政府の方が民間よりも信用度が高いので、法定通貨の方が流通しやすいのは事実だが、民間が発行主体であっても、通貨の要件を満たさないわけではない。
では、なぜ中国政府はリブラの計画をきっかけに、デジタル通貨の発行を進める決断を行ったのだろうか。その理由は、リブラが持つ潜在力が想像以上だったからである。

中央銀行が持つ「利権」が脅かされる

リブラについては、各国から様々な懸念が寄せられており、マネーロンダリング対策などで協議を進めていくとしている。だが、リブラにはマネロンに関する懸念があるという各国通貨当局の説明は、額面通りには受け取らない方がよいだろう。もちろん、匿名性の高い仮想通貨が世界に流通すれば、犯罪資金などの温床になる可能性はあるが、現金とは異なり、仮想通貨は理屈上、その行方を電子的に追跡できる。
現金ほど匿名性が高く、犯罪やテロに利用しやすい決済手段はほかにない。それにもかかわらず、現金が主な決済手段として全世界で使われている現状を考えると、仮想通貨が普及するとマネロン対策ができなくなるというのは杞憂に過ぎないことがお分かりいただけるだろう。
各国の通貨当局が本当に恐れているのは、マネロンなどではなく、リブラのような仮想通貨が普及することで、中央銀行が持つ巨大な利権が脅かされることである。
現代の金融システムは、中央銀行が通貨を一元的に管理し、傘下にある民間銀行を通じてマネーの流通をコントロールすることで成り立っている。中央銀行はその気になれば、その国の経済を自由自在に操ることができるので、この仕組みは、中央銀行を頂点とした銀行による一種の産業支配システムと言い換えることもできるだろう。

実際、銀行は他の業種とは異なる位置付けとなっており、金融関係者は特別なエリート意識を持っている。経営危機となっても銀行だけは政府から救済してもらえるのは、銀行が特権的な立場にあるからにほかならない。
ここでリブラのような仮想通貨が広く流通する事態になると、状況が一変する。
中央銀行による統制が効かないマネーの比率が増えれば、金融政策の効果は半減し、中央銀行が持つ権力も大きく削がれることになる。金融機関にも十分な情報が入らなくなり、一般企業に対する支配力も大きく低下してしまうだろう。日本のような小国の場合、金融システムと産業界との力関係の話に過ぎないが、米国や中国といった覇権国になると状況がまるで変わってくる。

「通貨覇権」の影響力はすさまじい

米国は常に巨額の貿易赤字を垂れ流しているが、それは多額のドルを世界にバラ撒いていることと同じである。つまり米国は貿易赤字を通じて全世界にドル経済圏を構築しているわけだが、世界経済におけるドル覇権の影響力はすさまじく、各国企業はドルなしでは経済活動を継続できない。

日本がいくら物作り大国だといっても、日本製品を日本円で買ってくれる顧客はおらず、ほとんどの日本企業はドルで代金を受け取り、金融機関を通じて日本円に替えなければならない。世界のすべての取引にドルが介在するので、米国は圧倒的な影響力を世界に行使できる。
近年、グローバル化が進み、海外にも気軽に送金できるようになったが、銀行間の送金ネットワークも実は米国がドルベースで構築したものであり、ドル覇権と密接に関係している。海外送金が簡単になったのはドルが普及したことが要因であって、多国籍という意味でのグローバル化が進んだ結果ではない。

ドル覇権が続く限り、米国には金融機関を通じて世界のあらゆる情報が集まってくるが、インテリジェンス(諜報)の世界において、これほど有益な仕組みはほかにないだろう。保守的な日本人にはまったく理解できない話かもしれないが、通貨覇権国というのはお金の動きをチェックするだけで、全世界の情勢をほぼリアルタイムに把握できてしまうのだ(たいていの政治的な動きにはお金が関係する)。
近年、このドル覇権に対して公然と挑戦状を叩き付けたのが中国である。中国は人民元をベースにした独自の銀行送金ネットワークの構築に乗り出しており、ドル覇権を周辺から突き崩そうとしている。もし中国が米国に準じる金融覇権の確立に成功すれば、日本のような小国はひとたまりもないだろう。

このような現実を考えると、全世界で27億人の利用者を持つフェイスブックが、本格的な仮想通貨の計画を打ち出したことのインパクトが、米中の通貨当局にとっていかに大きいことなのかお分かりいただけると思う
すでに戦争は始まっている
これまで規模の小さい途上国は、ドル覇権の下にぶらさがる形でしか通貨システムを構築できなかった。内戦が続き国土が荒廃したカンボジアでは、国連による暫定統治で経済を復活させたが、金融システムはドルと現地通貨の二本立てとなっている。現在、カンボジアはめざましい経済発展を遂げているが、これはカンボジアがドル経済圏であることと無縁ではない。

中国はカンボジアを中国経済圏に引き入れようと、莫大な資金を投下しているが、企業における決済や預金、投資がドルになっている以上、中国もそのルールに従わざるを得ない。通貨覇権を握っていることは、何兆円もの経済援助をはるかに上回る効果がある。
もしリブラが世界に普及した場合、自国通貨とリブラの二本立てで金融システムを構築する新興国が出てきても不思議ではない。こうした新興国は、リブラを交渉材料に、ドル覇権を狙う米国と人民元覇権を狙う中国を上手くてんびんにかけ、双方から好条件を引き出そうとするだろう。

つまりリブラという仮想通貨は、これまで構築してきたドル覇権を脅かす存在であり、そのドル覇権に対して挑戦状を叩きつけている中国にとっても、それは同じことである。

中国は発行を計画している人民元のデジタル通貨を用いて、国際的な人民元の普及を画策する可能性がある。表面上はリブラとは対立関係にあるが、この世界は「蛇の道は蛇」であり、リブラとデジタル人民元が共存することも十分にあり得るし、米国政府が水面下でフェイスブックとの交渉を進めている可能性も否定できない。

さらに言えば、ユーロ陣営や英国の動きにも注目する必要がある。
ユーロ圏各国は、表面的には仮想通貨規制で各国と足並みを揃えるというスタンスだが、ユーロ圏内では、ビットコインなどの仮想通貨を自由に流通させている(英国も同様)。欧州各国が、仮想通貨に対して警戒感を示しつつも、ドル経済圏に対する牽制球としての役割を仮想通貨に期待している面があるのは明らかだ。

日本では相変わらず、仮想通貨に対して感情的な議論ばかりだが、国際社会では、水面下で次の通貨覇権の確立に向けた権力闘争が始まっているのだ。

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September 26, 2019

町工場の娘4(^^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

 

経験者が語る“下請けいじめ”の実態。不当な減額、買い叩き、タダでやり直し要求は当たり前

https://hbol.jp/141578

過去数回に渡り、筆者の父が経営していた工場を通じて世の町工場が抱える問題をいくつか取り上げてきたが、今回は企業間で生じる代表的な問題の1つ、「下請けいじめ」について綴っていこうと思う。  筆者が父の工場で働き始めたのは、大学の卒業式を待たずしての頃だった。  学校から家に帰るよりも近かったため、小学生の頃から工場に通い、職人の働く姿を間近で見てきたが、「見る」と「働く」とでは、もちろん次元が全く違う。  社会経験もほとんどないまま飛び込んでしまったゆえ、正直、“何が分からないのか”が分からず、職人、取引先、営業、両親の間で、とっかえひっかえ問題を抱えてはフルスロットルで空回りする生活を続けていた。にもかかわらず、「若いから」、「性別をハンディにしたくないから」という意気込みだけは無駄に強く、今考えても当時は今以上に余裕も可愛げもなかった。  そんな中、父の工場には年に数通、「親事業者との取引に関する調査について」という書類が中小企業庁からやってきていた。見ると「下請け企業を守るため」なる内容のことが書いてある。  しかし、毎日空回っていた入社当初の筆者にとって、こういった国からの書類や手紙の対応などは、正直なところ煩わしい雑務。期限内に提出せよという文言に、「おい、国まで私の仕事を増やすのか」と、机の“未処理箱”に放り込んでは、期限ぎりぎりになって当たり障りのない回答をして返送していた。  が、徐々に自分の立場と工場の状況が把握できるようになってくると、ようやくこの書類が少なくとも自分に味方するものであること、そしてその内容と現状の一致から、自分の工場が「下請けいじめ」を受けている只中にあることに気が付く。  その書類の回答用紙や質問冊子に添えられた送り状には、世話になっていた親事業者(元請け企業)の名前が1通につき1社、ダイレクトに書かれてあり、冊子にはその企業に対する質問が50問ほど羅列してあった。  一瞬、「この会社、なんか悪いことして国に目をつけられたのか」と思ったが、送り状をよく読むとそうではないようで、この書類は、親事業者が中小企業庁に提出した「下請事業者名簿」を基に無作為に選ばれ送られてくるもの、そして、その親事業者に下請法上の問題が認められたか否かにかかわらず調査が実施されることを知った。  回答期限を設けてはいるものの、下請け側には提出義務は存在しない。質問内容のほとんどが金銭や納期に関わることで、発注内容を書面に残しているか、期日通りに支払いされているかなど、どれも元請けが下請けに不当な扱いをしていないかを細かく問うものだった。

 

 

 日本には、下請法という法律がある。正式名称を「下請代金支払遅延等防止法」といい、先述したように親事業者の一方的な都合から下請け企業を守るための法律で、親事業者に対して「義務」と「禁止事項」が細かく定められている。公正で自由な競争を守るための法律として知られる「独占禁止法」では対処できない、末端企業を保護するための補完的法律だ。  下請法が適用される業者かは、事業者の資本金額や職種などによって決まる。代表的なのが製造業で、父の工場のような、大手のくしゃみで大風邪を引くほどの弱小町工場にとっては、格好だけでも国が「マスク」になってくれることは心強かった。  そんな下請法を通して父の工場を見た時、取引先数社から「減額」と「買いたたき」、そして「不当なやり直し」の項目に該当する行為を受けていたことが分かった。父の工場は、得意先が作った金型を預かって研磨する、いわば「技術業」。それゆえ、元請けにとっては値段を調整させる言い訳が立てやすく、不当な値下げや返品などの強要が頻繁に行われていたのだ。 「減額」とは、文字通り支払い金額の減額を強要する行為だ。下請法では、下請事業者に責任がないにもかかわらず、親事業者が発注後に代金を減額することを禁じている。  父の工場は長年、ある取引先から彼らの言い値で仕事を受けており、さらには締日後に「月予算がオーバーしたから10%割引した請求書を再送するように」と強要されたことも度々あった。11500円で購入させられていたその会社専用の請求書の束を、倉庫の棚奥にしまいながら、「同量の仕事くれるんやったら、こんなもん印刷追いつかんくらい買うたるわ」と皮肉る父親が、なぜかかっこよく見えたのを覚えている。 「買いたたきと」は、市場価格に比べて著しく低い下請代金の額を不当に定めることで、筆者の入社当時、訳あって混乱していた工場の弱みにつけこむ形で、通常の3分の1の価格で仕事をさせられていた時期があった。

細かい指示にミスが出ないように、金型には色分けしながら引取りの際に全て書き込む

 中でも「不当なやり直し」は、技術を売る企業にするとかなりやっかいで、父の工場の場合納品した金型のどこにも傷はなく、検品にも通った後にもかかわらず、電話で「今再確認したら傷がある。これでトライ(成形)してみるが、もしNGだったらやり直せ」と一方的に言われることが頻繁に起きていた。結局一度使った金型は全体に傷がつくため、元々傷があったなかったに関係なく、「やっぱりNGだった」のひと言で無償のやり直しをさせられることになるのだ。  こうなれば、下請けは取引先のいいなりになるしか術がない。中小・零細の下請け企業は大手と違い、1つの契約が突然切れると、たちまちに経営が立ち行かなくなることが多々あるため、下請けは注文書に書いてある納期や金額よりも、結局取引先の顔色を見ることになる。

「他の会社はタダでやりなおしてくれる」

 当時、威勢の良かった筆者はこれらを埋め合わせるべく、自分の持ち合わせる最大の営業スマイルで「少しでもいいので工賃をくれないか」と何度か取引先に頼んだのだが、「他の会社は無償でやっている」「今後は他を探す」と言い放たれるばかり。  溜まったストレスは、1人になれる帰路のトラック車内で、彼ら担当者にあだ名をつけて発散させていた。手に油が少しでも付けばすぐに洗いに行って当分帰って来ない購買部の担当者には「ラスカル」、完璧な仕事にも毎度必ず首をかしげて無言の保険をかけてくる検品担当者には「慢性肩こり」。共感してくれるのは、工場で働く営業マンだけだったが、それでも幾分気は晴れた。  前出の「親事業者との取引に関する調査」の書類に回答した内容は、一切親事業者には伝わらないという。が、いわゆる「チクり」のようで気が進まないことに加え、逆恨みなどを気にして泣き寝入りする下請けも未だ少なからずいる。  当時、筆者も「どうせこんな紙切れに正直なこと書いたところで、元請が変わるワケないじゃないか」という思いがあった。というのも、こういう「下請けいじめ」をするのは、「下請法」の存在を知る元請け上層部ではなく、その会社の第一線で働く工場マンで、下請法の存在や詳細を知らない作業員がまだまだ多かったのだ。  それに彼ら工場マン自身も、上からの圧力に毎日押さえつけられながら仕事をしていることは斟酌すべき点だろう。  世界屈指の「縦社会」国家である日本。尊敬語や謙譲語を操り、役職や位で呼び合う社会では、下にいけばいくほど時間もコストも不足し、末端に満たされるのは「変更」や「中止」などで生じる問題ばかり。  ハンコがないと動けず、逆にハンコのせいでフレキシブルに対応できない体制が出来上がっている。上司にせがまれ、短納期・低賃金を現実化しようと思えば、彼らの「下」に位置する下請けに矛先を向けるしか道がないのかもしれない。下請けも大変だが、大手の第一線現場従事者も大変だったんだなと、工場を離れ、「上下」から解放されて分かるようになった。  昨年度、公正取引委員会が行った下請け企業に対する親事業者への勧告や指導の合計は、過去最多の6,603件にのぼる。また、今年の1月からは「下請けGメン」なる調査員による監視やヒアリングを強化させ、取引の公正化を図ることで、中小・零細企業の経営の安定と賃上げにつなげる動きも活発化し始めた。  フットワークの軽い中小・零細企業は、日本の技術発展の鍵をにぎっている。目先の利益だけで、下請けをぞんざいに扱うことは、大手企業にとっても日本にとっても、決していい結果を生み出さない。下請法の存在や内容を会社全体に周知させ、守らせることが、親事業者が今後「大風邪」を引かないための大きな予防策になるかもしれない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

ブラック企業にならざるを得ない中小・零細企業の現実を世間は知っているのか?

https://hbol.jp/144346?cx_clicks_art_mdl=7_title

 

もぬけの殻になった、筆者が勤めた町工場。工場の存続には、あまりに過酷な現実があった

前回までの工場シリーズでは、筆者の父親が経営していた零細工場を通して、立場の弱い下請け企業の現状を綴ってきた。様々な問題を抱える日本の中小零細企業だが、今回から数回に分け、下請けであるがゆえに生じる社内問題から、家族経営の内情、工場が閉鎖するに至った経緯などを綴っていこうと思う。  2013年の秋、1つの町工場が静かにシャッターを下ろした。倒産したのではなく、意思を持っての廃業だった。  製造大国であるこの国からすると、元々存在していたのか分からないほど極小で、当時の得意先も今頃は取引していたことも忘れているであろう「いち下請け工場」であったが、筆者にとっては幼いころから家庭と変わらないかけがえのない存在だった。今でもあの音、匂い、油にまみれた父親や、彼を必死でサポートする母親の姿を鮮明に思い出すが、それはもう今後、記憶の域を脱することはない。  大学を卒業する頃、訳あって当時夢見ていた道を諦め、筆者はこの工場に正式に入社することになった。  昔から見てきた視点とはやはり全く違い、社会経験ゼロの若い女性が、男性職人ばかりの製造業界で経営側として働くのは正直多くのハードルがあったのだが、中でも最も苦労したのが、職人が提供できる技術力・量と、取引先からのニーズをマッチングさせることだった。  前回から述べている通り、父の工場の主な業務内容は、金型の研磨業だった。自動車のプラスチック部品を製造する際に使われる金型を、砥石やペーパーやすり、ダイヤモンドペーストなどで磨き、鏡のように滑らかにする。  1つの作業を任せられるのに10年を要する職人業だ。自動車産業には欠かせない技術だったため需要はあったが、工場最盛期でも従業員は35人ほどしかいなかった。それゆえ、1人にかかる仕事量や責任の比重は、大企業のそれよりも相当大きかったと思う。  昨今、深刻な社会問題となっている「ブラック企業」だが、筆者が工場で働いていた当時には、そういった言葉はまだ浸透していなかった。

 

日本の法では多くの企業が「ブラック」になる

 が、今あの工場が存続していれば、正直「ブラックだ」と言われていたかもしれない。それは経営の一端を担っていた筆者の力不足でしかなく、最後までついてきてくれた職人には今でも感謝と詫びの念しかないのだが、こうして父の工場がなくなり、日本の中小零細企業を客観的に取材・分析するようになると、多くの下請け工場が同じように「ブラック企業」にならざるを得ない状況へと追いやられていることに気付かされ、引き続き胸が痛むのだ。  下請け企業がブラック企業にならざるを得なくなるのには、間に挟まれやすい立場に原因がある。父の工場で起きた事例から見てみよう。  父の工場は創業以来、多くの大手工場から「浮気」されることなく仕事をもらっていた。その一番の理由は、どんな時でも依頼を断らず、与えられた納期を守ってきたところにある。下請けが大手と信頼関係を築き上げるのには最もシンプルな方法であり、そして最も難しいことでもある。  自動車業界には製造ラインにおける独特の波や、突然の仕様変更などがあり、繁忙期と閑散期の差が著しく、その仕事量は1か月先でさえもなかなか読めない。大手が休む盆や正月、大型連休には普段の2倍以上の仕事が舞い込むが、先述したように、職人になるまでには相当な年数を要するため、繁忙期だけ即戦力になる職人を増員するというのは物理的に不可能だ。結局はその期間、1人が2倍以上の仕事をする他に術がない。  それが一転、大手の自動車製造ラインが止まり閑散期に入ると、今度は構内の掃除や草むしりをする日が続く。活発に動くのは、営業担当の持つ携帯電話の発信履歴のみ。経営側の立場としては、むしる草が生えてくるのを待つ時ほど、精神的に辛いことはなかった。  こうして、繁忙期には工場を休みなくフル稼働させて得意先の機嫌を維持し続け、閑散期には35人もの雇用を維持し続ける。どちらもおろそかにすれば、仕事は簡単に他社に流れるのだ。  それでも現場が長い熟練職人には技術や経験があるため、自分が引き受けた仕事は、どんなに残業しようが最後までやり通すというプライドと、「下請け」という立ち位置に対しての理解があったのだが、入社して間もない新人の中には与えられた納期の重みを理解できず、残業に対して不満を持つ者もいた。

 

 

残業が増えれば労基法は守れない。労基法を守れば、納期が守れない

 経営側からすると、職人育成には長い時間と賃金を費やしているため、途中で辞められては今までの努力が無駄になる。  昨今の若者の仕事に対する意識の変化も相まって、新人育成には本元の工場運営とはまた別の神経を使っていたのだが、そんなある日、1人の新人が残業時間に対する不満を経営陣ではなく労働基準監督署へ相談していたことが分かり、工場が大きく揺れた。  当時、手一杯だった筆者が思っていた気持ちを率直に、つつみ隠さずに言えば、こうだ。 「職人の残業が増えれば、労働基準法が守れない。労働基準法を守れば、納期が守れない」  長期的解決策として入れた新人は、不慣れな仕事に残業時間も手当も増え、給料はもはや熟練職人と変わらず。  得意先にでさえ弱音を吐けない経営陣とは対照的に、自分の不満を国に訴える新人に、持って行き場のないやるせなさに打ちひしがれた。  結局父の工場は、法令違反に値せずとも、より改善した方が良いと思われる際に交付される「指導票」を受けるに至った。  しかし、体力のない中小零細企業は、これがきっかけで経営状況が悪化し、一気に倒産へと追いやられることもある。板挟みに疲れ果て、父のように自ら会社を閉める道を選ぶ経営者も少なくない。自分の会社に見境なく「ブラック」のレッテルを貼ることは、挙句自らの首を絞めるばかりか、再就職の難しい年齢に差し掛かっている熟練職人をも巻き添えにすることになりかねないのだ。  経済は生き物である。今目の前で起きていることが全てではない。父が身を置いていた製造の世界だけでなく、どんな業界にもそれぞれ仕事の波がある。波を作り出す発注元に対し、その波長を予測・計算し、荒波に備えるのは受注側の責任だ。  しかし、押し寄せる波が大きすぎれば、中小零細企業はかじ取りができず、やがて海底へと沈んでしまう。  過重労働などの違法行為は決して正当化されるべきことではない。が、会社の存続をかけたブラック企業には、利益追求型のそれとは一線を画した何らかの対応や救済が必要である気がしてならない。ブラック企業にならざるを得ない状況下に置かれている企業があるという現実、法を守ることで潰れていく会社があるという現実を見過ごし続けていては、日本の技術は衰退の一途をたどるばかりだ。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

 

 

 

ワンマン経営の零細工場が抱える“爆弾”は、いつか弾ける

https://hbol.jp/145943?cx_clicks_art_mdl=5_title

 

 前回は、ブラック企業にならざるを得ない中小企業の内情を紹介したが、父が工場を閉めることになったのには、この他に2つの要因が存在する。そのうちの1つは、「ワンマン経営のもろさ」だ。  筆者は大学生の頃、工場を継いでほしいという父からの真剣な頼みを、2回断っている。幼い頃から工場に育てられてはきたが、今まで目の当たりにしてきた男社会に入る覚悟が当時なかったことと、若いなりの夢があったことが大きな理由だった。  それでも結局筆者は、大学卒業を待たずして、父の工場へ入社することになる。今回は、当時父の身に起きた事例に照らし合わせながら、ワンマン経営がゆえに起こり得る町工場の問題を綴っていこうと思う。  大学の卒業式を1か月後に控えたある寒い日の朝、母親との無駄話を終え、自分の部屋に戻る階段を上がっている時、家の電話が鳴った。自営業の家庭にはよくある話なのだが、会社の始業時間前後にかかってくる電話には、毎度緊張させられる。そんな中でも、その日のベルはなぜか特別に胸騒ぎがした。  ベルが止みしばらくすると、母の叫ぶ声がした。「父ちゃんが倒れた」という。慌てて車で会社に向かう筆者の横を、1台の救急車が走り去るのを見て、ハンドルを握る手が震えた。  父が集中治療室にいた1か月、会社は大荒れだった。過去に突然の独立騒動があって以来、技術や経営のノウハウを外に漏らさぬようにと、工具を注文する店や、各取引先の受注担当者などといった企業秘密は、彼の頭の中にあったのだ。いわゆる完全なワンマン経営だったのだが、こうした父なりの会社を守る対策が、今回逆に仇となった。  管につながれた父にはほとんど意識がなかった。筆者と母は、社長室の「痕跡」を頼りに何とか社長業を引き継ごうとするが、そもそも何が分からないのかが分からない。それらを見出す唯一の方法は、問題がそれぞれ深刻化し、表面化してくるのを待つことだった。  注文先の分からない工具は、集中治療室へ持って行き、「父ちゃん、これどこで買うん?」と、ダメ元でちらつかせてみるが、「看護婦さん可愛いね」にも反応しない父に、こんな状態にまでなっても仕事をしてくれると思った自分が滑稽に思えた。

 

取引先には「父は長期海外出張中」と告げた

 最初に迫られた選択は、得意先へ報告するか否かだった。極小町工場の社長が倒れたとなれば、取引先が一気に離れていくことは目に見えている。  話し合いの末、母と筆者、営業らは「社長は長期海外出張中でなかなか連絡が取れない」と、今思えば明らかに無理のある対応をすることで意見を合わせた。  実際、父が倒れる2か月前、得意先を追いかけるように創った念願の海外支社が操業したばかりで、当初は取引先も納得していたが、それまでの取引先とのやり取りも、やはり全て父が担っていたため、しばらくすると「直接話がしたい」という連絡がくるようになる。  次に襲ってきた問題は、受注した仕事の見積りだった。鉄の硬さや金型の形状まで、1つとして同じ条件のない依頼を、父は今まで、経験と各取引先の相場をもって1人で見積っていた。それが全くできなくなり、取引先には「社長が不在で見積もれないからご予算伺えますか」と対応するしかなかった。  それは以後、同業界での無駄な価格競争を生むことになる。  唯一救いだったのは、当時会社にいたヤンチャな従業員35人が、「会社を潰してなるものか」と活気立っていたことだった。未だかつて見たことがない団結力で、今まで以上に真面目に仕事に取り組んでくれた。1人ひとりが自分のできる最短納期を営業に伝え、社長の仕事を見よう見まねで引き継ぐ。父親がいかに信頼されていたかを改めて思い知った瞬間でもある。  父の発症した病気は、くも膜下出血だった。寒いトイレで倒れたものの意識を取り戻し、社長室まで這って戻ると、内線で職人に救急車を呼ぶよう伝え、その後自ら家に電話をしてきた。そのため処置が早まり、幸い体に麻痺は残らず、1か月後には一般病棟に移ることができた。  しかし、そのころから家族にはある不安が募るようになる。父の記憶力が弱いのだ。一過性のものだと信じていたが、結局父には「高次脳機能障害」という後遺症が残った。人により症状は様々だが、父の場合、記憶能力の欠如と、著しい感情の起伏が顕著に表れていた。  高次脳機能の記憶障害は、健忘症と違い、見た目や自尊心は「元の社長」である。人と会話する仕草も健常者と変わらないし、社会復帰にも大変意欲的だった。が、やはり新しい記憶ができない。かかってきた電話に対応できても、切った直後に誰と話していたか忘れてしまう。  それでも今まで散々心配させてきた取引先に、社長の健在ぶりを証明する必要があったため、父を電話に出さないわけにはいかなかった。捻り出した解決策は、電話にテープレコーダーを繋ぎ、後で筆者が内容を把握すること。ところがある日、得意先から電話がきた際、「録音」ではなく「再生」ボタンが押され、過去に取った会話記録が通話中に流れてしまう事態が起きる。これにより、本意ではない噂が広がり、得意先から不信感を抱かれたこともあった。

 

「俺だって好きでこんなんになったんやないわい」

 幸か不幸か、先述通り父には自尊心が残っていた。記憶のできない自分を認識できることは、本人にとって辛かったに違いない。  そんな父の状態を分かっていたにも関わらず、未熟だった筆者は、大学卒業後に決まっていた留学が流れ、やりたくもない仕事をやらされているという現状と、2分おきに同じことを聞いてくる父に苛立ちが募り、ある日「同じことを何度も言わせるな。仕事の邪魔だ」と言い放ってしまう。  その時漏らした父の言葉は今でも忘れられない。「俺だって好きでこんなんになったんやないわい」。  跡を継ぐことを頑なに拒んでいた筆者に、初めて「限界がくるまでやっていこう」と決心させた瞬間だった。筆者が大型自動車やクレーンの免許を取ったのも、この頃である。  こうして一通りの失敗を経験し、仕事の流れを把握するようになった頃、新たな問題が勃発する。  今まで頑張ってきてくれていたある職人が、父の後遺症から会社の存続に危機感を抱き、会社を離れていったのだ。  工場に残った不安感は感染し、離職の連鎖が生まれる。筆者もできる限りのことをしたつもりだったが、彼らにも生活や家族があり、不安になる気持ちは十二分に分かっていたため、無理に引き留めることもできず、ただただ自分の不甲斐なさを悔やんだ。  それでも会社は続けざるを得なかった。海外支社を創った際にできた借金もあれば、未だ残ってくれている従業員もいる。皆それぞれが必死だった。  その後、海外支社の閉鎖、円高やリーマンショック、下請けいじめなど、越えなければならない山は続いたが、父が倒れて10年余り、なんとか借金を完済し、残りの職人らが再就職先を得たのを見届けると、父の町工場は30年の歴史に幕を閉じた。  中小零細の町工場には筆者の父のように、会社立ち上げ当初から自分の経験と勘、人脈だけでやってきたワンマン経営者が多い。それゆえ統率力が強く、「ワンマン経営=独裁」と捉えられがちだが、必ずしもワンマン経営が悪いわけではないと筆者は思う。特に、大企業よりも従業員1人ひとりにかかる仕事量や責任の比重が大きい下請け企業には、ワンマンでないと乗り越えられない危機や壁が幾度となく襲ってくる。  しかし、ある程度会社が成長・安定してきたならば、経営方針を徐々にチーム型へと移行させることが、トラブルが起きた際、会社存続の鍵になるのは確かだ。工場閉鎖後、整理していた社長室の棚から、父が覚えたてのパソコンで入力した数十枚に及ぶ「技術マニュアル」が出てきた時には、「ちょっと遅かったな」と思わずにはいられなかった。  あの時、筆者の見た従業員の団結力は、日本のモノづくりの現場がまだまだ捨てたものではないことを教えてくれた。日本の技術を支える中小零細企業。そこで働く経営者と従業員が、互いにより尊重し信頼し合うことで、無駄に消えずに済む工場は増えると、筆者は信じている。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

年間7万社が後継者不在により廃業。日本の町工場も例外ではない

2017.07.18

https://hbol.jp/146626?cx_clicks_art_mdl=4_titleフォームの始まり

 

フォームの終わり

橋本愛喜

廃業を決めた工場最後の日。がらんどうになった工場を背に撮った筆者の家族写真(筆者は右端)

 

総務省が発表した平成27年度の個人企業経済調査によると、後継者が確保できていない日本国内の製造企業は、81.1%にもおよぶ。事業主が60歳以上の割合は76.3%。団塊の世代が70代を迎える昨今、日本のモノづくりを支える町工場の後継者問題は、日々深刻化の一途をたどっている。  娘である筆者がこういうのもおかしな話だが、父の経営していた工場でも、この後継者問題は最後まで解決できなかった。町工場の抱える社内問題について綴った前2回の「労働基準の変化」、「ワンマン経営のもろさ」に続き、今回はこの「後継者問題」について“継ぐ立場の側”から綴っていこうと思う。

零細工場の跡取り娘と知られるや、オトコたちは全速力で逃げて行く

 親が中小零細企業を経営していると、「後継者」として最初に名が上がるのは、否が応でも、その子どもである。幼い頃から自営で働く親、または両親の姿を見ていると、子どもには「自分もいずれこの仕事をする時が来るのだろうか」と考える時が必ずやってくる。  ところが、そんな子どもが社会人になろうとする頃には、環境も考え方も大きく変わっていることが多い。  必死で働いてきてくれた親のおかげで、筆者は金銭的には比較的余裕のある暮らしをしてこられたほうだと思う。学生の頃には様々な経験をさせてもらい、大きな夢を抱くようになった。  が、親が事業をしている子どもには、その夢の矛先が親の事業ではないという皮肉な現象が起きることが多く、例に漏れず、筆者の夢の矛先も、残念ながらやはり“工場”ではなかった。ゆえに、学生時代に父からの「継いでくれないか」という願い出を2回真面目に断っていたのだが、それでも大学卒業間際に工場へ正式に入社することになったのは、前回述べた経緯の通りだ。  父の営む工場には、物理的に力を要する工程が多く、筆者の中で「自分は女性だから継げない」、「継がなくてもいいと両親も言うだろう」という意識が幼い頃からどこかにあったのかもしれない。  やはり両親も、自分たちの仕事は女性が継ぐものではないと十分に分かっていたようで、厳密に言えば、昔から彼らには「筆者自身に」というよりも、「筆者の未来の旦那」に継いでもらおうという魂胆があった。  筆者がトラックで得意先に仕事を引取りに出かける際、母親が言い放つ「いい男も一緒に引き取って来い」という言葉に、毎度ギアをバックに入れても足りないくらいドン引きするも、病気になった父を想うと「そうなったらそうなったで、まあいいか」と心のゲートを開いた時期もあったのだが、女っ気のない性格はもとより、「あのヤンチャな社長の娘」だと知られるや、“ゲートの向こうのいい男”は、ギアをトップに入れても追いつかないくらいのスピードで逃げてゆく。  それゆえ以前話したように、筆者に声を掛けてくるのは、結局怖いモノ好きな5060代の長距離トラックドライバーしかいなかった次第である。

金型業界に衝撃を与えた3Dプリンタの導入をあえて提案してみるも……

 こうして、2代目として両親と供に工場を経営していくことになったのだが、正直、両親と働くことほど辛いことはなかった。  筆者の家族は、昔から「馬鹿」が付くほど仲が良かった。極太の大黒柱だったヤンチャな父に、ド天然の母と4歳差の妹。皆が互いを絶妙なバランスで支えながら暮らしていた。病に倒れた大黒柱を突然支えなければならなくはなったが、筆者は幼い頃から両親の働く姿を見ていたことで、社会経験がなくてもすんなり工場には順応できると思っていた。  ところが、いざ両親とともに働いてみると、全くしっくりこない。最初はただただ筆者の経験不足からくるものだと思っていたのだが、いずれその原因が、「新旧の意見の食い違い」にあると気付き始める。  父の病気後、異常なまでの円高や、職人の減少などで、工場が不安定の只中にあった頃、世間は3Dプリンタの登場に湧いていた。しかしその一方、金型業界の一部では「これまでか」という絶望感が漂い、多くの関係者が「金型の終焉」を予感した。3Dプリンタは、金型がなくても図面さえ描けてしまえばその場でプラスチック製品が出来上がってしまう。つまるところ、金型で食べている多くの職人が今後、ぞくぞくと路頭に迷う懸念があったのだ。  当時、現場の新人育成に頭を悩ませていた筆者は、これをある種の「チャンス」だととらえていた。金型研磨を生業とする父の工場には、金型と職人が存在しなければ仕事にならない。この両方が安定しないのならば、3Dプリンタを量産能力が兼ね備わる前に導入し、新しい活路を見出すべきだと考えたのだ。  しかし、今まで「砥石一本」でやってきた両親にとって、あの機械はただの「びっくり箱」でしかなく、一台試しに導入してみようという筆者の提案は、最後まで通らなかった。何度も説明し、説得したが、「新人育成があなた(筆者)の仕事」と、彼らが今までの方針を曲げることはなかった。  経験と技術だけでやってきた古い体制の町工場にとって、新規事業への参入は、培った経験に対するプライドや、失敗した時のリスク、軌道に乗せるまでの労力など、多くのハードルを越える覚悟が必要だったのだ。  このように、先代は「培ってきた経験」を、次世代は「チャレンジ精神」を切り札とするのだが、これが面白いほど真逆であるがゆえに、筆者と両親は、ぶつかることが日常茶飯事となっていった。同じ空間で新旧が議論しても、話はまとまらない。結局平行線のまま家に帰っても、10分前まで一緒だった両親には「ただいま」を言わなくなる。朝食ではその日のスケジュールを確認し、夕飯には工場に引き続き、意見をぶつけ合う毎日。  それゆえ、筆者は異常なまでにトラックで得意先に行くことが好きになっていた。

 

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中小零細の「世代交代」に現状維持はありえない

 それでも周囲には、親子で方針が違うところを見せないように努めなければならない。現場で働く従業員に、こういった意見の食い違いや言い合いを見せることは、彼らの士気を下げるだけだからである。  規模も業種も全く違うが、数年前、某大手家具販売店で起きた騒動がいい例だろう。親子間での経営方針の違いは、必ずや従業員を巻き込む。その家具販売店の騒動があった頃には父の工場はすでになくなっていたが、筆者は他人事のようには思えなかったと同時に、あの娘さんの意志の強さには、いい意味でも悪い意味でも驚かされた。  中小零細企業での後継者問題には、親子親戚間でなくとも、ほとんどの場合に「世代交代」が伴う。企業形態によっては、2世代分の開きがあることも少なくない。さすれば、「経験」と「時代の流れ」にズレが生じやすくなり、経営の失速に直結する問題に繋がりかねない。  若い世代に継承すべき企業の伝統や風習はもちろんあるところだが、若い世代の新しい風を積極的に取り入れ、社内の新陳代謝を促さなければ、時代の流れに取り残され、あっという間に廃れていく。「世代交代」では、いい意味でも悪い意味でも、「現状維持」という現象はなり得ないのだ。  父の工場は、この他にも様々な要因が絡み合い、結局廃業の道を選んでしまったが、好業績、独自技術が伴う事業には、「売却」という選択肢もあるし、現場の優秀な社員を社長に昇格させる方法もある。これらの道も、決して一筋縄ではいかないが、早い段階での準備と対策によって、次世代につながる企業技術も増えるはずだ。  後継者の確保ができずに廃業する会社は、毎年約7万社にも及ぶ。日本の技術力の底上げが求められている中、引き継げずに消えてゆく技術がこれほど存在するのは、あまりにもったいない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

 

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町工場の娘3 (^^;;

工場職人にヤンチャが多い理由。日本のモノづくりを支える、零細町工場に立ちはだかる急務とは

日本のモノづくりを支える、町工場。家業が町工場であった筆者の周りには、物心つく前からトラックと砥石と真っ黒な父親の存在があった。  母親も父親と同じ工場の経理として毎日夜遅くまで働いていたため、筆者はいわゆる「鍵っ子」だったのだが、通っていた小中学校が工場から近く、放課後はその工場に帰っては、働く大人を観察していた。ゆえに、筆者の零細企業デビューはかなり早い。  約30年間、1つの工場を微力ながら見守ったのちに海外に住む今、昨今の日本に思うことがある。今回から3回に分けて、「日本のモノづくりを支える職人」について綴っていきたい。  筆者の父親は、小さな工場を経営していた。  「工場」は「こうじょう」ではなく「こうば」だ。これは筆者のまこと勝手な線引きだが、始業前にラジオ体操がある規模は「こうじょう」、ないのは「こうば」。父の会社には、ラジオ体操どころか、ミーティングさえもなかった。テニスコート2面ほどの作業場に、最盛期は従業員約35人。海外に支社を作った時期もあったが、訳あって数か月で畳むことになる。  従業員には2種類のタイプがいた。第1に「昔のヤンチャ」、第2に「つい最近までのヤンチャ」。35人中34人が男性で、残りの1人は掃除のおばちゃんだ。  彼らの愛車が織りなすエンジン音とヒップホップの音楽は、毎朝100メートル先の信号あたりから誰が通勤して来るのか教えてくれる。坊主からリーゼントまで、ヘアスタイルも個性豊かで、おかげで遠くからでも誰がどこにいるか、すぐに判別ができた。  そんなヤンチャたちだが、彼らは一度仕事にかかると、大変真面目だった。その理由は、社長が大昔、誰よりもヤンチャだったことに加え、彼らには「一人黙々と作業をする素質」がある、というのが大きいところだろう。  父の工場の業務内容は、金型研磨だった。その詳細は次回述べるが、この仕事で一人前になるまでには、最低10年はかかる。つまるところの「職人業」だ。  職人とはいわずもがな、熟練した技術でモノづくりする人達のことである。  父の下で働くヤンチャ達は、トラックドライバー以外、職人か職人見習いだった。鉄の塊相手に、油と砥石に手がまみれ、金型の角に手をかけては絆創膏1箱使っても足りないほど出血することもしばしば。末端の孫請けゆえ、納期絶対厳守の、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)。父の工場においては、これに「細かい」がつき、4Kともいうべき環境だった。

「作業服とタイムカードは黒いほうがいい」

 伝統工芸職人はその技術や作品に魅了され、その道に入るが、工場職人への入り口は、もっとシンプルなことが多い。  父の工場では、年中従業員を募集していた。その度にやって来るヤンチャが差し出す履歴書の志望理由には、「求人広告の一番上に載ってたから」「家が近かったから」という字が堂々と書かれていた。  時折、「日本のモノづくりの一端を担いたい」と饒舌に語るスーツ姿の兄さんがやって来ることもあったが、実際こういう人ほど、「親戚が亡くなった」で欠勤が何度か続き、やがて来なくなる。その度に社長は「何人親戚殺すねん」とタバコの煙に目を細め、ぼそっとつぶやくだけだった。  筆者は仕事柄、現在も多方面の職人と話す機会があるが、彼らには大きな共通点がある。  自分の仕事に人が介入することを超絶に嫌うのだ。協力し合うことが苦手な代わり、受け持ったからには、最後まで1人でやり遂げる。が、やりたくない仕事は絶対にやらない。こうもプライドが高いゆえ、こちらの意見はなかなか聞いてはくれない堅物が多いのだが、この「オレの道」を「美徳」と位置付ける一匹狼型のヤンチャは、自然と工場職人という道に吸い寄せられるのだ。  父の工場には、数日「おはようございます」と「お疲れ様でした」しか発さない金型以上の堅物も多くいた。  こうして、子どもの頃から工場職人を目の当たりにしてきた筆者には、「工場で働くこと」に対して、1つの定義がある。古い考えではあるが、これだ。「作業服とタイムカードは、黒い方がいい」。  昔の職人は、現在よりも「日本のモノづくりは自分たちが支えている」という誇りを強く深く持っていた。それゆえ、3Kだろうが4Kだろうが、文句も言わず自らの仕事を全うする職人が多かった。  1日中座りっぱなしの体をほぐしてもらうために構内に置いた卓球台は、一匹狼の集まる工場では、結局本来の使われ方はほとんどされなかったが、午後7時半になると、毎晩母の料理が並んだ。それを5分で腹中に移し、缶コーヒー1杯を飲んでいるわずかな間に、仕事モードへ気持ちを再び入れ替える。短い納期で仕上げた金型をトラックに載せる時に見せる顔には、疲労感以上に達成感がにじみ出ていた。

 

ネット世代は職人に不向きな若者が多い

 しかし、そういう「職人像」も、ここ十数年で大きく変貌を遂げた。これは父の工場に限ったことでない。日本にいる職人たちの高齢化に伴い、新人育成が急務である中、時代がスピードを求めてきているせいか、一人前になるまでに辛抱できず、途中で辞めてしまう見習いが増えてきたのだ。先に述べておくが、この原因は、辞める側だけでなく、雇う側、育成する側にもある。筆者本人が元工場経営者として強く思い、深く反省するところだ。  昨今、「10年経たないと一人前の職人になれないのは、効率が悪い」という風潮があるが、筆者が見てきた世界は、少なくともその「時間」は必要だと思うところだった。「辛抱」や「感性」は、効率化では得られず、職人の仕事は結局すべてこの2つでできていたりする。どれだけ辛抱すればいいのかを知るには、辛抱し続けるしかない。  が、その一方、時代の流れに合った職人教育をする必要も、育成側には出てくる。やみくもに「見て覚えろ」と言うのは、今の時代にはそぐわない。辛抱して、見て、覚えた先にあるものが、職人には必要不可欠な感性であることを伝えなければ、インターネットですぐ答えの出るスピード社会で育った現代の若者が、途中で挫折するのは当然のことなのだ。  ただ、ここで問題になるのは、育成するのが「堅物の職人」であること。彼らには、すでに踏み固められた「オレの道」がある。そんな両者が歩み寄り、技の伝達をスムーズにさせるために必要な存在こそが、経営陣だ。両者の間に入り、作業服に袖通し、彼らとともに卓球台で夜食を食べるくらいの距離感を持っていなければ、経営陣の存在意義は、工場内では無いに等しい。  現在筆者が住んでいるニューヨークには、物が溢れている。が、現地ではほとんど買い物をせず、一時帰国した際、来日外国人のごとく日本の製品を大量買いしていく。プラスチックのかご1つにしても、日本の100円ショップで買ったもののほうが断然質がいいからだ。たかが100円の商品であっても高品質なものを求め、その要求に応じるのは、日本人がもつ「仕事で妥協しない」という職人気質の賜物である。  そんな要求に応えられる技術とプライドのある職人が、今徐々に数を減らしている。日本のモノづくりを第一線で支える彼らを今後育成するには、「オレの道」を歩く新人のために、標識を立てていくことが、工場経営者の急務なのではないだろうか。 〈文・橋本愛喜〉

 

 

 

日本が誇る零細工場の技術は、面白いほど簡単に盗まれ流出してしまう

2017.05.01

町工場で育った筆者が、日本のモノづくりを支える職人の気質や育成の難しさについて述べた前回。今回は、当時の現場で直面した「技術流出」について綴っていきたい。  職人の業界には、分業制を取るところがある。父の工場でも、各職人に技術や知識を分散させていた。洗練された技術を惜しみなく発揮できるというのも1つだが、その最大の理由は、技術の流出を阻止するところにある。  分業は、仕事上の不平等が発生しやすく、職人同士で不満がつのったり、担当者の欠勤がラインを止めてしまったりするなど、様々な問題を伴うことも多い。  だがこの制度をひとたび止めれば、たちまちに技術は外に漏れていく。  父の工場でも、開業間もないころは各々にすべての工程を任せていたのだが、案の定、安易な独立や不当な引き抜きなどによって、情報や技術は面白いほどあっという間に外へ出た。  工場の主な業務内容は、金型の研磨だった。簡単に説明すると、鉄の塊から削られてできた金型の機械の目を、砥石やペーパーやすり、ダイヤモンドペーストなどで磨き、最終的には鏡のように滑らかでビカビカに仕上げる仕事だ。  取引先のほとんどは、日本の各自動車メーカーや自動車ランプメーカー、電機メーカーなどで、この世にプラスチック製品が存在する限り、需要はいくらでもある仕事だったが、前回述べた通り4K(きつい、汚い、危険、+細かい)だということ、技術習得に相当な時間を要することなどが手伝って、開業当初は父の工場のような10tクラスの金型を扱える比較的大きな研磨専門業者は、日本国内でも数える程度しかないニッチ(すきま)産業だった。

取引先が悔しそうに唸った技術

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

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鏡のように仕上げる金型。赤いマルで囲んだ部分は傷のある箇所だが、肉眼ではまったくわからないほどのレベルだ

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

 こうして職人によって仕上げられた金型は、トラックで技術営業が納品しにいく。その際、取引先の担当者から、特殊なペンライトで傷が残っていないかをくまなく検査される。少しでも不具合が見つかれば、どんなに遠いところから寝ずに走って来ようが当然返品されるため、あの数十分の待ち時間は、技術営業にとっては、運転中よりも長く感じる時間だった。  そんな折、ある企業へいつものように納品に向かうと、担当作業員が荷台から降ろしたばかりの金型を見慣れない機械に通し始めた。聞けばそれは、誤差をミクロン単位で計測できる機械だという。今までのペンライトがかわいく感じるほどの細かいチェックに、これから返品が続発するんだろうと腹をくくって計測が終わるのを待っていたが、そのデータ結果を見た担当作業員は、幾分悔しそうな顔で「いいですよ」と言って、納品書に検品印を押してくれた。 「今後に役立てたい」と、そのデータを見せてもらったところ、当時工場で働いていたヤンチャな職人らは、手の感覚だけでしっかりとミクロン単位の仕事をしていた。長年の経験で培った彼らの技術に改めて感動させられたか、あの時取引先に言い放った「今後ともよろしくお願いいたします」のひと言は、今までで一番気持ちがよかった。

数十年間の技術の結実を、シャッター1つで奪い去るホワイトカラーたち

 そんな職人たちが持つ技術は、取引先にとっては喉から手が出るほど欲しいものである。自社製造できれば外注費が浮き、作業工程上も融通が利きやすくなる。それゆえ、父の工場には、取引先からよく人が来た。 「環境問題に取り組んでいるかの工場視察」なる名目で、彼らは環境の「か」の字すら発することなく、職人の技術に見入る。どんな技巧を用いているのか、どんな道具を使っているのか。一部の貪欲な取引先は、職人の機嫌を取りながら「これはどうやるんだ」と直接話しかけたり、露骨に自分の工場で働く現場作業員を大勢連れて来たりしたこともあった。  最もやっかいだったのが、孫請けにとって「技術」がいかに大切なものなのかを理解しきれていない一部のホワイトカラー(普段スーツで働く人たち)だった。  彼らは、職人が作業している傍でカメラを取り出し、30年かけて見出した技術を、シャッター1つでかっさらおうとする。さすがに耐えられず、「うちにも企業秘密があるので」とやんわり断ろうとするが、「何が悪い、自社の金型だぞ」と一蹴されれば相手が相手だけに、下手に言い返すこともできない。  ワイシャツの上にまとった皺ひとつない真っ青な作業服に黒いすすが付き、それを手でぱんぱんとはたく彼らの姿を見た時、言葉にできないむなしさが押し寄せてきたと同時に、零細工場に生きる人間なりのプライドが胸に芽生えた。

 

「高品質だが高い日本製、中高品質でも安い東南アジア製」

 そんな零細の存在を尻目に、製造業界大手やその下請け中小企業が、一斉に海外へ工場移転した時期がある。  深刻な円高が続いた1990年代から2000年代半ばのころだ。国内に残された零細は、海外に仕事を奪われ、次々に潰れていった。父の工場と同じように、その1社1社には、積み重ねてきた技術があったに違いない。それでも元請けを失った工場は、ただの機械置き場だ。毎月のように届く「工場閉鎖のご挨拶」なる手紙には、本当は書きたいことがもっとあったはずである。  かたや移転した大手の海外工場では、現地従業員の雇用、現地部品の調達などで製造にかかるコストを抑えるのに躍起になる一方、当然のことではあるが、各企業の「ウリ」であるノウハウや技術だけは、日本から持ち込むことになる。  必然的にそれらは現地従業員に伝達・習得されるわけだが、まさにその流動的な現地雇用を通じて、貴重な日本の技術は海外のライバル企業へと流出する。東南アジア諸国の製品が急激に日本製に劣らぬほど高品質化したのもこの頃だ。  現在、筆者の住むニューヨークで「メイドインジャパン」と言うと「高品質だが高い」と揶揄されるが、東南アジア諸国の製品は「中高品質でも安い」と評価され、実際、大企業などで大量購入される自動車や電化製品は、東南アジア諸国製のものばかりである。

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いまだ零細工場は、技術を生み出す金の山

 それでも、日本のモノづくりの技術が海外から高い評価を受けていることは、自他ともに認めるゆるぎない事実である。しかし、ふたを開けてみれば昨今、多くの日本企業関連工場が軒並み閉鎖している現状がある。シャープが築き上げた“世界の亀山ブランド”が崩壊した時、心の底から日本のモノづくりの将来を心配した。  そしてこのほど、日本の技術流出問題に追い打ちをかけるかのごとく、東芝が半導体分門を売却する方針を打ち出した。その売却に対し入札に名乗りを上げているのは、世界のトップ企業らである。東芝の半導体メモリには、日本の技術と努力の歴史が凝縮されているため、政府は国内企業に入札参加を促し、海外への流出を阻止しようとしているが、このような動きが鮮明になるほど、日本国内の焦りと海外企業の勢いをまざまざと見せつけられている気分になる。  父の会社には「大きい会社よりも小さい会社」という掛け軸がかかっていた。開業当初からあったその一文の意味は、ホコリと油にまみれた工場最後の日になっても、筆者には意味が分からなかったが、今こうして日本の技術力の尊さと向き合って、ようやく腑に落ちた気がする。  「小さい会社」は、技術を生み出す最高の場なのだ。現場第一主義で、行動までのスピードが早い。日本の技術力が低下している昨今、今こそフットワークの軽い中小・零細企業が活躍する時ではあるが、残念なことに、その多くは姿を消してしまっている。  目の前だけのリスク回避や利益追求によってなされた零細企業に対する過小評価や、技術流出に対する防御策の甘さは、今、日本の製造業界に暗い影を落としている。「日本ブランド」を謳いながらも、海外で作られる日本製品に一番納得していないのは消費者よりも、日本のモノづくりを支えてきた工場マンなのかもしれない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

日本だけではなかった。女性が“職人”に向いていない理由

2017.05.10

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家業の工場を手伝いながら、日本の技術の尊さ、工場職人やドライバーの日々の苦労を身近に感じてきた筆者。これまで二回に渡って工場職人の実情を述べてきたが、最後になぜ職人には女性が少ないのかを考えてみたい。  筆者の通っていた中学校は女子校だった。  周りにいる男性は、先生か守衛のおじいちゃんくらいで、休み時間になると、前日撮ったプリクラの交換や、音楽番組に出ていたアイドルグループの話で「かわいい」「かっこいい」が飛び交う世界だった。  それが何を血迷ったか、進学したのは共学1年目の元男子高校で、45人いたクラスメイトのうち、女子は筆者含めて2人のみ。ゆえに当初は面白いほど勉強がはかどらなかったが、卒業するころには見事に”オス化”し、女子校で培った「しとやかさ」は見る影もなくなった。  おかげで大学時代の親友も男性。毎日一緒にいる女友達も、竹を割ったような性格の子ばかりで、幼少から続けてきたテニスの試合では、小さいものならば無理言って男子でエントリーさせてもらうほど、強情で負けん気が強く、巷で言う“理想の女像”に逆行する全く可愛くない性格ができあがり、今に至る。  しかし、この流れと性格がなければ、おそらくあの工場の経営は困難だっただろう。  前回までに述べた通り、工場にいた職人34人は全員「オレの道」なるものをもつ堅物の男性だった。元々人の言うことをなかなか聞き入れてくれない彼らだったが、ましてや相手が女性となると、「女のあなたに何が分かるんですか」と、意思疎通の難しさはさらに増す。  さらに、赴いた取引先の工場に至っては、筆者よりも経験の浅い担当者に「女性には難しい話なので、男性の営業さんに来てもらってもいいですか」と言われることもあった。  そんな彼らとともに仕事をするには、体力以上に、誰に何を言われても動じない精神力と、女性でもできると証明する説得力が必要だったため、仕事上で性別を武器にしたことは今まで一度たりともない。筆者が大型免許を取り、現場で職人の作業をしたのは、人手が足りないからというよりもまず、彼らとの垣根を少しでも低くしたかったという思いからだった。

世界的に女性の職人が少ない理由

 繰り返しになるが、職人には男性が多い。これは日本に限ったことではないようで、筆者の周りにいる約15か国の外国人に聞いてみたところ、女性職人はやはり世界的にも圧倒的に数が少ない。  さらに業種も様々で、父の工場のような製造の世界だけではなく、寿司職人、パティシエ、左官、伝統工芸品などの職人も、その多くが男性である。女性が比較的得意とする料理の分野ならば、女性がもっといてもおかしくないと思うところ、どうしてこうも女性職人が少ないのか。  各分野の職人を調べて分かった、その最大の理由は、「今までずっと男社会だったから」という、身も蓋もない答えだったりするのだが、そこには

1.今から女性を受け入れようとしても、女性向けの道具や設備が整っていないため、入る隙がない

2.今その世界を支えているのがプライドの高い男性職人であるゆえ、女人禁制という固定観念から抜け出せない  といった、付随的要因が広がっている。  そもそも職人の仕事は、重労働であることが多い。立ちっぱなし、座りっぱなしで黙々と作業することの多い仕事だが、同じ作業を同じ体勢で続けるのは、想像以上にハードだ。筆者の利き手の左中指は、外を向くように曲がっている。全体重をこの指に乗せ、ペーパーやすりで1日中金型を磨いていた結果なのだが、男性より指が細いため、伝わる力も大きかったのだろう。30年磨いてきた父親の指よりも大きく、かつ早く曲がった。 ⇒【画像】はコチラ https://hbol.jp/?attachment_id=139243

曲がったままの左中指。当時はネイルもできず、常に油にまみれていた

 また、作業の工程でどうしても必要となる回転工具においては、一人前の男性職人であっても、気を抜けばその分、危険に身を晒すことになるところ、力の弱い女性が扱えばその大きな動力に負け、怪我をするリスクもより高くなる。  さらに職人という仕事は、業種に限らず一人前になるまでにかなりの時間が必要になってくる。負けん気の強い筆者にとって、これを認めるのは大変悔しいが、この長い期間に安定した時間と体調を保てるのは、やはり男性の方が圧倒的に有利なのだ。  妊娠・出産など、体に負担が掛けられないライフイベントの多い女性には、技術習得までに年単位かかる職人の仕事は、やはり「仕事と家庭のどちらかを取るか」という選択が避けられないのかもしれない。

女性特有の体調の周期も、職人仕事には不利

 それに加え、女性には月ベースで体調や精神のバランスも変わるため、仕事にムラが出やすいのも事実である。  前出の「料理の世界でも女性職人が少ない理由」の1つに、女性はホルモンバランスによって味覚が変わるため、安定した味を提供できないといった話も聞かれる。ゆえに、「男性料理人の作る安定的な味は、同じ店で同じものを食べていると飽きてくるが、奥さんや母親の作る手料理は飽きずに毎日食べられる」という、知り合いの料理人の立てる仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。  余談ではあるが、筆者の場合、この女性の周期的な体調の変化で一番大変だった仕事は、長距離を運転するトラックでの技術営業だった。  以前、トラックドライバーは、時間厳守が最も重要だと述べたが、延着(遅刻して到着すること)しないようにとトイレ休憩なしで走ってきても、到着した工場に男性職人しかいないと、女性トイレがないこともしばしば。工場を出て探しはするが、田舎だと駐車できる広いスペースがあってもトイレのあるコンビニがなく、都会だとコンビニがあってもトラックを止められるスペースがない、というジレンマに踊らされた。それゆえ、毎月やってくる生理に対しては、長距離運転の仕事があると予め分かっている時にはピルを飲んで周期をずらしたり、男性ドライバーよりも早めに出発したりと、様々な策を講じていた。  このように、女性が職人になることは、決して容易なことではない。  選んだ分野によって、諦めなければならないこと、覚悟を決めなければならないことも多いだろう。しかし、女性のもつ感性の高さや、きめ細かさ、芯の強さは、男性職人に全く劣ることのない強みであり、年々数を減らす彼らにとっては、女性が今後、大きな役割を担う時が来るのかもしれない。  今まで作り上げてきた歴史や伝統と同じくらい、世相に合わせ柔軟に変化することも必要とされる職人の仕事。彼らの技術が今後も世界を唸らし続けていくことを切に願う。<文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

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町工場」の娘(^^;;

ゴーン逮捕に元下請け工場経営者が激白 。「異常な値切りで皆潰れていった」

2018.11.23

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橋本愛喜

 

連日報じられている通り、今月19日、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏が、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。  今回明らかになった同氏の不正報酬は、2011年から2015年で約50憶円。その後、直近3年分でも30億円が過少記載されていたことが明らかになるなど、その全貌が見えるまでにはしばらく時間がかかるだろう。  事件を受け、帝国データバンクが20日、企業概要データベースの中から、日産自動車と国内主要連結子会社16社と直接取引がある取引先を調査・分析したところ、全国全業種合計で3,658社にのぼることが判明(個人経営、各種法人等含む)。  ゴーン氏逮捕の衝撃は今後、こうした多くの関連企業に、深刻な影響を与える恐れがある。  事件発覚以降、ゴーン氏に関する有識者の見解や分析が、連日各メディアから溢れ出る中、当時、日産や関連企業の下請け工場の2代目経営者として現場に立ち、結果的にその工場をこの手で閉じてしまった筆者にとっては、正直なところ、何を読んでも何を聞いても「虚無感」しか湧いてこない。  あの頃、関連企業から強要されていた異常なまでの値引きは、一体何だったのか。ゴーン氏にとって、我々下請けは、どんな存在だったのか。  彼に対するやり場のない怒りと、当時、過酷な状況にしがみ付いてくれていた従業員への申し訳ない思いが、今回の事件を通して今、再び込み上げてくるのである。

 

 2008年のリーマンショックや、2010年のギリシャ財政危機、2011年の東日本大震災などの影響により、日本は当時、異常なまでの円高の中にあった。  1ドル75円台。日本の経済を支える製造業界では、大手が一斉に人件費の安い海外へ工場を移転し始めていた。  これにより、それまで大手から受注していた多くの下請け企業が、存続の危機に晒されるようになっていった。  ようやくもらえた小さな仕事も、やればやるだけ赤字を出すほど安工賃。今後の仕事に繋げるために断ることすらできない「蟻地獄」のような日々を送る工場もあった。  筆者の父親が経営していた工場も、そんな下請けのうちの1社だった。  日本の各大手自動車メーカーや系列企業から金型を預かり、研磨して納品していたその工場は、職人が最大でも35人。大手のくしゃみでどこまでも飛んでいくような極小零細企業だった。  工場には、手持ち無沙汰な職人が「草むしり用」の軍手をして、新しい雑草が生えてくるのを待っている。忙しいのは営業だけだ。  無論、当時はゴーン氏の不正など知る由もなく、閑古鳥の鳴く日産系列の取引先工場にも足しげく通っては、「仕事をください」と何度も頭を下げ、相手の言い値で作業をする日々。  小さな工場内は、回転工具の機械音で会話もままならなかった最盛期からは想像もできないほど静かで、金型を砥石でこする「シャーシャー」という往復音だけが、やたらと大きく響いていた。  業界全体の仕事量が薄くなっていることは重々承知していたが、抵抗せねばどんどん安くなる工賃をなんとかやっていけるギリギリで維持させるべく、毎度のように担当者のもとへと出向く。突如告げられた「1時間300円分の工賃カット」を考え直してもらおうと1か月願い倒しても、聞き入れられなかったこともあった。

 

ゴーン氏就任後、受注価格は半値近くにまで落ちた

 こうした中、企業体力のない下請けは、順に潰れていった。当時、筆者の工場の元請けや、古くから付き合いのあった工場の一部からも、月末になると不渡りの噂や「廃業のお知らせ」と書かれた手紙が届くようになる。その中には、潰れるにはもったいない独自の技術や設備を持った工場も多くあった。  来月はどこだろうか。あの会社は大丈夫だろうか。ウチはいつだろう。当時の下請け工場には、異様な雰囲気が漂っていた。  筆者の工場では、先述の通り、国内の各自動車メーカーの系列企業と取引していたのだが、メーカーの工場はもちろん、その系列企業にも、母体の社風がそのまま反映されており、仕事の厳しさや金額などにはそれぞれの特徴があった。  当時の日産工場や同社系列工場の印象は、真面目で工場マンとしてのプライドをしっかり持った社員が多かったのと、仕事の指示内容が大変細かかったこと、そして、とにかく「安かった」ことだ。  同じ仕事を、ゴーン氏が日産の社長に就任する前と後とで比べると、半値近くにまで落ちたものも多い。  一方、下請けに冷たい態度を取る元請け社員も多い中、日産工場で働く社員たちは、皆紳士的だった。  筆者の工場では、同時期に4人の日産工場の社員と付き合いがあったが、当時の業界の体質に対して、誰一人感情的な意見を言う人はいなかった。が、そんな彼らでも、雑談でゴーン氏の話になると苦笑いになり、「人の話を聞く人じゃないですからね」、「無茶なコストカットも多いですよ」と愚痴をこぼしていたのを覚えている。  工場閉鎖1か月前、“先輩工場”と同じように「廃業のお知らせ」を得意先へ一斉に流した後、真っ先に連絡をくれたのは、工場最盛期から長年世話になっていた日産のある社員だった。 「長い間、お疲れ様でした」  FAXで送られてきた最後の発注書。いつもの「よろしくお願いします」の代わりに、昔から変わらない太字でひと言、そう書かれていた。  こうして工場閉鎖から数か月後、当時から物書きとして活動していた筆者は、皮肉にも東京モーターショーでゴーン氏本人を取材する機会に遭遇する。  目の前で「コスト削減」「V字回復」「世界のNISSAN」を、人差し指突き上げ声高に唱える彼に、今と同じような、言葉にし難い深い虚無感に襲われたことを思い出す。  自動車という乗り物は一般的に、約4,000種類、3万点もの部品からできている。その1つひとつは、製造ラインという運命共同「帯」に乗った、エンジニアや現場職人らの技術と努力が造り上げた結晶だ。  ゴーン氏が50億円以上もの不正を働いている最中、廃業や倒産に追い込まれた多くの関連企業や、大勢の解雇者の存在がある。あの頃、「帯」から消え落ちていった日本の技術力に、ゴーンは今何を思うのか。いや、せめて何か思ってくれるだろうか。  トップにいた自らの不祥事が今、3,658社の将来に暗い影を落としていることを、少しでも考えてくれているのだろうか。

 

 

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「上」の不正で閉ざされる末端の叫び。元町工場経営者が思う、日本のものづくり業界の衰退

日産の元下請け工場経営者として、ゴーン前会長の不正に対する思いを綴った前回。  製造業界と決別すべく、自らの手で工場を閉めたため、当時のことを思い出すのは「若干しんどい」、というのが正直なところではあったのだが、その工場閉鎖以降、改善するどころか、どんどん深刻化していく日本の製造業界の状況に対し、見解を求められる頻度が増え、これも自分の役割なのかもしれないなと思うに至り、現在長く書かせていただいている「トラックシリーズ」と併せて、こうして日本の製造業についても時折綴っていこうと思う。

3K」にもう一つ「K」があった町工場時代

 ゴーン氏の一連の騒動を受け、先日、久しぶりに昔の工場に足を運ぶ機会があった。  閉鎖して5年。その翌年に何かの用事で1度訪れて以来、4年ぶりの「出社」だった。  真向かいに巨大な物流倉庫が建った以外、周辺はそれほど大きく変わってはいなかったが、毎度トラックが出入りしていた工場のシャッターに目を向けると、茶色い錆(さび)が筋状にいくつも伸びているのが見え、胸が痛んだ。  工場の業務内容は、金型研磨。大手自動車メーカーや系列の工場、家電メーカーの製造工場などから、プラスチック製品を製造する際に使用する金型を預かり、それを鏡のようにビカビカに研磨する、まさに「腕一本」の職人業だった。  砥石や紙やすり、大きな回転工具などで仕上げていくと、金型は驚くほど滑らかに輝きはじめるのだが、その一方で、職人自身は鉄粉や油まみれとなり、みるみるうちに真っ黒と化す。いわゆる3K(「きつい」「汚い」「危険」)の労働環境だったのだが、当工場には、それに加えて「K」がもう1つ付いた。  とにかく「細かい」のだ。ミクロン単位のゆがみや、肉眼ではほとんど見えないような傷にも、NGを突き付けられることがザラにあるため、最終仕上げの際は、工場の掃き掃除どころか、職人の周りを歩きまわることさえ憚れる。 「どんな傷やゆがみも許さない」  こうした繊細な仕事を生業とし、ヤンチャな従業員ばかり35人を束ねていた当時の父は、この国のモノづくりの一端を担う「磨き職人」として強いプライドを持っており、それゆえ、工場構内はもちろん、トラックに付く錆や傷、汚れにも非常にうるさかった。 「箱や足が錆びとる磨き屋に仕事出そう思わんやろが」  5年分の錆び筋を数えると、当時の父の口癖が思い起こされる。と同時に、彼をこの4年ぶりの「出社」に同行させなくてよかったと、心から思った。

町工場経営者にのしかかるさまざまな問題

 父がこの仕事を始めて約30年。その途中、彼が病に倒れたことで、急遽2代目として工場に入社した筆者は、自分なりに約10年、この業界でジタバタもがき過ごした末、2013年の秋、自らの手で工場を閉めた。  閉鎖に至った原因は1つではない。ましてや、今回のゴーン氏の不正が直接的な原因になったわけでもない。  現在、世間で騒がれている「跡継ぎ問題」、「外国人労働者問題」、「下請けいじめ」に、今でいう「働き方」など、当時から本当にたくさんの問題があの工場や製造業界には蔓延っていたため、ゆっくり時間を掛けて、自分なりに「継続」と「閉鎖」それぞれの未来を何度もシミュレーションしてみたのだが、結局、こうした問題が山積する中、工場の体力も限界ギリギリの状態で、最盛期から半値にまでなった工賃に頭を抱えながら、目に見えて廃れていく日本の製造業界に今後も身を置き、最低10年はかかる職人育成をやっていく自分を、最後まで想像できなかったのだ。  こうして「製造」について書こうとするのには、恐らく根底に自分の手で父の工場を閉めた「負い目」があるのだと思う。が、その反面、正直なところ、度重なる日本の製造業界の不祥事に、あの頃の自分の判断は間違っていなかったなと思ってしまう部分も大きい。

 

不正や改ざん。製造業のプライドはどうした

 昨今の日本の製造業界から聞こえてくるのは、東芝、日産、三菱マテリアル、SUBARU、神戸鉄鋼など、業界トップの企業らによる「不正」や「改ざん」といった、プライドの有無どころか、その「倫理観」をも疑いたくなるようなニュースばかりである。  世界の誰もが知る日本のブランド企業が、次々に海外企業へ身売りされてゆく中、全世界に広がったタカタ製エアバッグのリコール問題をはじめ、イギリスでは日立製作所が製造した高速鉄道車両が初日に水漏れを起こし、台湾では日本車両製造の鉄道が事故起こすなど、「メイド・イン・ジャパン」の信頼を揺るがす事象が海外でも起き始め、アメリカの大手メディアからは『どうした日本企業』と大きくタイトルが打たれた記事が出される。  そんな中、大規模なコストカットで業績を回復させた大手企業の数字を並べて「日本のモノづくりは衰退してなどいない」と主張する一部エコノミストらの見解や、安い人件費を求めて移転した海外工場で「メイド・イン・ジャパン」を製造し、事故や不祥事があれば「海外工場で生産されたものだから」で処理する業界の生ぬるさは、技術もろとも製造業界から追いやられた多くの国内の元工場マンや元工場経営者らには、大変白けて映るのだ。

 

「上」の不正で町工場の技術と未来が閉ざされる

 日本のモノづくりの社会は「縦」の繋がりが強いため、他国のそれ以上に「製造ライン」が「運命共同“帯”」と化すことが多い。それゆえ、「上」の起こした不正や改ざんは、ブランド全体、はたまた日本の製造業界全体のイメージ低下や不信感の「連鎖」を起こし、「帯」末端で日本の真の技術力を支える町工場にも多大な影響を与える。つまり、大手企業のその場しのぎの対応では、日本の本当の技術力は廃れる一方なのだ。  日本の製造業界は、その存在感が薄まりつつあることに今一度、本気で危機感を持った方がいい。  この国の「モノづくり」を支える大きな技術は、今でも小さな工場の中にたくさん存在している。上が起こす一部の不正で、彼ら町工場の未来が閉ざされないことを、元技術屋として願わずにはいられない。

 

 

 

 

アメリカでも批判噴出。メイド・イン・ジャパンを誇れなくなる日は近い?

2018.01.18

 

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日本の製造業界に対する信頼が今、急速に揺らぎ始めている。  昨年末、日産自動車では無資格の従業員が車両の完成検査をしていたことが国交省の抜き打ち検査で発覚し、神戸製鋼所ではアルミ・銅製品などの強度に関するデータを改ざんしていたことが明らかになったというニュースは記憶に新しい。東芝が衰退した一因にも、過去の不正会計という不祥事が絡まる。 「メイド・イン・ジャパン」の代名詞にもなるような企業で相次いだ昨年の不祥事は、日本国内はもとより、海外の消費者や投資家に「日本ブランドの異変」を確信させてしてしまった。というのも、海外ではこうした日本の製造企業における経営管理体制を問題視する声が、今回よりも数年も前から強く上がっていたのだ。  そのきっかけになったのは、タカタのエアバッグだ。車両衝突時に作動したエアバッグから金属片が飛び散り、乗員を死傷させるというニュースは、世界中に大きな衝撃を与えた。  日本でも一連の流れは報じられてきたものの、その扱いは他国に比べると小さく、実際に筆者が日本の工場マンと話していても、この問題が世界にもたらした影響は、日本国内にいまいち伝わりきれていないという印象を受ける。  が、とりわけここ自動車大国アメリカでは、リコール対象を高温多湿地域に限定した当初のタカタの頑なな態度に批判が噴出。死者18人のうち、13人がアメリカ人だったことから、「本来、人命を助けるはずのものである安全装置が、逆に危険装置として乗員の前に常時取り付けられている」と、連日ニュースでも大きく取り上げられ、その度に「メイド・イン・ジャパン」という言葉が“経済”ではなく、“事故”に関連するワードとして多く聞かれるようになった。  タカタにも独自の見解や言い分があったとはいえ、安全装置を売っているはずの企業が、自ら「安全の線引き」をしてしまったのは、やはり対応としてはまずかったといえる。結局アメリカのリコール対象車は、同国史上最多の4,200万台におよび、タカタは今年6月、経営破綻した。  こうした流れからの、昨年の一連の不祥事。「Whats wrong with Japan Inc?(どうした日本企業)」といった、日本の製造に携わる人間にとっては、屈辱以外のなにものでもない見出しで、各企業の問題を紹介しているメディアもある。  とはいえ、タカタは本来、エアバッグの世界シェア2位の超優良企業だった。タカタだけではない。現在、不祥事や経営不振の渦中にあるその他の日本企業も、世界が認めた有名企業ばかりだ。  では、どうして日本の大手製造企業はここまで急激に弱体化していったのか。

その要因は、主に二つあると考える。

1:過去にすがる体質  最も大きな要因の1つは、「過去の栄光にすがる日本企業の体質」にある。  現在「メイド・イン・ジャパン」で連想される「高品質」というイメージは、過去に生み出された技術による功績であるところが大きい。  それがこの10年、団塊世代の退職や、リーマンショックによる景気低迷、働き方や安全性に対する世相の変化などで、ヒト、企業、経済の構図が激変し、企業はその度に対応を迫られてきた。  しかし、古い体制にある日本企業は、「先送り」や「検討」、「茶濁し」でその場を凌いできたため、結果的に世間の抱く「ブランドイメージ」がひとり歩きし、「現場の現実」とのギャップが生じてしまったのだ。日本企業はもはや「企業ブランド」に依存できない状況にある。  だからといって、こうした日本の製造企業が、大胆な新規事業開発に積極的なのかといえば、そうでもない。 「我々には古くから守ってきた従来品がある」、「リスクを追ってまで行動する必要なし」と、先々を計算して腕組みし、なかなか動こうとしない。  が、そんな企業を尻目に、世間のニーズは目まぐるしく変わり続け、近年は「完璧な従来品」よりも、「若干の改善の余地ありでも新しいもの」がもてはやされるようになってきた。  ちなみに敢えて加筆するが、その世間のニーズには、“改善の余地のある従来品”という選択肢は、無論皆無である。  一方、こういった世間のニーズに敏感に反応した諸外国は、ベンチャー企業への最大限のサポートを約束することで世界中から多くの技術を呼び寄せ、官民一体となって成長し続けている。その国の筆頭が、中国だ。今や中国は、「作る国」から「作らせる国」に移行しつつある。フォームの始まり

 

機密情報の扱い方が甘いのも問題

2:情報管理体制  日本の大手製造企業が弱体化したもう1つの要因は、過去の工場シリーズでも度々言及している「情報の扱い方」にある。  2014年度に製造業界で発生した情報漏えい事件の被害総額は、分かっているだけでも1,000億円以上に及ぶ。  中でも最も避けたい海外への流出においては、目先ばかりを見た結果、工場を人件費の安い海外へ移転させ、現地採用の従業員に長年培ってきた企業の技術やノウハウを指導したことで、それら「社宝」をその国全体に拡散させてしまったケースが少なくない。  こうしてカネと技術を得た“やる気満々の諸外国”が、その後どう動くかは、火を見るよりも明らかである。前出の「ベンチャーに協力的な国」が、「かつて日本が工場を移転させた国」と面白いほどに一致することは、察するに難くないところだ。  その一方、「上から下」への情報共有においては、業務に支障が出るほど厳しく、下請けはたとえその指示の目的やゴールが分からなくとも、元請けに従うしかない。  とりわけ、3万点のパーツによって1つの商品を産み出す自動車製造現場は、見事なまでのトップダウン型だが、こうした体制は、日本の技術力やブランド力を構築しやすい反面、130万人もの自動車製造従事者が1つのピラミッドに収まる現場では、「情報が下りてこない」「上に物申せない」が常態化し、結果、昨年のような「上の不祥事」を引き起こす環境に陥りやすいのだ。  筆者が訪問するアメリカ国内の各オフィスには、韓国製やアメリカ製のパソコンばかりが並べられ、家電量販店のテレビ売り場でも、韓国製、台湾製が広くスペースを占領する。  マンハッタンのまっすぐ伸びた道路を走るクルマには、日本ではあまり見ないようなメーカーのものも多い。  日本にいると、「メイド・イン・ジャパン」を選ぶことに特別大きな理由は考えないが、海外では、こうした「消費者に与えられた選択肢の幅広さ」や「日本びいきのない競争社会」、そして、その中で消費者がどうして「メイド・イン・ジャパン」を選んだのかを深く考えさせられる。 「Whats wrong with Japan Inc?」という言葉は、海外が日本企業に張った「別れに向けた最初の伏線」のように響く。「日本のモノづくりはまだ大丈夫だ」と国内で傷をなめ合う余裕は、もはやないと思った方がいい。  過去の栄光からの脱却と、未来を見据えた挑戦。「改善待ったなし」の状況で、引き続き「先延ばし」や「腕組み」で対応すれば、近い将来、メイド・イン・ジャパンは誇れなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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August 31, 2019

コバルト製錬に

コバルト製錬に
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12131?page=2
EVブームは資源価格の高騰の結果、数年後には冷や水を浴びせられるだろう。資源面から合理的に考えると電気自動車ブームの持続的な発展は困難であると考えざるを得ない。
 コバルト製錬についても同様で、エネルギー多消費型産業を経由してわざわざリチウムイオン電池を生産するぐらいなら、ガソリンを自動車の動力に直接使用したほうがトータルのエネルギーコストは安上がりである。ソーラーエネルギーや風力エネルギーも同様である。再生可能エネルギーを利用するために金属精錬をするのは、むしろ地球規模で考えると無駄だし、第一環境に与えるマイナスは計り知れないのではないだろうか。
 機械仕掛けの自動車を走らせるにはガソリンを直接使えばよいのだが、電気仕掛けの自動車(EV)を走らせるべく、石油エネルギーをわざわざ電気に変え、リチウムやコバルトを精錬し、さらにLIBを作って、手間暇をかけてEVを走らせるのである。電気充電の設備も必要だし気の遠くなるようなインフラ整備にもエネルギーは使われる。
 その上、地球に遍在するリチウムやコバルトをわざわざアフリカの奥地や南米のアンデスの高地で開発するなどとどんな切り口で考えても正気の沙汰ではない。

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August 16, 2019

『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』

日本がふたたび一流先進国に返り咲くための勝算
『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』
https://diamond.jp/articles/-/198392

デービッド・アトキンソン
 1965年イギリス生まれ。日本在住30年。オックスフォード大学「日本学」専攻。裏千家茶名「宗真」拝受。
 小西美術工藝社社長。1992年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。2006年に共同出資者となるが、マネーゲームを達観するに至り2007年に退社。2009年創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社に入社、2011年同会長兼社長に就任。2017年から日本政府観光局特別顧問を務める。
 『デービッド・アトキンソン 新・観光立国論』(山本七平賞、不動産協会賞受賞)『新・所得倍増論』『新・生産性立国論』(いずれも東洋経済新報社)など著書多数。2016年に『財界』「経営者賞」、2017年に「日英協会賞」受賞。


レビュー

『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』 デービッド・アトキンソン著 東洋経済新報社刊 1620円

 在日30年、伝説のアナリストとも呼ばれたデービッド・アトキンソン氏による話題の一冊だ。人口減少・高齢化というパラダイムシフトが起きるなか、このままだと日本は三流先進国どころか途上国にまで転落するかもしれない――アトキンソン氏はそう警笛を鳴らす。だが一方で、日本がふたたび一流先進国に返り咲くための勝算もあるという。
 本書『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』では118人の外国人エコノミストの分析をもとに、人口減少・高齢化がもたらす難局を乗り切るための方法が考察され、日本経済が再生するための具体案が提示される。

日本では今後、人口減少と高齢化によるデフレ圧力が深刻化するため、デフレスパイラルに陥る可能性が高い。

そうした状況下で生き延びるには、生産性を高めて「高付加価値・高所得経済」の国へと転換しなければならないというアトキンソン氏の主張は理にかなっている。


 本書が提言している生産性を向上させる具体的な施策は次の4つにまとめられる。

(1)供給過剰を調整するための輸出振興、

(2)企業規模拡大のためのM&A促進、

(3)最低賃金引き上げ、

(4)本格的な人材育成トレーニングの確立。

本要約ではこのうち、アトキンソン氏がもっとも重視していると思われる最低賃金引き上げの項を主として取り上げた。


 すべての日本人におすすめできる一冊だが、とくに政府関係者や経営者に読んでほしいと強く願う。読み終える頃には、これまで見えていなかった日本の可能性が見えてくるだろう。(木下隆志)


本書の要点
(1)高齢化と人口激減により、今後デフレ圧力が深刻化していくのは疑いない。
(2)デフレ圧力が深刻化する状況下で生き延びるには、生産性を高めるとともに、「高付加価値・高所得経済」への転換が不可欠である。
(3)日本の生産性は世界第28位と低迷しているが、人材評価では世界で第4位だ。そのため生産性の伸び代は大きい。
(4)日本において生産性向上が期待できる経済政策は、最低賃金引き上げである。高齢化と人口激減という難局を乗り切るには、政府による継続的な最低賃金引き上げが必須だ。


要約本文
◆人口減少×高齢化によるデフレ
◇デフレ圧力の深刻化
 日本経済はバブル崩壊後の金融危機を経てデフレに突入して以降、いまだにデフレを脱出できていない。
 政府は「デフレ脱却」に向けてインフレターゲットを設定し、それを達成するまで大胆な金融緩和を講じる経済政策(アベノミクス)を実施した。たしかにこの政策により円高が是正され、株価が大幅に上昇するなど、日本経済は快方に向かっているように見える。
 しかしこれは一時的に成果が出ているだけだ。なぜなら2020年以降、人口減少によるデフレ圧力がますます深刻化するからである。

◇デフレ圧力の要因(需要サイド)
なぜデフレ圧力が深刻化するのか。需要サイドでは2つの要因が挙げられる。高齢化と人口激減だ。

世界を見渡してみると、高齢化社会を迎える国は多々ある。しかし欧米では少子高齢化は進んでいても、人口減少は日本ほど深刻ではない。ところが日本は、高齢化よりもさらに重要な「人口急減少」という問題も同時に抱えている。つまり日本は「少子高齢化と人口減少問題を同時に考えなくてはいけない唯一の先進国」なのだ。
 人口減少はそれだけでも大きなデフレ要因である。そして少子高齢化は、人口減少によるデフレに拍車をかけ、デフレをさらに深刻化させてしまう。

◇デフレ圧力の要因(供給サイド)
 人口減少によって市場が縮小すると、いまあるすべての企業が生き残ることは不可能だ。たとえば消費者の減少によって、10社の企業を支えてきた需要が8社しか支えられない規模に縮小したとしよう。するとどの会社も、生き残る8社に入るように努力する。生き残りをかけた企業間の競争が激化するのである。
 この生存競争でもっとも安易な戦略は、価格を下げて他の企業の体力を奪い、倒産に追い込むことだ。最後まで残った企業は競合先がいなくなるので、最終的に大きな利益を得ることができる。これを「Last man standing利益」と呼ぶ。この行動は強烈なデフレ要因となる。
 この戦略を実行する企業は、最初に利益を削ろうとする。しかし利益が乏しくなると、労働者にしわ寄せがくる。経営者が人件費を圧縮しようとするからだ。これは非正規の増加、ボーナスの削減、サービス残業の増加など、ここ何十年にもわたって日本で行なわれてきたことそのものである。すると企業利益のうち、労働者の取り分を表す労働配分比率が低下する。英国銀行の分析によると、労働配分比率の低下は大きなデフレ要因だ。
 ただし資本主義下におけるLast man standing戦略は、経営側にとっては合理的な選択ということも強調しておかなければならない。

◇人口減少下では量的金融緩和策に効果はない
 金利を下げて量的緩和をしていけば、需給のギャップを埋めてインフレにもっていけるため、「金融政策でインフレ誘導は可能」だと主張する人もいる。この主張は簡単にいえば、「通貨の量を増やせば物価が上がる。物価が上がればすべての問題は解決できる」ということだ。

 しかしこの主張は、需要者の数が一定という想定にもとづいている。アトキンソン氏の考えでは、日銀の2%インフレ目標が実現されない最大の理由はここにある。人口減少問題を抱えている国で供給調整を行なわない場合、通貨の量を増やすだけでは、人口が引き続き増加している国々と同じ2%のインフレを実現することは到底できない。
 現在の金融政策は個人消費の刺激にはつながらず、金融市場で株高などをもたらすだけだといわれている。人口減少と高齢化によって需要が構造的に減少するなか、日銀は銀行に流動性を供給しているが、民間に需要がないため、その流動性が市中に流れていないのだ。
 そのため個人消費を増加させるには、他の経済政策を打ち出す必要がある。それが「賃上げ」だ。通貨量を増やしながら、賃上げを継続していく。そうすれば総需要は縮小せず、モノとサービスの均衡が回復して、インフレを実現することが可能になる。このパラダイムシフトを起こせば、デフレ圧力を吸収し、日本経済を活性化させることができるはずだ。

◆「高付加価値・高所得経済」への転換
◇生産性向上のための意識改革
 デフレ圧力が深刻化する状況下で日本が生き延びるには、賃上げをして生産性を高めることが不可欠だ。日本の生産性は、世界で第28位と低迷している。しかし人材評価では世界で第4位と健闘しており、生産性という点では大いに「伸び代」がある。この課題を乗り越えたならば、日本にも勝算がある。
 生産性を向上させるにはさまざまな工夫が必要だが、もっとも大切なことは「生産性向上のための意識改革」だ。じつは経済成長率を維持するうえで、日本にかぎらず世界中の先進国が、生産性向上に依存する傾向にある。
 マッキンゼーが行なった分析によると、これまでの50年間における世界経済の成長率は3.6%であった。しかしこれからの50年間は、経済成長率が2.1%まで減少すると予測されている。これまでの50年の成長要因を「人口増加」と「生産性向上」に分けて考えるとそれぞれ1.8%ずつであったが、今後50年間で人口増加要因は0.3%まで低下すると見込まれている。つまり生産性向上要因がますます重要になってくるのだ。

 多くの先進国の場合、生産性が向上しなくとも、一定の経済成長を見込むことができる。単純に人口が増えるからである。しかし日本の場合、人口増加要因がマイナスのため、まずそのマイナス分を生産性向上でカバーしなければならない。つまりよほど生産性を向上させないと、経済が成長しない構造になっているといえる。

◇高生産性・高所得資本主義へ転換せよ
 現在の日本の経営戦略は、「低付加価値・低所得資本主義」に当てはまる。その根本的な哲学は「価格の競争」だ。コストを下げて市場を拡大すること、つまり「いいものをより安く」という考え方である。
 この経営戦略の反対の戦略が「高付加価値・高所得資本主義」である。その根本的な哲学は「価値の競争」だ。市場を細分化して、セグメントごとにカスタマイズされた商品やサービスで競争する。簡単にいえば「よりいいものをより高く」である。

 日本はすでに先進国のなかで二流と評価されている。日本の労働生産性はギリシャより3%高いだけで、イタリアやスペインより低い。労働生産性で見れば、すでに三流である。「失業率が低い」というポイントが、ギリシャやイタリア、スペインより上というだけだ。

 日本政府が企業に対し、賃上げ戦略への転換を求める理由もここにある。しかし目先のことだけを考えると、企業には賃上げ戦略に転換するインセンティブはない。市場原理だけでは、日本経済は路頭に迷ってしまう。そうならないように政府は政策を高生産性・高所得資本主義に転換し、企業を賢く主導する必要がある。

【必読ポイント!】
◆最低賃金引き上げで生産性を高める
◇生産性向上に期待される経済政策

 人口増加のような経済成長要因と違い、生産性は自動的に向上するものではない。生産性は誰かが意図しないと向上しない。つまり人口の増加という「自然に成長する経済モデル」から、「人為的に伸ばす経済モデル」への転換が求められている。
 人口増加率の低下に伴い、欧州を中心に先進国は生産性向上のための政策を探求している。そこでいま生産性向上につながる経済政策と考えられているのが、継続的な最低賃金の引き上げだ。なぜなら最低賃金と生産性のあいだには、強い相関関係が認められているからである。


 最低賃金を引き上げている国には、ある共通点がある。それは今後大きな人口増加が期待できないことだ。そうした国々は人口増加による経済成長が見込めないため、生産性向上に対する関心は強い。

 最低賃金が注目されている理由はもう1つある。それは経済への影響度合いと普及率だ。 最低賃金は非上場企業を含めて、すべての企業に影響を与える。そのため政策として使うのに都合がいい。最低賃金を上げれば、企業は労働者にそれまでより高い賃金を払うことになる。すると当然ながら人件費が上がるため、企業は高くなった人件費を何らかの形で穴埋めしようとする。これが生産性を高めるための動機となることを、国は狙っているのだ。

◇「人口減少×高齢化」時代を生き抜く
 日本の人口は今後も減少していく。人口減少の分をカバーし、経済を縮小させないためには、生産性を毎年1.29%向上させる必要がある。ただここ50年間における生産性向上率の世界平均は毎年1.8%であるため、日本でも実現可能な水準と考えられる。
 一方で日本が毎年1%の経済成長を実現するには、生産性を毎年2.31%向上させなければならない。これは非常に高い数値で、一見すると実現不可能なように思われる。しかしこれまでの日本の生産性があまりにも低すぎたことを考えれば、これも実現不可能ではないとアトキンソン氏は考えている。アメリカの生産性は2000年~2007年のあいだで、2.6%成長した。これまで低迷していた生産性の分を取り戻していく、つまりキャッチアップするだけだと解釈すれば、かなり現実性のある数字といえるのではないか。

◇生産性ショックの必要性
 人口減少の悪影響をなくすための生産性向上は、国際的に見ると不可能ではない水準だが、日本にとってはかなり大きな挑戦でもある。なぜならば1990年~2015年において、日本の生産性は年平均で0.77%しか向上していないからだ。
 日本が生産性向上を目指すうえで課題となるのが、40代人口の減少である。2015年あたりまでは40代の人口は増えていたが、それがいまや減少に転じている。世界的に見ても40代はもっとも生産性が高い世代で、その世代の人口が増えると生産性が上がりやすい。ところが日本ではこの世代が減っていくので、なんらかの対策を打たないと、次第に生産性向上に対するマイナス圧力がかかってしまう。

 このような状況を打破していくには、現行の日本的経営・日本型資本主義の哲学を大きく変える必要がある。しかしすべての企業がいっせいに賃上げの必要性に気づき、賃上げに動き出すことはありえない。よって賃上げの実現のためには、政府による継続的な最低賃金引き上げが不可欠なのだ。

 

 

 

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July 28, 2019

MMT

経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず
MMTは財政規律の「破棄」でなく「改善」を主張している
2019.5.21(火)
藤井 聡
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429

今、MMT(現代貨幣理論)が話題だ。今アメリカで「ブーム」を巻き起こしている民主党の史上最年少議員アレクサンドリア・オカシオコルテス女史が、MMTを強烈に支持しつつ超大型の景気対策を主張したことがそのきっかけだ。
 しかし、ポール・クルーグマンやロバート・シラーなど、ノーベル賞を受賞した主流派経済学者たちがこのMMTに一斉に反発。それだけでも話題だったのだが、それに対して今度はステファニー・ケルトン教授を中心としたMMT論者達が、ひるむことなく徹底的に反発したことでMMTの話題はさらに拡大した。

 

日米で話題騒然となったMMT


 こうした流れは、瞬く間に日本にも上陸した。
 とりわけ、MMTは、デフレ状況下では、デフレが終わるまでは財政赤字を拡大していくべきだと理論的に主張するものであるから、今年10月に予定されている消費増税の是非の議論を巡って、MMTはさらに話題となっている。MMTによれば、デフレ下の消費増税など論外だと瞬く間に結論付けられるからだ。

 そんな中、西田昌司参議院議員等が麻生財務大臣や安倍総理大臣にMMTについて質問を行うなど、その議論は国会にも飛び火した。一方で、消費税の推進を図る財務省は、審議会の中で、MMTを批判する海外の多数の経済学者達の声を何ページにもわたって掲載する等の強烈な反応を示したことで、さらにMMTが話題となっていった。

MMTとは何か?


 こうしたMMTが話題になっていく中で、日本のメディアは、MMTを「異端」や「トンデモ」理論と紹介していった。例えば、2019年4月26日付けの朝日新聞では、「財政赤字なんか膨らんでもへっちゃらで、中央銀行に紙幣を刷らせれば財源はいくらでもある、というかなりの『トンデモ理論』」などと、ほぼ誹謗や中傷とも言い得るようなトーンで紹介しているのが、その典型だ。
 こうした批判は、学者もメディアもおおよそ、「MMTは、財政規律を破棄せよと主張しているが、そんなことすると、トンデモないことになる。財政には規律が必要なのは当たり前じゃないか!」というようなものが大半だ。 しかし、この認識は、根本的に間違えた、完全なる誤解だ。
 そもそもMMTは決して、財政規律を「破棄せよ」と叫んでいるのではない。MMTはむしろ、財政規律を「改善せよ」と主張しているに過ぎない。


 今日の日本の財政は、「プライマリーバランス(基礎的な財政の収支)を黒字化しよう」という規律に基づいて運営されているが、実を言うと、この厳しすぎる規律のせいで、日本経済はいつまでもデフレなのであり、貧困と格差が広がり、経済が疲弊し続けているのが実態だ。それはまるで、過剰に厳しすぎる教育の下では子供たちの心身が歪んでしまう、と言ったような類の話だ。実際、安倍総理大臣も、「予算を半額(にすれば)・・・プライマリーバランスは黒字化する・・・しかし経済は最悪になる」(平成29年3月1日参議院予算委員会)と端的に発言している通りだ。だから、そんな規律は不条理なのであり、別の基準に改善すべきだ――とMMTは考えるのである。


 そしてMMTが新しい財政規律の基準として主張しているのが、「インフレ率」だ。 そもそも、政府支出、あるいは、政府の赤字の多寡は、インフレ率に影響する。政府支出、ないしは赤字が拡大すれば大量の資金が民間に注入され、インフレ率が上昇する。そして、その逆もまた然りであり、それは先に紹介した安倍総理の答弁が示唆している通りだ。
 こうした点から、筆者は、MMTを政策論的な観点から、次のように定義している。


【MMTの政策的定義】


 国債発行に基づく政府支出がインフレ率に影響するという事実を踏まえつつ、『税収』ではなく『インフレ率』に基づいて財政支出を調整すべきだという新たな財政規律を主張する経済理論。


MMTの具体的な中身

 もう少し、詳しく言うなら、MMTとは、具体的には以下の3つを主張するものと捉えることができる。その最初の主張はこういうものだ。
(MMTの主張1)
 政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられないのだから、借金したくないという思いに囚われて、政府支出を抑制するのはナンセンスである。だから政府の支出は、借金をどの程度以下に抑えるかということを“基準”にしてはならない。何か別の、国民の幸福に資する“基準”が必要である。
 MMTがしばしば激しく批判されるのは、この主張の一行目の「政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられない」という部分なのだが、実はこれは、専門家の間では、誰もが認識している当たり前の見解なのだ。例えば、財務省も、自身の公式ホームページで、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と言明している。
 これは、政府が破綻しそうになれば、中央銀行である日銀が必ず「最後の貸し手」として、カネを貸してくれるためだ。だから政府は日本円建てで借金をしている限り、「破綻」することは考えられないのだ。こうした自明の事実を踏まえれば、破綻に怯えて、借金を減らす事ばかり過剰に考えるのはナンセンスだ、とMMTは考えるのである。
 では、赤字を減らすという財政基準でなく、「何か別の、国民の幸福に資する財政規律」として何が必要かなのかを実際の経済の仕組みを踏まえて考えれば、自ずと以下の“下限基準”と“上限基準”が必要であるという現実が見えてくる。

(MMTの主張2)
 経済が停滞しており成長が必要とされている場合、政府は財政赤字を拡大することを通して、その目的を達成することができる。逆に言うなら、政府支出(あるいは財政赤字)の“下限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)経済が停滞してしまう程度の政府支出量である。

(MMTの主張3)
 政府支出(あるいは財政赤字)を、その国の供給量を超えて拡大し続ければ、過剰なインフレになる。したがって、政府支出(あるいは財政赤字)の“上限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)過剰インフレになってしまう程度のの政府支出量である。(MMTの主張3)
 ちなみに、具体的な政府支出の下限と上限の基準としては、これまでのインフレ率の実績を踏まえると、「下限」については、おおよそ(コアコアCPIという尺度で)2%程度を想定することができよう。実際、現在のアベノミクスにおいても日銀がこの水準を目標としている。さすがにこれを下回る状況は、不健全だと考えるわけだ。一方で、インフレ率が4%、ないしはさらに安全を見て3%を上回るような状況は、これもまた不健全だと言うことができる。日本では80年代以前は高いインフレに苦しめられたのだが、その水準がちょうど、3~4%以上だったからだ。

 つまりこの点に着目し、「インフレ率3~4%を超える程の過度なインフレになってしまう程に過剰な政府支出=赤字」を上限、「インフレ率2%を下回る程の過度なデフレや停滞になってしまう程に少なすぎる政府支出=赤字」を下限とする、という「新たな財政規律」を提案しているのがMMTなのである。
MMTなのである。

 ただし、インフレ率には、日銀の金融政策も大きな影響を及ぼすことは間違いない。だから、この財政規律に基づく運用においては、可能な限り適切な金融政策が並行して実施されていることが必要な点は、忘れてはならない。


 いずれにせよ、MMTは、一部の日本のマスコミや評論家連中が言うような「トンデモ理論」とは決して言えないものなのだ。それよりもむしろ、これまでの財政規律の不条理性を指摘した上で、それをより適切なものへと財政規律を「改善」することを主張する、至って理性的なものなのである。

 兎にも角にも、日本人はインフレになることを恐れすぎた余り、デフレを放置しすぎてしまったようだ。これではまるで、栄養失調で死にかけている時に、肥満だった過去の記憶に過剰に怯えて食事を口に出来なくなってしまっているようなものだ。そんな時には、少しくらいは食事を口にしないと、体が持たない。この程度の話は「常識」に過ぎない話である筈だ。

 MMTは、そんな「常識」を呼び覚まし、今日、我々が陥っている状況それ自身の「非常識さ」を教えてくれている。これまでのモノの見方に過剰にこだわり続ける人々からは「トンデモ」であり「異端」に見えるのかも知れないが、その中身をよくよく精査してみれば、至って穏健な理論なのである。

 

信用貨幣論に基づく信用創造の理解
https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/knowledge/opinion/er/2019/2019-7-1.html

筆者の見るところ、MMTは①信用貨幣論(credit theory of money)に基づく信用創造の理解、②ラーナー流の機能的財政論(functional finance)による財政の理解、③表券主義(chartalism)に基づく現金通貨の理解、という3本の柱からなるものと考えられる。以下では、これらを順に説明しながら、必要な批判を加えていくこととしよう。

信用貨幣論は、さらに遡れば19世紀英国における通貨主義(currency school)vs 銀行主義(banking school)の対立のうち、銀行主義の流れを汲むものだが、最大の特徴は信用創造をどう理解するかに求められる。普通は、預金を元手に銀行が貸出を行うことから信用創造がスタートすると考えられている。しかし、MMT=信用貨幣論では「銀行が貸出を実行すると、直ちに同額の預金が生まれる」と考える。一般の人には不思議に思われるかも知れないが、これは金融界に属する人間には常識だと思う。実際、貸出を行うということは(貸出に関する契約書等を別にすれば)、「貸出先の預金口座に貸出額に等しい預金を書き込む」ことに他ならないからだ。貸出の原資としての預金を事前に必要とはしない。原資が必要になるのは、貸出先の企業が支出をすると預金が自行から他行に流出するからであり、その場合の不足資金は預金でなく市場(日本ではコール市場、米国ではFF市場など)で調達してもよい。中野氏の書物によれば、こうした信用貨幣論は近年のイングランド銀行の四季報でも紹介されているとのことだが、筆者にしてみれば40年以上前に日銀に入行した時、最初に習ったことの一つである(注3)。

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June 21, 2019

消費税 増税?

中国経済、想定超える急減速=「リーマン級も」-身構える日本企業
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019011801116&g=eco&utm_source=yahoo&utm_medium=referral&utm_campaign=link_back_edit_vb


黒田総裁、必要なら「緩和検討」=日銀、景気回復シナリオは維持
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190620-00000120-jij-bus_all


ホントに 消費税上げるの?

 

 

拾いモノですが

昔、円が90円前後で推移していた頃、輸出企業は90円で採算を取る為に非正規を増やし、工場を海外に移転し、利益確保に右往左往していた。
その後円安に振れた時代に何故、正規雇用を増やし、国内生産に転換しなかったのか?
円安で利益が出ている間に内部留保を増やし、非正規雇用で人件費を調整し続けた結果が今の内需の冷え込みに繋がっているのだと思う。
確かに資本主義により努力した分だけ報われて、豊かになる権利があると思います。
ただし「豊かな者が寄付をするという文化」が無いに等しい日本では、せめて「企業は社会の公器」という気持ちで還元して欲しいと思います。
貧富の差がこれだけ広がれば、せめて生活必需品の値上ラッシュが止まる様に、円高に振れて欲しいと密かに期待してしまう自分がいます。
企業の永続性が従業員の犠牲の上で成り立っているのであれば、その企業は淘汰されるべきなのではないのでしょうか。


今回の日本は消費税増のバカ政策を実施するので、高い確率で円高と読むのが妥当。実際、下値を切り下げている。2016年に消費税増税は、99円まで円高が進んだ。これは消費税増税をする前提であったからです。伊勢志摩サミットで止めるとなってから円安波動に入っています。今回、消費税増税を決定してきた場合、99円近くまでの下げを想定するのがセオリーだと私は考える。

それにしても、日本の政治力は弱い。
何か起きてから対応をする・・では国力が落ちるだけ!
落ちる前に対応をするのが政府の仕事ではないのか?!


「先進国通貨の為替レートは長期的に見ればマネタリーベース比に沿う形で動く」という、いわゆる「ソロスチャート仮説」について、むかし相関係数を調べてみたことがあります。失業と自殺者数だとか、株価と失業だとか、マクロ経済学ではいまや常識となってるものほど高い係数が示されたわけではありませんでしたが、それでも、ある程度はどうやら相関性があるらしいことがわかりました。

ただ、単純にその比率だけをみてFXをやるのは危険だと思います。日本円とスイスフランの場合、世界経済が不安定になった時の逃避先としての要素が強いためなのか、マネタリーベース比の動きでは新材料が出てこなくても世界経済不安が強まったかあるいは後退したかによって変動する側面もあるからです。

ましてや、日本のようにせっかく金融緩和したのに増税法案を止めなかった過ちのせいで再び不況に戻ろうとしたりだとか、財政政策の側面も見るべきでしょうし。

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June 14, 2019

スーダラ節?

「無責任すぎる」

夫65歳以上、妻60歳以上の無職の世帯の場合。収入は年金の約20万円に対し、平均的な支出は約26万円。これは年金だけで暮らしていくと毎月約5万5000円不足することになる。
これが1年を見ると66万円の赤字。それを30年続けた場合、単純計算すると約2000万円になる。
こういったライフスタイルに入る時点で2000万円必要というのが金融庁の報告だ。

2065年で女性の平均寿命推測で91.35歳。男性は84.95歳


「老後資金2000万円不足」問題…政治家が何を言おうが明らかなのは“不都合な真実”...
「年金100年安心は嘘だった」
「人生100年時代」
「30年で2,000万円足りない」という、数字としてはっきり出てしまった。

 

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June 08, 2019

天安門事件から30年

天安門事件から30年

中国の民主化運動の象徴的存在で、2017年に死去した人権活動家の劉暁波氏が2009年に書き、2010年のノーベル平和賞の授賞式で読み上げられた文章の一節を記します。

私には敵はいないし、恨みもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、皆、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。恨みは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻む。

私は望んでいる。私の国が表現の自由のある場所となり、異なる価値観や信仰、政治的な考え方が共存できるようになることを。私は望んでいる。私が、中国で、文章を理由に刑務所に入る最後の被害者となることを、そして、今後、言論を理由に罪とされる人がいなくなることを。

 

当時の指導者には 文革の時の恐怖があった


大国ですが、まとまりの無い国


中国が幾つかの国に分かれ
共産党が潰れる
永遠にまとまらない
自分勝手な国に なる?

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«日本で働きたい優秀な外国人が結局、来日しない理由