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July 28, 2019

MMT

経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず
MMTは財政規律の「破棄」でなく「改善」を主張している
2019.5.21(火)
藤井 聡
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429

今、MMT(現代貨幣理論)が話題だ。今アメリカで「ブーム」を巻き起こしている民主党の史上最年少議員アレクサンドリア・オカシオコルテス女史が、MMTを強烈に支持しつつ超大型の景気対策を主張したことがそのきっかけだ。
 しかし、ポール・クルーグマンやロバート・シラーなど、ノーベル賞を受賞した主流派経済学者たちがこのMMTに一斉に反発。それだけでも話題だったのだが、それに対して今度はステファニー・ケルトン教授を中心としたMMT論者達が、ひるむことなく徹底的に反発したことでMMTの話題はさらに拡大した。

 

日米で話題騒然となったMMT


 こうした流れは、瞬く間に日本にも上陸した。
 とりわけ、MMTは、デフレ状況下では、デフレが終わるまでは財政赤字を拡大していくべきだと理論的に主張するものであるから、今年10月に予定されている消費増税の是非の議論を巡って、MMTはさらに話題となっている。MMTによれば、デフレ下の消費増税など論外だと瞬く間に結論付けられるからだ。

 そんな中、西田昌司参議院議員等が麻生財務大臣や安倍総理大臣にMMTについて質問を行うなど、その議論は国会にも飛び火した。一方で、消費税の推進を図る財務省は、審議会の中で、MMTを批判する海外の多数の経済学者達の声を何ページにもわたって掲載する等の強烈な反応を示したことで、さらにMMTが話題となっていった。

MMTとは何か?


 こうしたMMTが話題になっていく中で、日本のメディアは、MMTを「異端」や「トンデモ」理論と紹介していった。例えば、2019年4月26日付けの朝日新聞では、「財政赤字なんか膨らんでもへっちゃらで、中央銀行に紙幣を刷らせれば財源はいくらでもある、というかなりの『トンデモ理論』」などと、ほぼ誹謗や中傷とも言い得るようなトーンで紹介しているのが、その典型だ。
 こうした批判は、学者もメディアもおおよそ、「MMTは、財政規律を破棄せよと主張しているが、そんなことすると、トンデモないことになる。財政には規律が必要なのは当たり前じゃないか!」というようなものが大半だ。 しかし、この認識は、根本的に間違えた、完全なる誤解だ。
 そもそもMMTは決して、財政規律を「破棄せよ」と叫んでいるのではない。MMTはむしろ、財政規律を「改善せよ」と主張しているに過ぎない。


 今日の日本の財政は、「プライマリーバランス(基礎的な財政の収支)を黒字化しよう」という規律に基づいて運営されているが、実を言うと、この厳しすぎる規律のせいで、日本経済はいつまでもデフレなのであり、貧困と格差が広がり、経済が疲弊し続けているのが実態だ。それはまるで、過剰に厳しすぎる教育の下では子供たちの心身が歪んでしまう、と言ったような類の話だ。実際、安倍総理大臣も、「予算を半額(にすれば)・・・プライマリーバランスは黒字化する・・・しかし経済は最悪になる」(平成29年3月1日参議院予算委員会)と端的に発言している通りだ。だから、そんな規律は不条理なのであり、別の基準に改善すべきだ――とMMTは考えるのである。


 そしてMMTが新しい財政規律の基準として主張しているのが、「インフレ率」だ。 そもそも、政府支出、あるいは、政府の赤字の多寡は、インフレ率に影響する。政府支出、ないしは赤字が拡大すれば大量の資金が民間に注入され、インフレ率が上昇する。そして、その逆もまた然りであり、それは先に紹介した安倍総理の答弁が示唆している通りだ。
 こうした点から、筆者は、MMTを政策論的な観点から、次のように定義している。


【MMTの政策的定義】


 国債発行に基づく政府支出がインフレ率に影響するという事実を踏まえつつ、『税収』ではなく『インフレ率』に基づいて財政支出を調整すべきだという新たな財政規律を主張する経済理論。


MMTの具体的な中身

 もう少し、詳しく言うなら、MMTとは、具体的には以下の3つを主張するものと捉えることができる。その最初の主張はこういうものだ。
(MMTの主張1)
 政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられないのだから、借金したくないという思いに囚われて、政府支出を抑制するのはナンセンスである。だから政府の支出は、借金をどの程度以下に抑えるかということを“基準”にしてはならない。何か別の、国民の幸福に資する“基準”が必要である。
 MMTがしばしば激しく批判されるのは、この主張の一行目の「政府は、自国通貨建ての借金で破綻することなど考えられない」という部分なのだが、実はこれは、専門家の間では、誰もが認識している当たり前の見解なのだ。例えば、財務省も、自身の公式ホームページで、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と言明している。
 これは、政府が破綻しそうになれば、中央銀行である日銀が必ず「最後の貸し手」として、カネを貸してくれるためだ。だから政府は日本円建てで借金をしている限り、「破綻」することは考えられないのだ。こうした自明の事実を踏まえれば、破綻に怯えて、借金を減らす事ばかり過剰に考えるのはナンセンスだ、とMMTは考えるのである。
 では、赤字を減らすという財政基準でなく、「何か別の、国民の幸福に資する財政規律」として何が必要かなのかを実際の経済の仕組みを踏まえて考えれば、自ずと以下の“下限基準”と“上限基準”が必要であるという現実が見えてくる。

(MMTの主張2)
 経済が停滞しており成長が必要とされている場合、政府は財政赤字を拡大することを通して、その目的を達成することができる。逆に言うなら、政府支出(あるいは財政赤字)の“下限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)経済が停滞してしまう程度の政府支出量である。

(MMTの主張3)
 政府支出(あるいは財政赤字)を、その国の供給量を超えて拡大し続ければ、過剰なインフレになる。したがって、政府支出(あるいは財政赤字)の“上限基準”は、(金融政策を十分に行ってもなお)過剰インフレになってしまう程度のの政府支出量である。(MMTの主張3)
 ちなみに、具体的な政府支出の下限と上限の基準としては、これまでのインフレ率の実績を踏まえると、「下限」については、おおよそ(コアコアCPIという尺度で)2%程度を想定することができよう。実際、現在のアベノミクスにおいても日銀がこの水準を目標としている。さすがにこれを下回る状況は、不健全だと考えるわけだ。一方で、インフレ率が4%、ないしはさらに安全を見て3%を上回るような状況は、これもまた不健全だと言うことができる。日本では80年代以前は高いインフレに苦しめられたのだが、その水準がちょうど、3~4%以上だったからだ。

 つまりこの点に着目し、「インフレ率3~4%を超える程の過度なインフレになってしまう程に過剰な政府支出=赤字」を上限、「インフレ率2%を下回る程の過度なデフレや停滞になってしまう程に少なすぎる政府支出=赤字」を下限とする、という「新たな財政規律」を提案しているのがMMTなのである。
MMTなのである。

 ただし、インフレ率には、日銀の金融政策も大きな影響を及ぼすことは間違いない。だから、この財政規律に基づく運用においては、可能な限り適切な金融政策が並行して実施されていることが必要な点は、忘れてはならない。


 いずれにせよ、MMTは、一部の日本のマスコミや評論家連中が言うような「トンデモ理論」とは決して言えないものなのだ。それよりもむしろ、これまでの財政規律の不条理性を指摘した上で、それをより適切なものへと財政規律を「改善」することを主張する、至って理性的なものなのである。

 兎にも角にも、日本人はインフレになることを恐れすぎた余り、デフレを放置しすぎてしまったようだ。これではまるで、栄養失調で死にかけている時に、肥満だった過去の記憶に過剰に怯えて食事を口に出来なくなってしまっているようなものだ。そんな時には、少しくらいは食事を口にしないと、体が持たない。この程度の話は「常識」に過ぎない話である筈だ。

 MMTは、そんな「常識」を呼び覚まし、今日、我々が陥っている状況それ自身の「非常識さ」を教えてくれている。これまでのモノの見方に過剰にこだわり続ける人々からは「トンデモ」であり「異端」に見えるのかも知れないが、その中身をよくよく精査してみれば、至って穏健な理論なのである。

 

信用貨幣論に基づく信用創造の理解
https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/knowledge/opinion/er/2019/2019-7-1.html

筆者の見るところ、MMTは①信用貨幣論(credit theory of money)に基づく信用創造の理解、②ラーナー流の機能的財政論(functional finance)による財政の理解、③表券主義(chartalism)に基づく現金通貨の理解、という3本の柱からなるものと考えられる。以下では、これらを順に説明しながら、必要な批判を加えていくこととしよう。

信用貨幣論は、さらに遡れば19世紀英国における通貨主義(currency school)vs 銀行主義(banking school)の対立のうち、銀行主義の流れを汲むものだが、最大の特徴は信用創造をどう理解するかに求められる。普通は、預金を元手に銀行が貸出を行うことから信用創造がスタートすると考えられている。しかし、MMT=信用貨幣論では「銀行が貸出を実行すると、直ちに同額の預金が生まれる」と考える。一般の人には不思議に思われるかも知れないが、これは金融界に属する人間には常識だと思う。実際、貸出を行うということは(貸出に関する契約書等を別にすれば)、「貸出先の預金口座に貸出額に等しい預金を書き込む」ことに他ならないからだ。貸出の原資としての預金を事前に必要とはしない。原資が必要になるのは、貸出先の企業が支出をすると預金が自行から他行に流出するからであり、その場合の不足資金は預金でなく市場(日本ではコール市場、米国ではFF市場など)で調達してもよい。中野氏の書物によれば、こうした信用貨幣論は近年のイングランド銀行の四季報でも紹介されているとのことだが、筆者にしてみれば40年以上前に日銀に入行した時、最初に習ったことの一つである(注3)。

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