« コバルト製錬に | Main | 町工場の娘3 (^^;; »

September 26, 2019

町工場」の娘(^^;;

ゴーン逮捕に元下請け工場経営者が激白 。「異常な値切りで皆潰れていった」

2018.11.23

フォームの始まりフォームの終わりhttps://hbol.jp/179598フォームの終わり

 

橋本愛喜

 

連日報じられている通り、今月19日、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏が、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。  今回明らかになった同氏の不正報酬は、2011年から2015年で約50憶円。その後、直近3年分でも30億円が過少記載されていたことが明らかになるなど、その全貌が見えるまでにはしばらく時間がかかるだろう。  事件を受け、帝国データバンクが20日、企業概要データベースの中から、日産自動車と国内主要連結子会社16社と直接取引がある取引先を調査・分析したところ、全国全業種合計で3,658社にのぼることが判明(個人経営、各種法人等含む)。  ゴーン氏逮捕の衝撃は今後、こうした多くの関連企業に、深刻な影響を与える恐れがある。  事件発覚以降、ゴーン氏に関する有識者の見解や分析が、連日各メディアから溢れ出る中、当時、日産や関連企業の下請け工場の2代目経営者として現場に立ち、結果的にその工場をこの手で閉じてしまった筆者にとっては、正直なところ、何を読んでも何を聞いても「虚無感」しか湧いてこない。  あの頃、関連企業から強要されていた異常なまでの値引きは、一体何だったのか。ゴーン氏にとって、我々下請けは、どんな存在だったのか。  彼に対するやり場のない怒りと、当時、過酷な状況にしがみ付いてくれていた従業員への申し訳ない思いが、今回の事件を通して今、再び込み上げてくるのである。

 

 2008年のリーマンショックや、2010年のギリシャ財政危機、2011年の東日本大震災などの影響により、日本は当時、異常なまでの円高の中にあった。  1ドル75円台。日本の経済を支える製造業界では、大手が一斉に人件費の安い海外へ工場を移転し始めていた。  これにより、それまで大手から受注していた多くの下請け企業が、存続の危機に晒されるようになっていった。  ようやくもらえた小さな仕事も、やればやるだけ赤字を出すほど安工賃。今後の仕事に繋げるために断ることすらできない「蟻地獄」のような日々を送る工場もあった。  筆者の父親が経営していた工場も、そんな下請けのうちの1社だった。  日本の各大手自動車メーカーや系列企業から金型を預かり、研磨して納品していたその工場は、職人が最大でも35人。大手のくしゃみでどこまでも飛んでいくような極小零細企業だった。  工場には、手持ち無沙汰な職人が「草むしり用」の軍手をして、新しい雑草が生えてくるのを待っている。忙しいのは営業だけだ。  無論、当時はゴーン氏の不正など知る由もなく、閑古鳥の鳴く日産系列の取引先工場にも足しげく通っては、「仕事をください」と何度も頭を下げ、相手の言い値で作業をする日々。  小さな工場内は、回転工具の機械音で会話もままならなかった最盛期からは想像もできないほど静かで、金型を砥石でこする「シャーシャー」という往復音だけが、やたらと大きく響いていた。  業界全体の仕事量が薄くなっていることは重々承知していたが、抵抗せねばどんどん安くなる工賃をなんとかやっていけるギリギリで維持させるべく、毎度のように担当者のもとへと出向く。突如告げられた「1時間300円分の工賃カット」を考え直してもらおうと1か月願い倒しても、聞き入れられなかったこともあった。

 

ゴーン氏就任後、受注価格は半値近くにまで落ちた

 こうした中、企業体力のない下請けは、順に潰れていった。当時、筆者の工場の元請けや、古くから付き合いのあった工場の一部からも、月末になると不渡りの噂や「廃業のお知らせ」と書かれた手紙が届くようになる。その中には、潰れるにはもったいない独自の技術や設備を持った工場も多くあった。  来月はどこだろうか。あの会社は大丈夫だろうか。ウチはいつだろう。当時の下請け工場には、異様な雰囲気が漂っていた。  筆者の工場では、先述の通り、国内の各自動車メーカーの系列企業と取引していたのだが、メーカーの工場はもちろん、その系列企業にも、母体の社風がそのまま反映されており、仕事の厳しさや金額などにはそれぞれの特徴があった。  当時の日産工場や同社系列工場の印象は、真面目で工場マンとしてのプライドをしっかり持った社員が多かったのと、仕事の指示内容が大変細かかったこと、そして、とにかく「安かった」ことだ。  同じ仕事を、ゴーン氏が日産の社長に就任する前と後とで比べると、半値近くにまで落ちたものも多い。  一方、下請けに冷たい態度を取る元請け社員も多い中、日産工場で働く社員たちは、皆紳士的だった。  筆者の工場では、同時期に4人の日産工場の社員と付き合いがあったが、当時の業界の体質に対して、誰一人感情的な意見を言う人はいなかった。が、そんな彼らでも、雑談でゴーン氏の話になると苦笑いになり、「人の話を聞く人じゃないですからね」、「無茶なコストカットも多いですよ」と愚痴をこぼしていたのを覚えている。  工場閉鎖1か月前、“先輩工場”と同じように「廃業のお知らせ」を得意先へ一斉に流した後、真っ先に連絡をくれたのは、工場最盛期から長年世話になっていた日産のある社員だった。 「長い間、お疲れ様でした」  FAXで送られてきた最後の発注書。いつもの「よろしくお願いします」の代わりに、昔から変わらない太字でひと言、そう書かれていた。  こうして工場閉鎖から数か月後、当時から物書きとして活動していた筆者は、皮肉にも東京モーターショーでゴーン氏本人を取材する機会に遭遇する。  目の前で「コスト削減」「V字回復」「世界のNISSAN」を、人差し指突き上げ声高に唱える彼に、今と同じような、言葉にし難い深い虚無感に襲われたことを思い出す。  自動車という乗り物は一般的に、約4,000種類、3万点もの部品からできている。その1つひとつは、製造ラインという運命共同「帯」に乗った、エンジニアや現場職人らの技術と努力が造り上げた結晶だ。  ゴーン氏が50億円以上もの不正を働いている最中、廃業や倒産に追い込まれた多くの関連企業や、大勢の解雇者の存在がある。あの頃、「帯」から消え落ちていった日本の技術力に、ゴーンは今何を思うのか。いや、せめて何か思ってくれるだろうか。  トップにいた自らの不祥事が今、3,658社の将来に暗い影を落としていることを、少しでも考えてくれているのだろうか。

 

 

https://hbol.jp/180465

 

「上」の不正で閉ざされる末端の叫び。元町工場経営者が思う、日本のものづくり業界の衰退

日産の元下請け工場経営者として、ゴーン前会長の不正に対する思いを綴った前回。  製造業界と決別すべく、自らの手で工場を閉めたため、当時のことを思い出すのは「若干しんどい」、というのが正直なところではあったのだが、その工場閉鎖以降、改善するどころか、どんどん深刻化していく日本の製造業界の状況に対し、見解を求められる頻度が増え、これも自分の役割なのかもしれないなと思うに至り、現在長く書かせていただいている「トラックシリーズ」と併せて、こうして日本の製造業についても時折綴っていこうと思う。

3K」にもう一つ「K」があった町工場時代

 ゴーン氏の一連の騒動を受け、先日、久しぶりに昔の工場に足を運ぶ機会があった。  閉鎖して5年。その翌年に何かの用事で1度訪れて以来、4年ぶりの「出社」だった。  真向かいに巨大な物流倉庫が建った以外、周辺はそれほど大きく変わってはいなかったが、毎度トラックが出入りしていた工場のシャッターに目を向けると、茶色い錆(さび)が筋状にいくつも伸びているのが見え、胸が痛んだ。  工場の業務内容は、金型研磨。大手自動車メーカーや系列の工場、家電メーカーの製造工場などから、プラスチック製品を製造する際に使用する金型を預かり、それを鏡のようにビカビカに研磨する、まさに「腕一本」の職人業だった。  砥石や紙やすり、大きな回転工具などで仕上げていくと、金型は驚くほど滑らかに輝きはじめるのだが、その一方で、職人自身は鉄粉や油まみれとなり、みるみるうちに真っ黒と化す。いわゆる3K(「きつい」「汚い」「危険」)の労働環境だったのだが、当工場には、それに加えて「K」がもう1つ付いた。  とにかく「細かい」のだ。ミクロン単位のゆがみや、肉眼ではほとんど見えないような傷にも、NGを突き付けられることがザラにあるため、最終仕上げの際は、工場の掃き掃除どころか、職人の周りを歩きまわることさえ憚れる。 「どんな傷やゆがみも許さない」  こうした繊細な仕事を生業とし、ヤンチャな従業員ばかり35人を束ねていた当時の父は、この国のモノづくりの一端を担う「磨き職人」として強いプライドを持っており、それゆえ、工場構内はもちろん、トラックに付く錆や傷、汚れにも非常にうるさかった。 「箱や足が錆びとる磨き屋に仕事出そう思わんやろが」  5年分の錆び筋を数えると、当時の父の口癖が思い起こされる。と同時に、彼をこの4年ぶりの「出社」に同行させなくてよかったと、心から思った。

町工場経営者にのしかかるさまざまな問題

 父がこの仕事を始めて約30年。その途中、彼が病に倒れたことで、急遽2代目として工場に入社した筆者は、自分なりに約10年、この業界でジタバタもがき過ごした末、2013年の秋、自らの手で工場を閉めた。  閉鎖に至った原因は1つではない。ましてや、今回のゴーン氏の不正が直接的な原因になったわけでもない。  現在、世間で騒がれている「跡継ぎ問題」、「外国人労働者問題」、「下請けいじめ」に、今でいう「働き方」など、当時から本当にたくさんの問題があの工場や製造業界には蔓延っていたため、ゆっくり時間を掛けて、自分なりに「継続」と「閉鎖」それぞれの未来を何度もシミュレーションしてみたのだが、結局、こうした問題が山積する中、工場の体力も限界ギリギリの状態で、最盛期から半値にまでなった工賃に頭を抱えながら、目に見えて廃れていく日本の製造業界に今後も身を置き、最低10年はかかる職人育成をやっていく自分を、最後まで想像できなかったのだ。  こうして「製造」について書こうとするのには、恐らく根底に自分の手で父の工場を閉めた「負い目」があるのだと思う。が、その反面、正直なところ、度重なる日本の製造業界の不祥事に、あの頃の自分の判断は間違っていなかったなと思ってしまう部分も大きい。

 

不正や改ざん。製造業のプライドはどうした

 昨今の日本の製造業界から聞こえてくるのは、東芝、日産、三菱マテリアル、SUBARU、神戸鉄鋼など、業界トップの企業らによる「不正」や「改ざん」といった、プライドの有無どころか、その「倫理観」をも疑いたくなるようなニュースばかりである。  世界の誰もが知る日本のブランド企業が、次々に海外企業へ身売りされてゆく中、全世界に広がったタカタ製エアバッグのリコール問題をはじめ、イギリスでは日立製作所が製造した高速鉄道車両が初日に水漏れを起こし、台湾では日本車両製造の鉄道が事故起こすなど、「メイド・イン・ジャパン」の信頼を揺るがす事象が海外でも起き始め、アメリカの大手メディアからは『どうした日本企業』と大きくタイトルが打たれた記事が出される。  そんな中、大規模なコストカットで業績を回復させた大手企業の数字を並べて「日本のモノづくりは衰退してなどいない」と主張する一部エコノミストらの見解や、安い人件費を求めて移転した海外工場で「メイド・イン・ジャパン」を製造し、事故や不祥事があれば「海外工場で生産されたものだから」で処理する業界の生ぬるさは、技術もろとも製造業界から追いやられた多くの国内の元工場マンや元工場経営者らには、大変白けて映るのだ。

 

「上」の不正で町工場の技術と未来が閉ざされる

 日本のモノづくりの社会は「縦」の繋がりが強いため、他国のそれ以上に「製造ライン」が「運命共同“帯”」と化すことが多い。それゆえ、「上」の起こした不正や改ざんは、ブランド全体、はたまた日本の製造業界全体のイメージ低下や不信感の「連鎖」を起こし、「帯」末端で日本の真の技術力を支える町工場にも多大な影響を与える。つまり、大手企業のその場しのぎの対応では、日本の本当の技術力は廃れる一方なのだ。  日本の製造業界は、その存在感が薄まりつつあることに今一度、本気で危機感を持った方がいい。  この国の「モノづくり」を支える大きな技術は、今でも小さな工場の中にたくさん存在している。上が起こす一部の不正で、彼ら町工場の未来が閉ざされないことを、元技術屋として願わずにはいられない。

 

 

 

 

アメリカでも批判噴出。メイド・イン・ジャパンを誇れなくなる日は近い?

2018.01.18

 

https://hbol.jp/158406?cx_clicks_art_mdl=4_title

 

日本の製造業界に対する信頼が今、急速に揺らぎ始めている。  昨年末、日産自動車では無資格の従業員が車両の完成検査をしていたことが国交省の抜き打ち検査で発覚し、神戸製鋼所ではアルミ・銅製品などの強度に関するデータを改ざんしていたことが明らかになったというニュースは記憶に新しい。東芝が衰退した一因にも、過去の不正会計という不祥事が絡まる。 「メイド・イン・ジャパン」の代名詞にもなるような企業で相次いだ昨年の不祥事は、日本国内はもとより、海外の消費者や投資家に「日本ブランドの異変」を確信させてしてしまった。というのも、海外ではこうした日本の製造企業における経営管理体制を問題視する声が、今回よりも数年も前から強く上がっていたのだ。  そのきっかけになったのは、タカタのエアバッグだ。車両衝突時に作動したエアバッグから金属片が飛び散り、乗員を死傷させるというニュースは、世界中に大きな衝撃を与えた。  日本でも一連の流れは報じられてきたものの、その扱いは他国に比べると小さく、実際に筆者が日本の工場マンと話していても、この問題が世界にもたらした影響は、日本国内にいまいち伝わりきれていないという印象を受ける。  が、とりわけここ自動車大国アメリカでは、リコール対象を高温多湿地域に限定した当初のタカタの頑なな態度に批判が噴出。死者18人のうち、13人がアメリカ人だったことから、「本来、人命を助けるはずのものである安全装置が、逆に危険装置として乗員の前に常時取り付けられている」と、連日ニュースでも大きく取り上げられ、その度に「メイド・イン・ジャパン」という言葉が“経済”ではなく、“事故”に関連するワードとして多く聞かれるようになった。  タカタにも独自の見解や言い分があったとはいえ、安全装置を売っているはずの企業が、自ら「安全の線引き」をしてしまったのは、やはり対応としてはまずかったといえる。結局アメリカのリコール対象車は、同国史上最多の4,200万台におよび、タカタは今年6月、経営破綻した。  こうした流れからの、昨年の一連の不祥事。「Whats wrong with Japan Inc?(どうした日本企業)」といった、日本の製造に携わる人間にとっては、屈辱以外のなにものでもない見出しで、各企業の問題を紹介しているメディアもある。  とはいえ、タカタは本来、エアバッグの世界シェア2位の超優良企業だった。タカタだけではない。現在、不祥事や経営不振の渦中にあるその他の日本企業も、世界が認めた有名企業ばかりだ。  では、どうして日本の大手製造企業はここまで急激に弱体化していったのか。

その要因は、主に二つあると考える。

1:過去にすがる体質  最も大きな要因の1つは、「過去の栄光にすがる日本企業の体質」にある。  現在「メイド・イン・ジャパン」で連想される「高品質」というイメージは、過去に生み出された技術による功績であるところが大きい。  それがこの10年、団塊世代の退職や、リーマンショックによる景気低迷、働き方や安全性に対する世相の変化などで、ヒト、企業、経済の構図が激変し、企業はその度に対応を迫られてきた。  しかし、古い体制にある日本企業は、「先送り」や「検討」、「茶濁し」でその場を凌いできたため、結果的に世間の抱く「ブランドイメージ」がひとり歩きし、「現場の現実」とのギャップが生じてしまったのだ。日本企業はもはや「企業ブランド」に依存できない状況にある。  だからといって、こうした日本の製造企業が、大胆な新規事業開発に積極的なのかといえば、そうでもない。 「我々には古くから守ってきた従来品がある」、「リスクを追ってまで行動する必要なし」と、先々を計算して腕組みし、なかなか動こうとしない。  が、そんな企業を尻目に、世間のニーズは目まぐるしく変わり続け、近年は「完璧な従来品」よりも、「若干の改善の余地ありでも新しいもの」がもてはやされるようになってきた。  ちなみに敢えて加筆するが、その世間のニーズには、“改善の余地のある従来品”という選択肢は、無論皆無である。  一方、こういった世間のニーズに敏感に反応した諸外国は、ベンチャー企業への最大限のサポートを約束することで世界中から多くの技術を呼び寄せ、官民一体となって成長し続けている。その国の筆頭が、中国だ。今や中国は、「作る国」から「作らせる国」に移行しつつある。フォームの始まり

 

機密情報の扱い方が甘いのも問題

2:情報管理体制  日本の大手製造企業が弱体化したもう1つの要因は、過去の工場シリーズでも度々言及している「情報の扱い方」にある。  2014年度に製造業界で発生した情報漏えい事件の被害総額は、分かっているだけでも1,000億円以上に及ぶ。  中でも最も避けたい海外への流出においては、目先ばかりを見た結果、工場を人件費の安い海外へ移転させ、現地採用の従業員に長年培ってきた企業の技術やノウハウを指導したことで、それら「社宝」をその国全体に拡散させてしまったケースが少なくない。  こうしてカネと技術を得た“やる気満々の諸外国”が、その後どう動くかは、火を見るよりも明らかである。前出の「ベンチャーに協力的な国」が、「かつて日本が工場を移転させた国」と面白いほどに一致することは、察するに難くないところだ。  その一方、「上から下」への情報共有においては、業務に支障が出るほど厳しく、下請けはたとえその指示の目的やゴールが分からなくとも、元請けに従うしかない。  とりわけ、3万点のパーツによって1つの商品を産み出す自動車製造現場は、見事なまでのトップダウン型だが、こうした体制は、日本の技術力やブランド力を構築しやすい反面、130万人もの自動車製造従事者が1つのピラミッドに収まる現場では、「情報が下りてこない」「上に物申せない」が常態化し、結果、昨年のような「上の不祥事」を引き起こす環境に陥りやすいのだ。  筆者が訪問するアメリカ国内の各オフィスには、韓国製やアメリカ製のパソコンばかりが並べられ、家電量販店のテレビ売り場でも、韓国製、台湾製が広くスペースを占領する。  マンハッタンのまっすぐ伸びた道路を走るクルマには、日本ではあまり見ないようなメーカーのものも多い。  日本にいると、「メイド・イン・ジャパン」を選ぶことに特別大きな理由は考えないが、海外では、こうした「消費者に与えられた選択肢の幅広さ」や「日本びいきのない競争社会」、そして、その中で消費者がどうして「メイド・イン・ジャパン」を選んだのかを深く考えさせられる。 「Whats wrong with Japan Inc?」という言葉は、海外が日本企業に張った「別れに向けた最初の伏線」のように響く。「日本のモノづくりはまだ大丈夫だ」と国内で傷をなめ合う余裕は、もはやないと思った方がいい。  過去の栄光からの脱却と、未来を見据えた挑戦。「改善待ったなし」の状況で、引き続き「先延ばし」や「腕組み」で対応すれば、近い将来、メイド・イン・ジャパンは誇れなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« コバルト製錬に | Main | 町工場の娘3 (^^;; »