« 町工場」の娘(^^;; | Main | 町工場の娘4(^^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; »

September 26, 2019

町工場の娘3 (^^;;

工場職人にヤンチャが多い理由。日本のモノづくりを支える、零細町工場に立ちはだかる急務とは

日本のモノづくりを支える、町工場。家業が町工場であった筆者の周りには、物心つく前からトラックと砥石と真っ黒な父親の存在があった。  母親も父親と同じ工場の経理として毎日夜遅くまで働いていたため、筆者はいわゆる「鍵っ子」だったのだが、通っていた小中学校が工場から近く、放課後はその工場に帰っては、働く大人を観察していた。ゆえに、筆者の零細企業デビューはかなり早い。  約30年間、1つの工場を微力ながら見守ったのちに海外に住む今、昨今の日本に思うことがある。今回から3回に分けて、「日本のモノづくりを支える職人」について綴っていきたい。  筆者の父親は、小さな工場を経営していた。  「工場」は「こうじょう」ではなく「こうば」だ。これは筆者のまこと勝手な線引きだが、始業前にラジオ体操がある規模は「こうじょう」、ないのは「こうば」。父の会社には、ラジオ体操どころか、ミーティングさえもなかった。テニスコート2面ほどの作業場に、最盛期は従業員約35人。海外に支社を作った時期もあったが、訳あって数か月で畳むことになる。  従業員には2種類のタイプがいた。第1に「昔のヤンチャ」、第2に「つい最近までのヤンチャ」。35人中34人が男性で、残りの1人は掃除のおばちゃんだ。  彼らの愛車が織りなすエンジン音とヒップホップの音楽は、毎朝100メートル先の信号あたりから誰が通勤して来るのか教えてくれる。坊主からリーゼントまで、ヘアスタイルも個性豊かで、おかげで遠くからでも誰がどこにいるか、すぐに判別ができた。  そんなヤンチャたちだが、彼らは一度仕事にかかると、大変真面目だった。その理由は、社長が大昔、誰よりもヤンチャだったことに加え、彼らには「一人黙々と作業をする素質」がある、というのが大きいところだろう。  父の工場の業務内容は、金型研磨だった。その詳細は次回述べるが、この仕事で一人前になるまでには、最低10年はかかる。つまるところの「職人業」だ。  職人とはいわずもがな、熟練した技術でモノづくりする人達のことである。  父の下で働くヤンチャ達は、トラックドライバー以外、職人か職人見習いだった。鉄の塊相手に、油と砥石に手がまみれ、金型の角に手をかけては絆創膏1箱使っても足りないほど出血することもしばしば。末端の孫請けゆえ、納期絶対厳守の、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)。父の工場においては、これに「細かい」がつき、4Kともいうべき環境だった。

「作業服とタイムカードは黒いほうがいい」

 伝統工芸職人はその技術や作品に魅了され、その道に入るが、工場職人への入り口は、もっとシンプルなことが多い。  父の工場では、年中従業員を募集していた。その度にやって来るヤンチャが差し出す履歴書の志望理由には、「求人広告の一番上に載ってたから」「家が近かったから」という字が堂々と書かれていた。  時折、「日本のモノづくりの一端を担いたい」と饒舌に語るスーツ姿の兄さんがやって来ることもあったが、実際こういう人ほど、「親戚が亡くなった」で欠勤が何度か続き、やがて来なくなる。その度に社長は「何人親戚殺すねん」とタバコの煙に目を細め、ぼそっとつぶやくだけだった。  筆者は仕事柄、現在も多方面の職人と話す機会があるが、彼らには大きな共通点がある。  自分の仕事に人が介入することを超絶に嫌うのだ。協力し合うことが苦手な代わり、受け持ったからには、最後まで1人でやり遂げる。が、やりたくない仕事は絶対にやらない。こうもプライドが高いゆえ、こちらの意見はなかなか聞いてはくれない堅物が多いのだが、この「オレの道」を「美徳」と位置付ける一匹狼型のヤンチャは、自然と工場職人という道に吸い寄せられるのだ。  父の工場には、数日「おはようございます」と「お疲れ様でした」しか発さない金型以上の堅物も多くいた。  こうして、子どもの頃から工場職人を目の当たりにしてきた筆者には、「工場で働くこと」に対して、1つの定義がある。古い考えではあるが、これだ。「作業服とタイムカードは、黒い方がいい」。  昔の職人は、現在よりも「日本のモノづくりは自分たちが支えている」という誇りを強く深く持っていた。それゆえ、3Kだろうが4Kだろうが、文句も言わず自らの仕事を全うする職人が多かった。  1日中座りっぱなしの体をほぐしてもらうために構内に置いた卓球台は、一匹狼の集まる工場では、結局本来の使われ方はほとんどされなかったが、午後7時半になると、毎晩母の料理が並んだ。それを5分で腹中に移し、缶コーヒー1杯を飲んでいるわずかな間に、仕事モードへ気持ちを再び入れ替える。短い納期で仕上げた金型をトラックに載せる時に見せる顔には、疲労感以上に達成感がにじみ出ていた。

 

ネット世代は職人に不向きな若者が多い

 しかし、そういう「職人像」も、ここ十数年で大きく変貌を遂げた。これは父の工場に限ったことでない。日本にいる職人たちの高齢化に伴い、新人育成が急務である中、時代がスピードを求めてきているせいか、一人前になるまでに辛抱できず、途中で辞めてしまう見習いが増えてきたのだ。先に述べておくが、この原因は、辞める側だけでなく、雇う側、育成する側にもある。筆者本人が元工場経営者として強く思い、深く反省するところだ。  昨今、「10年経たないと一人前の職人になれないのは、効率が悪い」という風潮があるが、筆者が見てきた世界は、少なくともその「時間」は必要だと思うところだった。「辛抱」や「感性」は、効率化では得られず、職人の仕事は結局すべてこの2つでできていたりする。どれだけ辛抱すればいいのかを知るには、辛抱し続けるしかない。  が、その一方、時代の流れに合った職人教育をする必要も、育成側には出てくる。やみくもに「見て覚えろ」と言うのは、今の時代にはそぐわない。辛抱して、見て、覚えた先にあるものが、職人には必要不可欠な感性であることを伝えなければ、インターネットですぐ答えの出るスピード社会で育った現代の若者が、途中で挫折するのは当然のことなのだ。  ただ、ここで問題になるのは、育成するのが「堅物の職人」であること。彼らには、すでに踏み固められた「オレの道」がある。そんな両者が歩み寄り、技の伝達をスムーズにさせるために必要な存在こそが、経営陣だ。両者の間に入り、作業服に袖通し、彼らとともに卓球台で夜食を食べるくらいの距離感を持っていなければ、経営陣の存在意義は、工場内では無いに等しい。  現在筆者が住んでいるニューヨークには、物が溢れている。が、現地ではほとんど買い物をせず、一時帰国した際、来日外国人のごとく日本の製品を大量買いしていく。プラスチックのかご1つにしても、日本の100円ショップで買ったもののほうが断然質がいいからだ。たかが100円の商品であっても高品質なものを求め、その要求に応じるのは、日本人がもつ「仕事で妥協しない」という職人気質の賜物である。  そんな要求に応えられる技術とプライドのある職人が、今徐々に数を減らしている。日本のモノづくりを第一線で支える彼らを今後育成するには、「オレの道」を歩く新人のために、標識を立てていくことが、工場経営者の急務なのではないだろうか。 〈文・橋本愛喜〉

 

 

 

日本が誇る零細工場の技術は、面白いほど簡単に盗まれ流出してしまう

2017.05.01

町工場で育った筆者が、日本のモノづくりを支える職人の気質や育成の難しさについて述べた前回。今回は、当時の現場で直面した「技術流出」について綴っていきたい。  職人の業界には、分業制を取るところがある。父の工場でも、各職人に技術や知識を分散させていた。洗練された技術を惜しみなく発揮できるというのも1つだが、その最大の理由は、技術の流出を阻止するところにある。  分業は、仕事上の不平等が発生しやすく、職人同士で不満がつのったり、担当者の欠勤がラインを止めてしまったりするなど、様々な問題を伴うことも多い。  だがこの制度をひとたび止めれば、たちまちに技術は外に漏れていく。  父の工場でも、開業間もないころは各々にすべての工程を任せていたのだが、案の定、安易な独立や不当な引き抜きなどによって、情報や技術は面白いほどあっという間に外へ出た。  工場の主な業務内容は、金型の研磨だった。簡単に説明すると、鉄の塊から削られてできた金型の機械の目を、砥石やペーパーやすり、ダイヤモンドペーストなどで磨き、最終的には鏡のように滑らかでビカビカに仕上げる仕事だ。  取引先のほとんどは、日本の各自動車メーカーや自動車ランプメーカー、電機メーカーなどで、この世にプラスチック製品が存在する限り、需要はいくらでもある仕事だったが、前回述べた通り4K(きつい、汚い、危険、+細かい)だということ、技術習得に相当な時間を要することなどが手伝って、開業当初は父の工場のような10tクラスの金型を扱える比較的大きな研磨専門業者は、日本国内でも数える程度しかないニッチ(すきま)産業だった。

取引先が悔しそうに唸った技術

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

フォームの始まり

 

鏡のように仕上げる金型。赤いマルで囲んだ部分は傷のある箇所だが、肉眼ではまったくわからないほどのレベルだ

赤マル部分の拡大。 0.1ミリの傷を直すために全面を磨き直すこともあるほどの厳しさで、零細工場の技術は支えられていたのだ

 こうして職人によって仕上げられた金型は、トラックで技術営業が納品しにいく。その際、取引先の担当者から、特殊なペンライトで傷が残っていないかをくまなく検査される。少しでも不具合が見つかれば、どんなに遠いところから寝ずに走って来ようが当然返品されるため、あの数十分の待ち時間は、技術営業にとっては、運転中よりも長く感じる時間だった。  そんな折、ある企業へいつものように納品に向かうと、担当作業員が荷台から降ろしたばかりの金型を見慣れない機械に通し始めた。聞けばそれは、誤差をミクロン単位で計測できる機械だという。今までのペンライトがかわいく感じるほどの細かいチェックに、これから返品が続発するんだろうと腹をくくって計測が終わるのを待っていたが、そのデータ結果を見た担当作業員は、幾分悔しそうな顔で「いいですよ」と言って、納品書に検品印を押してくれた。 「今後に役立てたい」と、そのデータを見せてもらったところ、当時工場で働いていたヤンチャな職人らは、手の感覚だけでしっかりとミクロン単位の仕事をしていた。長年の経験で培った彼らの技術に改めて感動させられたか、あの時取引先に言い放った「今後ともよろしくお願いいたします」のひと言は、今までで一番気持ちがよかった。

数十年間の技術の結実を、シャッター1つで奪い去るホワイトカラーたち

 そんな職人たちが持つ技術は、取引先にとっては喉から手が出るほど欲しいものである。自社製造できれば外注費が浮き、作業工程上も融通が利きやすくなる。それゆえ、父の工場には、取引先からよく人が来た。 「環境問題に取り組んでいるかの工場視察」なる名目で、彼らは環境の「か」の字すら発することなく、職人の技術に見入る。どんな技巧を用いているのか、どんな道具を使っているのか。一部の貪欲な取引先は、職人の機嫌を取りながら「これはどうやるんだ」と直接話しかけたり、露骨に自分の工場で働く現場作業員を大勢連れて来たりしたこともあった。  最もやっかいだったのが、孫請けにとって「技術」がいかに大切なものなのかを理解しきれていない一部のホワイトカラー(普段スーツで働く人たち)だった。  彼らは、職人が作業している傍でカメラを取り出し、30年かけて見出した技術を、シャッター1つでかっさらおうとする。さすがに耐えられず、「うちにも企業秘密があるので」とやんわり断ろうとするが、「何が悪い、自社の金型だぞ」と一蹴されれば相手が相手だけに、下手に言い返すこともできない。  ワイシャツの上にまとった皺ひとつない真っ青な作業服に黒いすすが付き、それを手でぱんぱんとはたく彼らの姿を見た時、言葉にできないむなしさが押し寄せてきたと同時に、零細工場に生きる人間なりのプライドが胸に芽生えた。

 

「高品質だが高い日本製、中高品質でも安い東南アジア製」

 そんな零細の存在を尻目に、製造業界大手やその下請け中小企業が、一斉に海外へ工場移転した時期がある。  深刻な円高が続いた1990年代から2000年代半ばのころだ。国内に残された零細は、海外に仕事を奪われ、次々に潰れていった。父の工場と同じように、その1社1社には、積み重ねてきた技術があったに違いない。それでも元請けを失った工場は、ただの機械置き場だ。毎月のように届く「工場閉鎖のご挨拶」なる手紙には、本当は書きたいことがもっとあったはずである。  かたや移転した大手の海外工場では、現地従業員の雇用、現地部品の調達などで製造にかかるコストを抑えるのに躍起になる一方、当然のことではあるが、各企業の「ウリ」であるノウハウや技術だけは、日本から持ち込むことになる。  必然的にそれらは現地従業員に伝達・習得されるわけだが、まさにその流動的な現地雇用を通じて、貴重な日本の技術は海外のライバル企業へと流出する。東南アジア諸国の製品が急激に日本製に劣らぬほど高品質化したのもこの頃だ。  現在、筆者の住むニューヨークで「メイドインジャパン」と言うと「高品質だが高い」と揶揄されるが、東南アジア諸国の製品は「中高品質でも安い」と評価され、実際、大企業などで大量購入される自動車や電化製品は、東南アジア諸国製のものばかりである。

フォームの終わり

 

いまだ零細工場は、技術を生み出す金の山

 それでも、日本のモノづくりの技術が海外から高い評価を受けていることは、自他ともに認めるゆるぎない事実である。しかし、ふたを開けてみれば昨今、多くの日本企業関連工場が軒並み閉鎖している現状がある。シャープが築き上げた“世界の亀山ブランド”が崩壊した時、心の底から日本のモノづくりの将来を心配した。  そしてこのほど、日本の技術流出問題に追い打ちをかけるかのごとく、東芝が半導体分門を売却する方針を打ち出した。その売却に対し入札に名乗りを上げているのは、世界のトップ企業らである。東芝の半導体メモリには、日本の技術と努力の歴史が凝縮されているため、政府は国内企業に入札参加を促し、海外への流出を阻止しようとしているが、このような動きが鮮明になるほど、日本国内の焦りと海外企業の勢いをまざまざと見せつけられている気分になる。  父の会社には「大きい会社よりも小さい会社」という掛け軸がかかっていた。開業当初からあったその一文の意味は、ホコリと油にまみれた工場最後の日になっても、筆者には意味が分からなかったが、今こうして日本の技術力の尊さと向き合って、ようやく腑に落ちた気がする。  「小さい会社」は、技術を生み出す最高の場なのだ。現場第一主義で、行動までのスピードが早い。日本の技術力が低下している昨今、今こそフットワークの軽い中小・零細企業が活躍する時ではあるが、残念なことに、その多くは姿を消してしまっている。  目の前だけのリスク回避や利益追求によってなされた零細企業に対する過小評価や、技術流出に対する防御策の甘さは、今、日本の製造業界に暗い影を落としている。「日本ブランド」を謳いながらも、海外で作られる日本製品に一番納得していないのは消費者よりも、日本のモノづくりを支えてきた工場マンなのかもしれない。 <文・橋本愛喜>

 

 

 

日本だけではなかった。女性が“職人”に向いていない理由

2017.05.10

フォームの始まり

 

 

家業の工場を手伝いながら、日本の技術の尊さ、工場職人やドライバーの日々の苦労を身近に感じてきた筆者。これまで二回に渡って工場職人の実情を述べてきたが、最後になぜ職人には女性が少ないのかを考えてみたい。  筆者の通っていた中学校は女子校だった。  周りにいる男性は、先生か守衛のおじいちゃんくらいで、休み時間になると、前日撮ったプリクラの交換や、音楽番組に出ていたアイドルグループの話で「かわいい」「かっこいい」が飛び交う世界だった。  それが何を血迷ったか、進学したのは共学1年目の元男子高校で、45人いたクラスメイトのうち、女子は筆者含めて2人のみ。ゆえに当初は面白いほど勉強がはかどらなかったが、卒業するころには見事に”オス化”し、女子校で培った「しとやかさ」は見る影もなくなった。  おかげで大学時代の親友も男性。毎日一緒にいる女友達も、竹を割ったような性格の子ばかりで、幼少から続けてきたテニスの試合では、小さいものならば無理言って男子でエントリーさせてもらうほど、強情で負けん気が強く、巷で言う“理想の女像”に逆行する全く可愛くない性格ができあがり、今に至る。  しかし、この流れと性格がなければ、おそらくあの工場の経営は困難だっただろう。  前回までに述べた通り、工場にいた職人34人は全員「オレの道」なるものをもつ堅物の男性だった。元々人の言うことをなかなか聞き入れてくれない彼らだったが、ましてや相手が女性となると、「女のあなたに何が分かるんですか」と、意思疎通の難しさはさらに増す。  さらに、赴いた取引先の工場に至っては、筆者よりも経験の浅い担当者に「女性には難しい話なので、男性の営業さんに来てもらってもいいですか」と言われることもあった。  そんな彼らとともに仕事をするには、体力以上に、誰に何を言われても動じない精神力と、女性でもできると証明する説得力が必要だったため、仕事上で性別を武器にしたことは今まで一度たりともない。筆者が大型免許を取り、現場で職人の作業をしたのは、人手が足りないからというよりもまず、彼らとの垣根を少しでも低くしたかったという思いからだった。

世界的に女性の職人が少ない理由

 繰り返しになるが、職人には男性が多い。これは日本に限ったことではないようで、筆者の周りにいる約15か国の外国人に聞いてみたところ、女性職人はやはり世界的にも圧倒的に数が少ない。  さらに業種も様々で、父の工場のような製造の世界だけではなく、寿司職人、パティシエ、左官、伝統工芸品などの職人も、その多くが男性である。女性が比較的得意とする料理の分野ならば、女性がもっといてもおかしくないと思うところ、どうしてこうも女性職人が少ないのか。  各分野の職人を調べて分かった、その最大の理由は、「今までずっと男社会だったから」という、身も蓋もない答えだったりするのだが、そこには

1.今から女性を受け入れようとしても、女性向けの道具や設備が整っていないため、入る隙がない

2.今その世界を支えているのがプライドの高い男性職人であるゆえ、女人禁制という固定観念から抜け出せない  といった、付随的要因が広がっている。  そもそも職人の仕事は、重労働であることが多い。立ちっぱなし、座りっぱなしで黙々と作業することの多い仕事だが、同じ作業を同じ体勢で続けるのは、想像以上にハードだ。筆者の利き手の左中指は、外を向くように曲がっている。全体重をこの指に乗せ、ペーパーやすりで1日中金型を磨いていた結果なのだが、男性より指が細いため、伝わる力も大きかったのだろう。30年磨いてきた父親の指よりも大きく、かつ早く曲がった。 ⇒【画像】はコチラ https://hbol.jp/?attachment_id=139243

曲がったままの左中指。当時はネイルもできず、常に油にまみれていた

 また、作業の工程でどうしても必要となる回転工具においては、一人前の男性職人であっても、気を抜けばその分、危険に身を晒すことになるところ、力の弱い女性が扱えばその大きな動力に負け、怪我をするリスクもより高くなる。  さらに職人という仕事は、業種に限らず一人前になるまでにかなりの時間が必要になってくる。負けん気の強い筆者にとって、これを認めるのは大変悔しいが、この長い期間に安定した時間と体調を保てるのは、やはり男性の方が圧倒的に有利なのだ。  妊娠・出産など、体に負担が掛けられないライフイベントの多い女性には、技術習得までに年単位かかる職人の仕事は、やはり「仕事と家庭のどちらかを取るか」という選択が避けられないのかもしれない。

女性特有の体調の周期も、職人仕事には不利

 それに加え、女性には月ベースで体調や精神のバランスも変わるため、仕事にムラが出やすいのも事実である。  前出の「料理の世界でも女性職人が少ない理由」の1つに、女性はホルモンバランスによって味覚が変わるため、安定した味を提供できないといった話も聞かれる。ゆえに、「男性料理人の作る安定的な味は、同じ店で同じものを食べていると飽きてくるが、奥さんや母親の作る手料理は飽きずに毎日食べられる」という、知り合いの料理人の立てる仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。  余談ではあるが、筆者の場合、この女性の周期的な体調の変化で一番大変だった仕事は、長距離を運転するトラックでの技術営業だった。  以前、トラックドライバーは、時間厳守が最も重要だと述べたが、延着(遅刻して到着すること)しないようにとトイレ休憩なしで走ってきても、到着した工場に男性職人しかいないと、女性トイレがないこともしばしば。工場を出て探しはするが、田舎だと駐車できる広いスペースがあってもトイレのあるコンビニがなく、都会だとコンビニがあってもトラックを止められるスペースがない、というジレンマに踊らされた。それゆえ、毎月やってくる生理に対しては、長距離運転の仕事があると予め分かっている時にはピルを飲んで周期をずらしたり、男性ドライバーよりも早めに出発したりと、様々な策を講じていた。  このように、女性が職人になることは、決して容易なことではない。  選んだ分野によって、諦めなければならないこと、覚悟を決めなければならないことも多いだろう。しかし、女性のもつ感性の高さや、きめ細かさ、芯の強さは、男性職人に全く劣ることのない強みであり、年々数を減らす彼らにとっては、女性が今後、大きな役割を担う時が来るのかもしれない。  今まで作り上げてきた歴史や伝統と同じくらい、世相に合わせ柔軟に変化することも必要とされる職人の仕事。彼らの技術が今後も世界を唸らし続けていくことを切に願う。<文・橋本愛喜>

 

 

 

 

 

|

« 町工場」の娘(^^;; | Main | 町工場の娘4(^^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; »