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July 10, 2020

43人死亡、永寿総合病院の奮闘が教えてくれた働く意義

 

43人死亡、永寿総合病院の奮闘が教えてくれた働く意義

43人死亡、永寿総合病院の奮闘が教えてくれた働く意義
7/9(木) 6:00配信  日経ビジネス
https://business.nikkei.com/
新型コロナウイルスに214人が感染し、43人が死亡。国内最大規模の院内感染を招いた永寿総合病院・湯浅祐二院長の記者会見が1日に行われた。
感染症に襲われた医療現場のリアルは、働くということ、役割が人に与える影響力、ミッション、存在意義、チームなど、根本的な問いを投げかけていた(写真:Shutterstock)
会見の資料として、看護師や医師などの手記を公開したことについて、「自分たちの失敗を美談にすり替えるな!」といった批判が一部あったようだが、個人的には、質疑応答も含めた1時間20分超にわたる記者会見は、1ミリの無駄もない、実に誠実な会見だったと受け止めている。
 特に、批判の的となった“戦場”を経験したスタッフの生きた言葉=手記は、未知のウイルスの脅威を知る上で極めて重要な資料だったし、湯浅院長が時折声をつまらせ、明かした事実も、実に考えさせられる内容だった。
 感染症に襲われた医療現場のリアルは、働くということ、役割が人に与える影響力、ミッション、存在意義、チームなど、根本的な問いを投げかけていた。
●集団感染の現場の記録を次に生かすには
 たくさんの患者さんの命が奪われ、大切な人の手を握ることもできなかったご家族の心情を思うと複雑な心境になる。
 だが、「亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆様にもおわびしながら手を合わせる日々でした」という湯浅院長が会見冒頭で紡いだ言葉は実に重く、外野にいる人間があれこれ言うべきことではないと思った。
 医療現場に立ち続けた人たちは、悲しむ患者さんとご家族への自責の念から今なお逃れられないからこそ、あそこまで丁寧な記者会見になったのではあるまいか。
 いずれにせよ、記者会見の内容はとても貴重なものだったので、今回は会見の内容と手記の一部を取り上げながら、あれこれ考えてみる。
 今回の集団感染の起点となったのは、2月26日に脳梗塞の診断で入院した患者さんだったそうだ。26日といえば、安倍首相が全国すべての小中高などに臨時休校を要請した前日で、当時、国内の感染者数はわずか20人(※厚生労働省報道発表資料より。なお累計は2月26日時点で167人)、東京都に至っては3人で、“クラスター”だの“院内感染”だのという言葉も一般的じゃなかった頃に当たる。
院長の説明によると、その患者さんは3月5日から発熱を繰り返していたものの、その他の症状から誤嚥(ごえん)性肺炎と診断された。ところが、3月21日に1つの病棟で複数の患者さんが発熱したため、保健所に相談し2人の患者さんのPCR検査を実施したところ、新型コロナウイルスに感染していることが分かった。
 その後は次々と発熱患者が相次ぎ、発熱者以外にも感染していることが判明した。しかし、PCR検査をすぐに受けられない患者さんもいて、結果が出る頃にはすでにウイルスが蔓延(まんえん)していたという。
 記者会見では、その他の入院している患者さんに感染が広がる様子が、病床のイラストで示された。そこからは感染拡大の速さと、感染しても発熱しないという新型コロナウイルスの特性が状況をさらに複雑にさせていたプロセスがよく分かった。
 4月上旬になると、看護師やスタッフにも感染が広がり、陽性患者さんの隔離やスタッフの自宅待機などで人員が足りなくなり、新たなスタッフの補充などに追われることになる。並行して、急激に状態が悪化し、深刻な事態になる患者さんも出てくるようになったという。
●スタッフ全員の働きを地域も支えた
 会見で示された「PCR陽性入院患者数の死亡・転院・治癒」を時系列で示したグラフを見ると、亡くなった患者さんが4月上旬に集中していたのは一目瞭然だった。おそらく、その間の現場は戦場以外の何ものでもなかったはずだ。
 そもそも永寿総合病院は、大学病院など高度医療機関から転院となった治療歴の長い、免疫機能が大幅に低下した高齢者が多い。院長によると亡くなった43人の患者さんの約半数に血液疾患やがんなど様々な疾患があり、アビガンやフサンなどの治療薬を早くから使用したが、効果が乏しかったそうだ。
 また、記者会見では、コロナ感染拡大の実態、原因などに加え、“戦場”を支えてくれた人たちのことも語られた。
・地域の人たちが寄付をたくさんしてくださったことで、感染防止対策のマスクなど必要なものをそろえることができたこと、食事を提供してくれたり、「がんばれ!」とエールを送ってくれたりしたことで乗り切れたこと。
・そういった地域の支えがあってこそ「地域医療」が成立することに気づかされたこと。
・毎朝、完全感染防護服に身を包んで、明るく「がんばってきます!」と病棟に向かう看護師たちに、かける言葉が見つからず「彼らにこのような任務を背負わせたことに、院長として非常に申し訳なく思った」こと。
・ガウン型の防護服が足りず、職員たちが自ら作ったこと。
・職員たちがリネンの運搬や院内の清掃などをやっていたこと。
・永寿総合病院に勤めていることで、アパートを退去させられたり、子どもを預けるのを断られたりするスタッフがいたこと。……etc.etc.
  病院のスタッフと地域の人たちの全員で、危機を乗り越えていたのだ。これは“美談”でもなんでもない。実際に、戦場で起きていた“事実”だ。病院という医療の現場を超えて、「人」として多くの人たちが関わり、それぞれが目の前のできることを必死にやっていたのである。
 記者会見で公表された、院内のメンタルサポートチームが5月に職員に対して行った「気持ちの変化チェックリスト」の結果は、実に興味深く、人間の複雑な心境も垣間見えた。
 チェックリストの「この仕事に就いたことを後悔している」という問いに、「はい」と答えた職員は6%(14人)で、11個の質問中で最も少なかった。院長はこの「6%」という回答に「医療者としての職員の気持ちを感じることができた」と、声を詰まらせた。
 その一方で、多かったのは「上司や同僚あるいは組織に対して怒り・不信感を抱いている」が47%(101人)、「精神的に疲れている」44%(96人)だとしていた。院長はこの結果に関する私見を述べることはなかった。
 恐らくこの「医療者としての誇り」と「病院組織への怒り」という矛盾こそが、「かける言葉がなかった」という会見の言葉の真意だったのではないか。感染を専門とするスタッフがいながら、初期の対応が遅れて感染を拡大させてしまい、職員に多大なる負担をかけ、その上大切な多くの患者さんの命を奪ってしまった。大きな責任を感じながらも、できることをやるしかなかった怒濤(どとう)の日々を思わせる。
 そんな責任者としての自責の念と、それと同じに医療現場に携わるひとりの医師として、後輩でもある病院のスタッフの仕事への誇りに感動し、院長は深く感謝したのだと思う。
●医療者たちの手記も公開されている
 そして、これはあくまでも私の妄想だが、「悪いのは責任者である自分」という気持ちと、過酷な状況でも最善を尽くした“名もなき戦士たち”=職員たちの存在を、どうにかして世間に伝えたくて、手記を公開したのではないか。
 美化するわけでも、問題をすり替えるわけでもない。ただ、ひとりの医療者として、医療に関わる人の思いを伝えたかったのだと思う。
 永寿総合病院のHPに、看護師、医師の方3人の手記は公開されているので、ご興味ある方はぜひ、ご覧いただきたいが、以下に、一部を抜粋・要約で紹介する。
・「正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きなか゛ら防護服を着るスタッフもいた。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになった」(看護師)
・「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えた(看護師)
・「当初は5階病棟のみの集団感染と考えていたが、4月上旬には8階の無菌室にまで広がっていたことが判明。事態の重大さにその場に座り込んでしまった」(血液内科医師)
・「未感染の方を含め50人を超える診療科の患者様の命を守るべく、 研修医ともども、少ない人数で日々防護服に身を包み、回診に当たる日々が1カ月以上続いた」(血液内科医師)
・「勤務中にコロナウイルス感染症に罹患(りかん)した。感染対策には細心の注意を払っていたが、入院された方がいつの間にかコロナウイルス感染症を合併されるという状況が出現、私もいつどこで感染したかが分からないことに慄然とした」(医師)
・「症状の強さと酸素数値の悪さから死を覚悟した。妻に携帯電話で『死ぬかもしれない、子どもたちをよろしく頼む』と伝えた。意識が回復した際には、生きていることが不思議だった」(医師)
 当たり前のことだが、誰もが労働者である以前に人間である。しかしながら、人間である前に「労働者」であることを強いたのが、目に見えないウイルスの存在だった。
 永寿総合病院は、炭鉱のカナリアだったのではないだろうか。くしくも、院長は会見の冒頭で、「私どもの経験をお聞きいただくことで、新型コロナウイルス感染症に対する皆様のご理解やこれからの備えにお役に立てればと」と会見した理由を語っていたけれど、カナリアは涙を流しながら、前に進むしかなかった。
 そして、院長の会見の言葉と手記でつづられた思いからにじみ出ていたのは、厳しい状況でも立派な仕事をしようとする強い意志だ。
  以前、対談でご一緒した産業医で筑波大学教授の松崎一葉氏から、御巣鷹山のJAL墜落事故で救護活動に加わった防衛庁(現・防衛省)幹部の方の話を教えていただいたことがある。
 墜落現場での作業は自衛隊の最前線のタフな人にとっても厳しいもので、ある幹部の男性は「俺には耐えられない。俺には自衛官としての資質がない。このミッションをやり遂げたら、 自衛官を辞そう」と初日に決意。そして、2日目からは何も考えず、無心で厳しい作業に取り組んだそうだ。
 すると、2日、3日と取り組むうちに「この厳しい作業ができるのは俺しかいない。これをできるのは俺たちの部隊しかない」と思うようになった。その自信と誇りを持って最後までやり遂げ、ミッション後もその思いを胸に、定年まで勤め上げたという。
●危機が教えた働くことの原点
 当たり前の日常では忘れてしまいがちだが、私たちが働く意味がここにある。
 不思議なもので、どんなに自分には無理だと思える大変な仕事でも、愚直に向き合い没頭し続けると、有意味感は高まっていく。ここでの有意味感とは、「これは私がやらなければならない仕事だ」という信念である。
 永寿病院の職員の方たちは、自分ではどうにもできない未知のウイルスに襲われ恐怖を感じながらも、目の前の患者さんにがむしゃらに向き合うことで、自分がその仕事を選んだ原点に戻ることができたのではないか。
 そして、組織のリーダーである院長も、本来、「働く」という作業は自分がここに存在する意義をもたらし、組織のリーダーは、そこで働くすべての人たちが有意味感を高める組織をつくる責務を課せられている、という原点に気づいた。
 日常に流されがちな「原点」に戻ったことと、多くの命が奪われてしまった事実が、同じ線上に存在したことはあまりに悲しい。けれども、数名の医療関係者に聞いたところ、「永寿総合病院のスタッフががんばってくれたおかげで、他の病院もがんばれた」「身の危険も顧みずに最前線で闘ってくれたことで、いろんなことが分かり他の病院の参考になった」「助けられなかった命があったことは悲しいけれど、永寿だからこそ助けられた命もたくさんある」という意見やコメントが返ってきた。
 記者会見では、病院経営への影響に関する質問が出ていた。……カナリアはまだ泣き続けている。

河合 薫

 

 

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